9章  騎士団長の依頼(後編)  02

翌日は午前から慌ただしかった。


なんと件のトリスタン侯爵本人が大勢の供を引き連れて、いきなりニールセン子爵領を訪れたのだ。


その連れの中にはケルネイン子爵やその長子のボナハまでいるということで、子爵の館は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。


大急ぎで接待の場が設けられ、ニールセン側は子爵と第一夫人、アメリア団長、メニル嬢そして家宰の男性が、侯爵側はトリスタン侯爵、ケルネイン子爵親子、その護衛数名が会談の行われる部屋に入っていった。


ちらっとだけ見ることができたトリスタン侯爵は、ニールセン子爵ほどではないがかなりの偉丈夫で、黒髪を撫でつけた眼光鋭い40歳ほどの男だった。


背中にはセラフィと同じ黒い翼が折りたたまれており、彼が貴族としては珍しい有翼人であることを示している。


口元に笑みが浮かんでいたのは、自分が子爵の機先を制したことを確信しての余裕を表しているのだろう。


身にまとった強烈なギラギラオーラさえなければ、知勇兼備の大物貴族といった佇まいの人間であった。


一方でケルネイン子爵は、いかにも凡庸な貴族といった雰囲気の人間で、しきりに侯爵の顔色をうかがっているようだった。


茶髪に平凡な顔つきは息子のボナハと同じであり、ギラギラオーラをまとっている点も同じである。


彼らが全員部屋に入ってしまうと、俺の方でできることはもうなかった。


ニールセン子爵の客人でしかない俺が会談の場に呼ばれるということはもちろんなく、別室にいるセラフィの様子を見にいくくらいが唯一のできることである。


「ご気分は大丈夫ですか?」


俺が問いかけると、セラフィは不安げな瞳を向けた。


「はい、昨日悪くなった時以来、特に問題はありません」


「これでようやく帰れますね。お父上もさぞ心配をなさっていたのでしょう。急いで迎えに来られるくらいですから」


「そうですね……そうだといいのですが。とにかく、今回のことでクスノキ様には大変お世話になりました。ありがとうございました」


礼をするセラフィの表情には、複雑な内心がありありと見て取れた。記憶が曖昧な以上、父親をはっきり拒絶するわけもいかず、さりとて安心ができるわけでもないのだから当然だろう。


「今回セラフィ様と知り合えたのも何かの縁でしょう。もし困りごとがあれば、ロンネスクのハンター協会までご連絡ください。必ずお助けいたしましょう」


何とも幼稚な約束ではあったが、彼女の今の様子を見ていると言わずにはおれなかった。実際何かあっても、今のインチキ能力があれば、何かできることもあるに違いない。


「ありがとうございます。クスノキ様とは会ってまだ3日しか経っていないのに、優しくしていただくと不思議と安心することができます」


それは多分『精神支配』の後遺症のせいです……とは、少女のはかなげな笑顔の前で言うことはできなかった。


「セラフィ様、こちらへおいで下さい」


子爵家の家宰かさいが呼びに来て、セラフィは俺に再び一礼すると、父親のいる部屋に向かっていった。





会談はつつがなく終わった。いや、おそらく会談の場では胃の痛くなるような腹の探り合いが行われたのであろうが、表面上はなにもなかったかのように、両陣営の面々は粛々と部屋から出てきた。


侯爵一行はそのまますぐにケルネイン子爵領まで戻るとのことで、慌ただしく領主館から引き払う動きを見せた。


子爵は形式上引き止めていたが、結局は館の門まで一行を見送ることになったようだった。


せっかくなので、俺も目立たないようにして見送りの一団に混ざらせてもらった。


「今日は急な来訪に対応してもらい、深く感謝しようニールセン子爵。この度の事は後日改めて礼を送るので、収めてもらいたい」


「は、ありがとうございます。侯爵閣下におかれましては、道中ご無事でいらっしゃいますようお祈り申し上げます」


トリスタン侯爵に子爵が頭を下げる……その時、遠方から鐘の音が、それも連続で打ち鳴らされる物々しい鐘の音が聞こえてきた。


「これは……モンスターの襲撃があったようです。方角は北、かなりの数ですな」


子爵が言うと、侯爵は目を細め口元に手を当てた。手が口を覆う瞬間、その唇が皮肉げに歪んだのが確かに見えた。


「ふむ、では子爵はその対応にあたるがよかろう。我らは西に向かう故、このまま出発する。我らがいては邪魔になろうからな。ゆくぞっ」


そう言うと、子爵が止めるのも聞かず侯爵一行は去っていった。ここまでが予定の内と言わんばかりの見事な引き際である。


「父上、私とメニルで先に北の様子を見に向かいます」


アメリア団長が、いまだ侯爵一行をにらんでいる子爵に言った。


「うむ。私もすぐに兵をまとめ出る。それまで早まったことはするなよ」


「はい。私の婚約者殿がいれば恐らく何の問題もないとは思いますが」


意味ありげな目でアメリア団長が俺を見る。さっきの会談の中で多分その話も出たのだろうが、だからと言って婚約者殿とか言わなくていいと思うんだが。


「アメリア姉、ワタシ『たち』の婚約者だからねっ」


メニル嬢まで……。一体どういう話になったのだろうか。いや、これは聞くと藪蛇やぶへびになるやつだな。約束通り偽の婚約者を演じていた方が傷が少なくて済むと見た。


「済まんがクスノキ殿、頼めるか?」


「承りました。恐らく先日戦った連中が再び湧いただけでしょうから問題ありません」


昨日のセラフィの急な体調不良がこれの『フラグ』だったというのはすぐにピンときた。

北に現れたのは間違いなく『闇の皇子』の兵だろう。


「それが本当なら大問題なのだがな……。とにかく任せたぞ」


子爵が渋い顔をしつつ、部下に指示を出し始め、自身も装備を整えるため館に入っていった。


俺は婚約者(偽)の2人が装備を整えるのを待って、北の街道に向った。

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