25章 野心の行方  08

 さて、次の階の扉が開いたので進むことになるのだが、ここから先は俺一人で行くことにした。


 恐らく次はトリスタン侯爵とのボスバトルだろうが、彼が『闇波動汚染』という状態異常を付与できる以上、ローゼリスとエイミも連れて行くのは問題があると思ったのだ。


「分かりました。できればご主人様と最後まで添い遂げたかったのですが、今回は身を引きましょう」


 妙なことを言うローゼリスと


「必ず女王陛下をお救い下さい」


 と忠臣ぶりを発揮するエイミに別れを告げ、俺は一人階上に向かった。


 その階は今までの闘技場から一変して、玉座の間のような雰囲気の空間になっていた。


 奥には赤黒い棘で装飾された玉座のような椅子があり、言うまでもなくトリスタン侯爵が足を組んで座っている。


 その玉座の左右には白い翼をもった金髪の少女たち、セラフィとシルフィが立ち、侯爵に向かって手をかざしている。


 彼女たちの手から放たれた光のヴェールが侯爵を包んでいるのは、侯爵が取り込んだ『厄災』の力を抑えているとかそんな感じなのだろう。


 気になるのは虚ろな目をした姉妹はどちらも白いハイレグレオタード姿であるということだが……侯爵の趣味ではなく『闇の皇子』の影響だと思いたい。


 奥に目を向けると、そこにはリュナシリアン女王陛下がいる。いかにも囚われの美少女っぽく手枷足枷をつけられて壁にはりつけになっているのは、いざと言う時の人質にでも使うつもりなのだろうか。


 彼女は俺の姿を見て目を見開いた。その瞳には光るものが見え、彼女の感情の高まりを物語っているが、口には猿轡さるぐつわがかまされていて声は出せない。


 『ほう……。もう少し時間がかかるかと思っていたが、存外と早く決着をつけたものだ。情が深い人間らしいと聞いていたが、存外に淡泊、いや、貴族的な部分があるのだな』


 椅子に座ったまま、侯爵が口を開いた。


「そちらの思惑に乗るのは本意ではありませんので。さて、これで閣下を断罪する資格があるとお認めいただけますか?」


『くくっ』


 侯爵は口元を緩めると片手を振った。それを合図に、手をかざしていた双子の姉妹が左右に離れていく。


『認めてやろう。卿がそのような人間であると早くに知っていれば、あるいは私と共に歩む道もあったかもしれんな』


 侯爵は立ち上がり、腰の剣を抜いた。


「残念ながらその道はあり得ません。私が女王陛下を裏切ることはありませんので」


『ほほう、なるほど。女王さえいれば他の女は用なしというわけか。卿を奸臣としたのは我が策の内だが、当たらずとも遠からずであったのかもしれんな』


「それは閣下の目でお確かめになられるがよろしいでしょう」


 どうやら侯爵は、俺が一時的にでも『闇波動汚染』を解除できることに気付いていないようだ。これならこの後の展開も多少やり易くなる。


『さて、以前手合わせをした時は卿に勝てるとは思えなかったが……此度はそうはならぬ。『厄災』の力を手にした私の力、存分に試させてもらおう』


 侯爵のマント姿がブレた。


 次の瞬間には、俺の大剣は侯爵の長剣を受け止めていた。響き渡るのは、重機同士が衝突したかのような金属音。


『この一撃を受け止めるか。さすが『護国卿』ッ!』


 確かに侯爵の一振りは、その速度も重さも以前とは桁違いであった。恐らくステータス的には『王門八極』をはるかに超え、『厄災』本体をも上回っているであろう。


『ぬおおっ、参るッ!』


 一声吠えると、侯爵は超速の連撃を繰り出してきた。刃がまるで銀の暴風雨のように俺に襲い掛かる。


 俺は速く重い斬撃をすべて大剣で弾いていく。いや、弾いているはずなのだが、いくつかの攻撃が俺の衣服や防具を傷つけていく。


 なるほどこれが侯爵が手に入れた力、彼の野心を埋める最後のピースか。


「ちいぃッ!」


 俺の口から自然と気合が漏れていた。力で負けるとは思わないが、己を奮起させなければ侯爵の気迫に圧されてしまう気がしたのだ。


 侯爵の剣を強く弾き、一旦彼と距離を取る。


 そしてそこから始まるのは、人智を超えた剣士同士の一騎打ち。


 神速を極めた『縮地』と、神域に足を踏み入れた超高レベルスキル群を全投入しての斬り合いである。


 一個の稲妻と化した俺と侯爵は、その空間の中で何回も、何十回も、何百回も交錯し、刃を交わす。


 響く撃剣の音はもはや衝撃波、互いの剣からほとばしる剣気はダンジョンの床をめくり上がらせる。


 無限にも感じるほどの剣の応酬の果て、しかしその終わりは唐突に訪れた。


 俺のこの身体に宿る『天賦の才』の称号は、対等な斬り合いをそれ以上許さなかった。


 超越者同士の戦いのなかで遠慮なくレベルが上がっていくスキル群が、ある時点で侯爵の力を完全に凌駕した。


『ぬがぁッ!!』


 侯爵の右腕が、長剣を握ったまま床に落ちた。


「御免ッ!」


 一瞬動きの止まったマント姿の偉丈夫を、俺は躊躇することなく袈裟斬りにした。


『おご……ごほぉ……っ!』


 斜めに切断された侯爵の上半身は、それでも消えることはない。


 見ると、切断された身体同士を黒い霧がつなぎとめている。恐らく放っておくとそのまま再生するのだろう。


『ごふ、くくくっ、さすがだクスノキ卿。よもやこの力をもってしても卿を斬ることがかなわぬとは思わなかった。だが私は死なぬ。この身体は『厄災』そのものであるがゆえな』


 侯爵は口から血を流しながら、ニヤリと勝ち誇ったように笑った。


「ええ、ですから彼女たちの力を借りましょう」


 俺は侯爵から離れ、双子の少女の元に向かった。


 セラフィとシルフィは、やはり虚ろな目をしたまま佇んでいる。


『娘たちは私の術中にある。卿の話は聞かぬよ』


 侯爵の声を背に受けつつ、俺は解除魔法を2人に行使する。


「……あ、ここは……。あ、貴方はクスノキ様!?」


「う……ん、なに……? あ、クスノキ様、会いに来てくれたの?」


 瞳に光が宿り、白いハイレグレオタードを着せられた姉妹は揃って俺を認識してくれた。


『なに……!? なぜ私の術が切れる!? 破るのは不可能なはず!』


 侯爵の叫び声を耳にして、姉妹はそちらに目を向けた。


「父上……!?」


「お父様……!?」


 しまった、正気に戻って早々かなりショッキングなものを見せることになってしまった。


 しかし彼女らは、俺の心配をよそに気丈にもバラバラになった侯爵の元に走っていった。


「このお姿は……やはり『闇の皇子』の力を身にとり入れてしまったのですね……」


「お父様……どうしてそんな姿になってしまったの……?」


 2人が父である侯爵を見る目は、思いのほか穏やかであった。


 2人を『光の巫女』に覚醒させてから後のことは知りようもないが、彼女らの間にも余人が知りようもないあれこれがあったことは想像に難くない。


『お前たち、あの男の言うことを聞いてはならんぞ。あの男は私を斬り捨てた悪人なのだからな』


「父上、私はもう子どもではありません。父上がなさろうとしていたことがどのようなことであったか理解しております。あそこにいらっしゃる女王陛下のお姿を見れば、すでにことがなされてしまったことも分かります……」


『何を言うかセラフィ、私は女王陛下をお救いしようとしただけだ。あの男の魔の手からな』


「父上、今更そのようなことを言っても信じられないことはお分かりでしょう」


『黙れ。なぜ父の言葉が信じられぬのだ』


「お父様の言うことを信じるのは無理……。だってお母様との約束を守ってくれなかったから。お母様は今のままでいいとおっしゃっていたのに……」


『たわけたことを言うなシルフィ。お前に私の心など分かるものか』


 正直あの親子の会話に入ってくのはとても苦しいのだが、残念ながらそうも言っていられない。


 俺は双子の近くまで行って声をかけた。


「セラフィ、シルフィ、君たちの力を貸して欲しい。君たちのお父上を……殺すために」


 言葉を飾ろうと思ったが、やめた。それでは侯爵と同じになってしまうと感じたのだ。


「クスノキ様、それはどういうことですか?」


「お父上は『闇の皇子』の力を受け入れて、その存在はすでに『厄災』そのものになってしまっている。残念ながらお父上を生かしておくことはできないし、倒すためには2人の力が必要なんだ」


「助けることは……できないの?」


 シルフィの言葉は、娘としては当然のものだ。だが俺は首を横にふることしかできない。


「人間に戻すことはもうできないんだ。それにお父上はすでに女王陛下を裏切って国を奪おうとした大罪人だ。助けても結局は死刑にしかならない」


「そう……なんだ……」


 まだ年端も行かない2人には厳しい現実であろう。

 

 セラフィとシルフィは少しの間うなだれていた。


 侯爵はその間も『その言葉を信じるな』などと言っていたが、2人がそれに反応することはなかった。


「……お父上は、君たちを含め多くの人間に、自分の意のままに操る術をかけている。そしてその術を破るにはお父上を倒すしかないんだ。君たち自身を、そして彼らを助けるためにどうか協力してくれ」


『そのような出まかせを聞くな。その男は女王を取り戻すためには、婚約者すら亡き者にする冷酷な男だぞ』


 侯爵はこの期に及んでも粘るタイプのようだった。ある意味、野心家として筋が通っていると言えなくもなかった。


「閣下、もうお気づきでしょう。私には閣下の術を一時的に解除する術があるのです。ここに至るまで、閣下と同じく『厄災』となってしまったボナハ殿以外死なせてはおりません」


『ぐぅっ、卿はいったいどのような人間なのだ……。卿こそ人智を超えた存在、『厄災』すら圧するほどの脅威なのではないか』


「力だけで言えばそうかもしれません。しかし中身は平凡な人間です。閣下のような方には理解できないでしょう、私がまた閣下を理解できないように」


さかしら口を……っ。だが、私は不滅になったのだ。卿が何者であろうとも、必ず……』


 侯爵の目にはまだ野心の炎が渦をまいている。恐らく俺のような一般人では……いや、何人もその炎を消すことはできないのだろう。


「……シルフィ、いい?」


 セラフィが小さな声で言った。シルフィがこくんと頷く。


 双子の姉妹は立ち上がると、強い瞳で俺の顔を見た。


「クスノキ様、分かりました。父上を倒すお手伝いをいたします。それが正しいことだと私たちにも理解できますので」


「クスノキ様、わたしもお父様が悪いのは分かるから……やります」


『待たぬか! なぜその男の言うことを信じるのだ! なぜ父の言葉が聞けぬ!』


 トリスタン侯爵の叫びに、双子は悲しそうな顔をして首を横に振った。


「父上、もう終わりにしましょう。私たちは父上の道具ではありません。自分たちが正しいと思ったことをいたします」


「お父様……わたしたちは『光の巫女』だから、『闇の皇子』の力を消すのが役目だから……」


『お前たち……ッ! くう、やめぬか……私は王になる男なのだ。お前たちは姫になれるのだぞ……っ』


 侯爵の言葉が聞こえているのかどうか、セラフィとシルフィは侯爵の上半身部分の左右に立つと、両手を侯爵に向けてかざした。


 背中の白い翼を広げると、全身から淡い光が立ちのぼる。


「さようなら父上。そして消えなさい『闇の皇子』」


「今度こそお母様と仲良くしてね。邪魔をしないで『闇の皇子』」


 双子の手から光の帯が伸び、侯爵の身体を包む。


 侯爵の身体が、身に着けていた『闇の皇子』の装束が、末端部から黒い霧となって溶けていく。


『やめろ、やめぬか……っ! 我が志はまだ半ばなのだ、このようなところで……っ!』


 兜が消えた時、侯爵の両目には血の涙が浮かんでいたように見えた。


 その存在が消える瞬間まで己の野望に執着する態度は、もはや驚嘆を通り越して敬意を抱くほどである。抱くほどではあるが……それだけに、彼と俺たちは決して相容れることがないのも確かであった。


『消える……力が……我が悲願……が……』


 そして侯爵のすべては黒い霧に還っていった。恐らく上にはいつもの通り黒い穴が開いていて、その霧を吸い込んでいるのであろう。が、今度ばかりは俺もそれを見る気にはなれなかった。


「は……あ……っ」


 ことを終えると、セラフィとシルフィは脱力したようにその場に座り込んだ。俺は『魔力譲渡』と『体力注入』を行いつつ、今にも泣き出しそうな2人に声をかけた。


「セラフィ、シルフィ、ふたりのおかげで最後の『厄災』を退けることができた。本当にありがとう。そして、こんなことをさせてしまって申し訳ない」


 俺がそういうと、ふたりは俺にしがみついて泣き始めた。俺は抱きとめて震える背中をさすってやりながら、彼女らのこの先を案じずにはいられなかった。


 遠くでゴゴゴ……という地響きが聞こえる。忘れそうになっていたが、ここはダンジョンの中である。主が消えたダンジョンは、間を置かずに消える定めだ。


「セラフィ、シルフィ、まずはここを出よう。女王陛下もお助けしなくては」


「はい、すみません……。私は大丈夫です」


「うん、もう……大丈夫」


 ふたりが気丈な様子を見せたので、俺は急いで女王陛下の元に行ってその拘束を解いた。


 猿轡を外すと、陛下は安心したような、そしてうっとりしたような、それでいてどこか咎めるような表情をした。


「クスノキ卿、この度も大儀であった」


「間に合ってようございました。お話もいたしたいところですが、まずはこのダンジョンから出ましょう」


「そうだな。卿が運んでくれるのであろう?」


「陛下がお望みであれば」


 俺は女王陛下の要望でお姫様抱っこをすると、セラフィ、シルフィ姉妹を『念動力』で持ち上げて、全力でダンジョンの出口に向かった。

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