記憶の欠片〜中央島の少女〜

halhal-02

記憶の欠片

 カシャン……。


 澄んだ音を立てて、ビーズ入れの小皿が床に落ちた。


 シャラシャラと流れるように落ちたので春色のペリドットや濃い桃色の鉄礬柘榴石アルマンディンが光の滝を作ったかに見え、一瞬目を奪われる。


 自分の肘が当たったのだと気がついて、シキは深いため息をついた。


 手にしていた金具を置くと、貴石きせきのビーズを壊さないようにゆっくりと椅子を引く。


 床に散らばったビーズはあちこちで煌めきながら静かにその存在を示していた。きらきらした床を眺めて、その色合いの美しさに一人で頷く。


 自分が選んだ色は間違いなかったとシキは自画自賛すると、手近なビーズから拾い始めた。





 丘の上の家に住む少女・シキは、島にあふれる貴石や宝石を使った宝飾品を作っては店におろしている。


 まだ駆け出しの職人だが、シキの母の時代からの取引先で、母と変わらぬ丁寧な仕事ぶりがそのまま評価されていた。


 なにより、母と同じくシキには石を力がある。


 彼女が選んだ石はその石特有の力を特別多く持っているので、店の方もその点は重宝しているらしい。


 なんといっても貴石の力を引き出せるということは、守護宝飾品アミュレットとしての価値が高くなるのである。


 例えば——紅水晶ローズクォーツで作った恋の御守りのペンダントや、孔雀石で作った魔除けの指輪などという具合に。


 そして母から受け継いだその力に、シキは誇りを持っていた。




 床に落ちた貴石の粒を拾いながら、シキは自分の曖昧な母の記憶を辿る。曖昧というのは、他人と比べてかなりの部分の記憶が欠落しているからだ。


 それに気がついたのはごく最近のことで、同居人達と子どもの頃の話をしていた時だった。




 午後三時のあの穏やかなお茶の時間。


 芳醇な花の香りの紅茶と、シキの焼いたスコーン。


 物を食べないで済む身体のカガリはお茶だけだが、十五歳と食べ盛りのカミタカとユーリは焼きたてのスコーンに手を伸ばす。自分が作った菓子をカミタカが美味しそうに食べる姿を見て、シキは内心嬉しくて仕方なかった。


「美味しいですね、これ」


 褒めてくれたのはユーリだった。シキがそっとカミタカの様子を盗み見ると、彼は二個目に手を伸ばしたところであったので、彼の口にも合ったのだろうと胸を撫で下ろす。


「僕の住んでいる所にはこういうお菓子はなかったなぁ」


 ユーリの感想に相槌を打ちながら、シキは紅茶のおかわりを注いでやる。


「どんなおやつだったの?」


「ええと……もっと素朴なヤツですよ。祖母や母が作るのは、甘くないクッキーやケーキです」


「甘くないの?」


「ええ。豊かな土地では無いので、砂糖やバターは控えめな、そんな味です」


 それはそれで食べてみたいとシキは思うが、ユーリは少し気恥ずかしそうにしている。きっと田舎風の菓子の話をしたのを後悔しているのだろう。


「いいじゃん。俺なんて親の手作りのおやつなんて食べたことないぜ」


 カミタカが羨ましそうにそんなことを言うので、ユーリはびっくりした。


「そう、かな」


「そうさ。俺のうちは共働きだったから——ま、気にしてないけど」


 そう言って三つめのスコーンを食べていいかみんなに聞く。シキは大喜びで「食べて食べて」とスコーンの乗った皿をカミタカの方へ押しやった。


「私はお母さんとお菓子を作ったのよね。これも作り方は教えてもらったの。でも覚えていないレシピもあるのよね」


「幼かったのではないか?」


 カガリが紅茶のカップを優雅に持ちながら、聞いてくる。シキはゆるゆると首を振った。


「ううん。確か十二歳くらいだったはずなんだけど、この居間でお母さんと小さなケーキを食べたの。マドレーヌみたいな小さなケーキ。でも」


 でも、確かにそれは母の手作りのはずなのに、作ったところを覚えていない。


 ——別の場所で作って持って来た。


 なのにその別の場所が思い出せない。


「そういえば、その頃って——」


 この丘の上の家に、どこからか通っていた気がする。週に一度か二度——いやひと月に数回くらいだろうか。


 シキはふと妙な気がした。


 その通っていたどこかが全く思い出せない。この家で過ごしたことはよく覚えているのに。


「へんだな……前の家のことがわからないなんて……」


 シキがぐるぐると頭を巡らせていると、カミタカが少し怒ったような声を上げる。


「気にすんなよ、そんなこと!」


 三人が驚いて彼を見ると、カミタカは声を上げた事を後悔するような表情かおでそっぽを向いた。頭に巻いていたいつものタオルを、顔が見えないように少し引き下げる。


「……いつか、思い出すんだ。絶対に思い出すから、気にすんなよ」


 賑やかだった居間が静かになる。


 カガリがカップを置く音がやけに大きく響いた。彼女はやれやれといった風情でカミタカに語りかける。


「そう、そうじゃな。カミタカの言う通りじゃ。大事なことはな、きっといつか思い出す。我みたいな忘れっぽい女神でも、一千年経った今でもふとした拍子に思い出すことも多々あるものだ」


「なんだよ、それ」


 カミタカから苦笑とも取れる笑いが返ってきて、皆が安心する。それから再びお茶の時間が流れ始めた——。




 ——あの時のカミタカ君は、私がいつか思い出すと言ってくれた。でも、何を?


 小さい時の記憶なんてもっと曖昧だ。


 七歳くらいからこの丘の上の家の記憶が点在しているというのが正しいだろうか。しかもいつも母とこの家にいる記憶だ。家だけではなくこの島にいる記憶という方が正確だろうか。


 母と共に貴石の買い付けに行き、作った宝飾品を店におろしに行く。夏の海辺で母と水遊びした思い出や、街中のカフェで星のように煌めくパルフェを食べたことも覚えている。


 きっと子どもの記憶なんてそういう断片的な物なのだろう。ひとつづきに覚えていることなんて——。


 落としたビーズを拾い集めると、それを作業台に乗せながら、シキは自分の記憶を辿る。


連続した記憶なんて——。




 ——カミタカ君と会った日からしか、覚えてない。





 記憶の欠片〜中央島の少女〜完

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