第26話 白蛇様


「タクミ! しっかりしろ、タクミ!」


 レイカの声が聞こえる。


 ついでに少しの水音と、それから顔に触れられる感触。随分と乱暴な感じで、どうやらタクミの顔を洗っているらしかった。


 ——なんで僕の顔を洗ってるんだろう?


 ぼんやりとそんなことを考えていると、急に記憶が収束して来る。夢から覚める様な感覚で、タクミは自分が泥の沼に沈んだことを思い出す。


「あっ!」


 起きあがろうとして、上手く体が動かない事に気がつく。重い瞼を無理やり開けると、レイカが心配そうに見つめていた。


 ——相変わらず綺麗な瞳だな。


 その瞳に安堵の色が浮かび、レイカは更に革製の水筒からタクミに水をかけた。それからまた顔についた泥を落としてくれる。


 重い手をなんとか上げて、大丈夫だと彼女に知らせると、レイカもそれに気がついて身体を起こすのを手伝ってくれた。


「大丈夫か? タクミ」


「うん……。僕を引き上げてくれたのかい?」


 さぞ重かったろうと声をかけると、レイカは首を振る。


「私じゃない。私も沼に呑まれかけた」


 そういえばレイカも胸元まで白い乾いた泥に覆われている。タクミが自分の身体に目をやると、全身真っ白だ。動くたびに大きな泥の塊が剥がれ落ちる。


「じゃあどうやって助かったの?」


白蛇はくじゃ殿だ」


 ——はくじゃ?


 レイカはタクミの背中を支えたまま、顔をタクミの正面に向ける。つられてタクミもそちらを見た。


 そこには——。


「……!」


 タクミはギリギリで叫び声をこらえた。レイカの瞳に尊敬と畏怖の光を見ていなかったら、絶対に叫んでいた。


 そこにいたのは、巨大な白い蛇であった。一抱えもある太い胴に、牛の頭ほどの大きな頭部、そこには爛々と輝く金と黒の目玉、そしてどこまでも伸びるかに思われる長い身体は真珠の様な白い鱗に覆われている。


 大きな鎌首を持ち上げたその姿は、捕食者にも見えてタクミに恐怖心を与えた。


「タクミ、こちらは白蛇殿——この辺りの『東の地』に住う賢者様だ」


 タクミは白蛇の巨大な瞳に見つめられて身を固くした。ついでに真っ赤な舌がチロチロと出入りする様を目の端にとらえて思わずレイカにしがみついた。腕を掴まれたレイカはぽっと頬を染める。


「——タ、タクミ。大丈夫だ。白蛇殿は話が出来る」


 ——会話が出来る?


 すると、白蛇はシュウシュウと口から息を吐いた。その音は確かに息を吐く音なのだが、タクミの耳に届いたのは『言葉』であった。


『初めまして、タクミ』


 少しエコーがかかって聞こえるが、確かに人語である。妙齢の女性の声に聞こえた。どこか身分の高い印象を持つ、落ち着いた声だった。


「初めまして……白蛇様……」


 タクミの返事に、白蛇は嬉しそうに目を細めたように見えた。遠くで尾を振るのが見える。


『ふふふ、わたしを恐れるか? 少年よ』


「いえ、助けていただいてありがとうございます」


『ほう! これはこれは……。なかなか肝の据わった子どもよの』


 白蛇はシュウシュウと息を吐く。タクミは確かに大蛇を恐れはしたが、意思疎通出来るものならば突然襲って来ることはないだろうと踏んだのだ。


『間に合ってよかった。手遅れではあの男に合わす顔がない』


「あの男?」


『そなたの血縁ではないのか? お前はツカサと同じ血の匂いがする』


 そう言って白蛇は再び赤い舌をのぞかせた。


「父を知っているのですか?」


『ふふふ、ツカサの知人に似ていると言われた』


 さも楽しそうに笑う白蛇を見つめながら、まさかあの男はこのを口説いたわけではないだろうな、とタクミは心配した。





つづく

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