25章 野心の行方  09

 その後の戦後処理は、とにかく多忙を極めた。


 何しろトリスタン侯爵の軍が首都を制圧している状態でいきなりトップの侯爵が討たれ、幽閉されていた女王陛下が玉座に戻ったのだ。


 幸い侯爵の兵は『闇の皇子』の影響から解放された反動か力を失って倒れたため、彼らを捕虜として捕えるのに大きな騒ぎにはならなかった。


 しかしその数はあまりに多く、国軍がちょうどいいタイミングで戻って来なければ、彼らを運ぶ人手の確保だけでも途方に暮れていただろう。


 トリスタン侯爵に従って首都を攻めた貴族たちも当然捕えられた。当然ながら彼らについては国法に照らし合わせてお家取り潰しとなるのだが、一部は『闇波動汚染』によって無理矢理従わされていた者もおり、そういった者たちの処分については陛下も頭を悩ませたようだ。


 なおボナハ青年の父上のケルネイン子爵も捕えられたが、完全に放心状態にあり、子息が亡くなったと聞いても何の反応も示さなかったらしい。


 ともあれヘンドリクセン老を始めとする重臣たちも解放されて対応にあたったため、首都は徐々に元の姿を取り戻していった。


 手伝える部分については、俺も最大限女王陛下のために力を尽くしたのは言うまでもない。




 そして一月ほど経ったある日、俺は女王陛下の執務室を訪れていた。


「ふふ、遂にクスノキ侯爵の誕生か。今日はサヴォイアにとって久々によい日となったな」


 今までに見たことないくらい上機嫌な様子で、リュナシリアン女王陛下がにっこりと笑った。


 そう、先程陞爵の儀が行われ、俺はついに侯爵の位をたまわったのである。


 封ずる領地は現在選定中、ということで発表は先延ばしにされたが、恐らく旧トリスタン侯爵領があてがわれるだろう……というのはコーネリアス公爵閣下の言だ。


「そうですな。伝承にある6体の『厄災』がすべて討伐され、同時に新たな英雄が誕生しました。これほど民にとって希望となる話はありますまい」


 以前はどことなく屈託のあったヘンドリクセン老だったが、今日はなにか吹っ切れたように清々しい表情をしている。


「うむ。ローシャン、リースベン両国からは貴殿への礼状が届いている。どうやらその2国でも十分に名前を売ったようだな?」


「どの国にとっても『厄災』は無視できない存在ですから、討伐したとなると自然と名も知れてしまうのではないかと」


「それだけならよいのだがな。ロンドニアもお前には正式に礼を言いたいと言ってきているし、リースベンはどうやら公爵から話があるとのことだ。なにか覚えはあるか?」


 ロンドニアは竜人族の国ローシャンの長にして女傑の名である。確かに彼女にはキチンと挨拶をしないままこちらに戻ってきてしまっていたな。


 ただリースベンのオルトロット公爵といえば、多分あの話だよなあ……。


「ロンドニア様は恐らく、依頼されて武術大会で一芝居打ったことの話ではないかと思います。リースベンの公爵閣下については身に覚えが……」


 と言いかけて、女王陛下の青い瞳が強い光を放っていることに気付いた。あ、これ、すでに何か勘付いている感じですね。


「ええと、身に覚えがなくもないというか……」


「リースベンのオルトロット公爵と言えば、『三龍将』にして『弓姫』の異名を持つマイラという美しい娘がいるそうだな。卿は戦場で相まみえているのではないか?」


「ええ、そうですね。『悪神』に憑依されているところを解放しました。そのこともあって『悪神』を討伐する際には力を貸していただいております」


「なるほど、卿一人で『悪神』を討伐してリースベンを救ったとなると向こうも借りが大きくなりすぎるからな。落としどころとしては妥当か」


 女王陛下がそう言ってヘンドリクセン老を見ると、ヘンドリクセン老は深く頷いた。


「おっしゃる通りでしょうな。ある程度逃げ道を作っておいた方が二国間の関係としては上手くいくでしょう。クスノキ侯爵はその辺りのバランス感覚も身につけられているようですな」


「ふむ。そうするとオルトロット公爵はその点について内々に貴殿に礼を言いたいということか? 討伐に手を貸したとなればマイラ嬢も国内では英雄視されるであろうしな」


「え、ええ。そういうことではないかと」


「さすがにマイラ嬢を隣国の新侯爵の嫁に、という話ではないのだな?」


 俺を見る深窓の令嬢風美少女の目は明らかに「分かっているぞ?」と語っていた。


「あ、いえ、そのような話も……もしかしたら……ある、かもしれません」


 背中に流れるのは脂汗か冷や汗か。俺がしどろもどろになりながらも罪(?)を認めると、女王陛下は咎めるような目をするでもなく、ただ溜息をつくのみだった。


「まったく……。これで卿が自分から手を出したというのであれば余も何か言えるのであろうがな。どうせ向こうから見染められたのであろう?」


「……どうもそのようです。自分としてもどうしたらよいか悩むところではありまして」


「卿という男は……。いったい何人の女に惚れられているのか数えたことはあるか? まさか気付いてないとは言わぬよな」


「ええ、まあ、その、気付いたのは『悪神』を討伐したあたりのことではありますが……」


「はあ? たった一月ほど前の話ではないか。それまで気付いてなかったというのか」


「事情があって自分は色恋とは無関係と、長い間勝手に思い込んでいたものでして……」


「なんだそれは」


 今度は心底呆れたという顔をしながら、女王陛下はちらとヘンドリクセン老を見た。


「どうやらじいの言う通りだったようだな。自ら女心に気付かぬように自分を仕立てるなど、考えもつかぬことであった」


「そうですな。単純に鈍感であるというならまだしも、自ら律して気付かぬようにするというのは不思議な態度ではありますな。何か事情がおありのようですが、それより今は気付いたところでどうするかを考えるべきかと」


「そうだな。もっともこれはクスノキ侯爵の考え次第であるからな。余が口を出すこともないのであろうが……ときに卿はさきほど『気付いた』と言ったが、それは余についても当てはまるのだろうな?」


「は!? あ、それは、いえ、その……」


 ああ、まさかその話がここで出てしまうとは。


 マイラ嬢の件で周囲の女性の気持ちに気付いたのはいいが、あれから忙殺されること一月あまり、結局その話についてはなんらの進展もなかった。


 忙しさを理由に避けていたというのも否定できないのだが、彼女たちもなにかひと段落がついたような態度でいたので、こちらから蒸し返すのもはばかられたというのもあった。


 無論後回しにすることが悪手なのは重々承知の上ではある。一方で半ばなるようになれという諦めの境地もなくはない。


 ただその中で、絶対にで済ませられない件がそのうち持ち上がるだろうという予感は抱いていた。言うまでもなく女王陛下のことである。


 今までの態度から、彼女が俺に英雄的人物に対する憧れのようなものを抱いているのではないか……とは、さすがに気付かないわけにはいかなかった。


 無論彼女はそのような「ほのかな恋心」などで相手を決められる立場ではない。


 ないのだが、もし相手が十分な資格を得たなら、逆にすべてを決められる立場にあるともいえるのだ。


「ふむ、その感じだと気付いていると考えていいようだな」


 しどろもどろになっている俺を見て、女王陛下はにこっと笑みをこぼした。


 陛下の目配せを受けてヘンドリクセン老が深く頷く。


 そして陛下は威儀を正し、俺をまっすぐに見た。


 逃げ場はない。俺の胃袋は、こちらの世界に来て最大の危機を迎えようとしていた。


「余、リュナシリアン・サヴォイアは、サヴォイア女王国の長として、ケイイチロウ・クスノキ侯爵を夫として迎えたいと考えている。無論余の一存だけで決められることではないゆえ、宰相や叔父上とも相談はするが、間違いなく反対するものはおるまい。後日正式に書状を送るが、それまでに身辺の整理をしておいてほしい。よいな?」

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