第2話 異世界にて起きたある出来事


 まだ幼いチャベスがメタセコイアの樹林に入り込んだのは、病気の母親の為に樹液を採ってくる必要があったからである。


 普段だったら一人で来る場所ではない。


 おっかなびっくり樹林に入り込み、樹皮に斜めの傷をナイフで入れると、そこから溢れてくる黄金色の蜜を集め始めた。


 手のひらに収まる古びた小瓶にそれを詰めると、キュッと蓋を閉める。誇らし気に光に透かすと蜜は宝石の様な光を放った。


「ふふっ」


 これで母の咳が止まるだろうとチャベスが安堵した瞬間、フッと頭上から影が差した。


 ——危ない!


 声を出す暇もなく地面に転がってかわす。彼がいた場所にドシンと大型の生き物が降って来た。


 ——大蝦蟇だ!


 牛よりもデカい蛙が、茶色とも紫色とも言える汚らしいぬらぬらとした皮膚を持つ身体をゆっくりと動かしてこちらへ向き直ろうとする。


 チャベスは慌てて正面に捉えられないよう回り込む。這ってでも奴の顔から逃げなければならない。


 正面から向き合ったら最後、小さな子どもなどは大蝦蟇の舌に巻き取られて喰われてしまうからだ。


 黄色と黒の目玉がギョロギョロと動いて逃した獲物を探す。


「あっ!」


 樹の根に足を取られて、チャベスは前のめりに転んだ。瞬時に血の気がひくほどの恐怖を感じて右へ転がった。


 彼が転んだ場所に過たず大蝦蟇の大きな長い舌がビタンと音を立ててぶつかってきた。


 乾いた樹皮が衝撃で飛び散る。


 生臭いにおいがチャベスの鼻を刺激した。嫌悪と吐き気で苦しくなる。それを堪えて立ちあがろうとするが——。


「ぎゃっ⁈」


 左足に生暖かい、ずしっとした衝撃が走る。そのまま再び転倒してしまう。


 自分の足を見れば、そこには大蝦蟇の舌が絡みついていた。チャベスの足首からふくらはぎまでを覆うほどに分厚くて幅広い舌が巻き付いて、なおかつ大蝦蟇の口内へ引き込もうと蠢いている。


 咄嗟にナイフを地面に突き立てて抵抗する。


「あっ」


 深く刺さらなかったそれはチャベスの手からぽろっと離れた。


「あっあっ」


 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ。


 遠ざかる唯一の武器が、恐怖を掻き立てる。


 ——お母さん。


 届かない助けを求める叫びは声にならずに喉の奥に消えた。


 彼が小さな手で引っ掻いた地面の傷が最後の足掻きになるかと思われたその時——。


 淡い緑色の光が走った。





つづく

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