第31話 Day5:3/10、或いは【赤マフィアと白銀少女】

 白石の死を悼む翠と石黒を医療室に残して【赤城あかぎれつ】は、一人そっと部屋を出た。暗い廊下と専用階段を降りて着いた2階フロアは窓から差し込む朝の光で満ち溢れていた。


 …夜明け、か。


 翡翠の瞳の少女は泣きながらも赤城の手首の処置をした。「手のことは…本当に辛いと思う。でも、夜は必ず明ける。生きていれば道は開ける。希望を捨てるな」と言っていた。甘っちょろい戯言しか言わない胸糞悪いオンナだったが、その真っ当で汚れのない姿には心惹かれるものがあった。無い物ねだりというヤツかもしれない。


 …欲しい。


 しかし、天野翠の心が憎たらしい鴉野郎ムニンに向いているのは一目瞭然だった。商売道具とも言える利き手を失い、【エディデヤの娘天野翠】の心を手に入れられず、たとえ生き残っても和邇士郎に選ばれる可能性は限りなくゼロに等しい。


 …どうせ、選ばれるのはアイツだろう。


 しかし、エンジンはもう直せない。船は動かない。いったい、この船の針路はどこに向いているのか。最後の一人になるまで、この殺人ゲームは続くというのか。

 赤城は太陽の光を浴びながら廊下を進む。今日も海はいでいて、小さな波がキラキラと海面で光を反射している。

 赤城の目的地はリネン庫だった。血塗れになった服の代わりに着せられた薄い病衣は頼りなく、すぐに乱れて着崩れる。下着を穿いていないのも落ち着かなかった。


 翠から聞いた話から予想すると、おそらく茉白はもう襲って来ない。オリジナルのフィロウィルスが発症している頃合いで…白石と同じような経緯を辿る運命だ。もう、どうすることも出来ない。

 船内は静かだった。中央階段を降り、暗い1階を進むうちに目が慣れる。


 …リネン庫。


 左手で取っ手を掴んで押し下げたが、ドアは開かなかった。


「ん?」


 ガチャガチャと何度か繰り返して、気づく。


 …ここにいるのか。


 そういえば、この部屋のドアは生体認証でもパスワードアクセスロックでもなく、ただの【かんぬき】だった。リネン庫の用途を考えると、たいした物は入ってないので、内側に鍵を付ける意味がわからない。またしても和邇士郎の悪趣味か。


稍等待ってろ


 ふと思いついて、リネン庫を開けてやろうと考える。服を得たいのもあったが、もし、瀕死の茉白がいるなら他に奪えるものがあった。


 …起死回生とまではいかないが、一矢報いることが出来るかもな。


 独り勝ちは許さない。【エディデヤの娘】は渡さない。

 フギンによって奪われた名誉と地位の復讐を、ムニンで晴らすのもどうかと思うが、如何いかんせん本人フギン不在なので仕方ない。それに、最後まで自分は双子の弟・イェンには勝てなかった。ついでに自分の弟の分の確執も八つ当たりさせてもらおうか。炎も双子鴉フギンとムニンの兄弟には敵わなかった。ムニンをれれば、必然的に自分がイェンの上に立てるというわけだ。


 …でも、俺は石黒ムニンのことは結構好きだぜ。生まれ変わったら、次はお前みたいな完璧な男になりてぇな。いや、翠みたいな綺麗な女になって、思いきり翻弄してやるのもアリか…いやはや馬鹿らしい。


 階段を上がり、今度は水密扉の裏の隠し通路を通って、エレベーターで機関制御室に降りる。青山の亡骸に挨拶し、昨日、手首を切断した充電式の電鋸電ノコを拾い上げる。翠には悪いがアンダーグラウンドの世界にドップリ浸かった人間は、誰かに救われた命でも、違う誰かの命を奪うことしか出来ないらしい。


 再び、リネン庫に戻って、ドアの切断にかかる。片手では支えにくかったが、膝も使って固定して、ドアを切断し、何とか部屋に侵入することが出来た。

 リネン庫内には金臭い血の匂いが充満していた。やはり、翠と白石の作ったワクチンは効果があるらしい。今となっては、不夜病罹患者の心をとろかす甘い血臭が懐かしく思える。

 パキッと音がして何か踏んだと思ったら、靴の下に白っぽく細長い棒のようなものがある。暗くてよく見えないが、靴の裏のデコボコした感触は乾いた血のせいか。


 …やっぱり、朱音は食われたのか。青山も高く評価していたさといオンナだったが。


 床に薄っすらと見覚えのあるブレザーとスカートのようなものも落ちている。その近くにある丸いものは…

 元は優秀な技術者の少女だった残骸をけて、奥に進むと、暗闇に仄白く見えるものがあった。


「茉白」


 うつ伏せの人影に呼び掛けるが返事はない。一つに括った白っぽい髪は、紛れもない食人鬼と化したあの茉白の頭だった。靴の先で体を持ち上げ、ひっくり返す。


 …こと切れてやがる。


 表情まではわからないが、丸太のように固く硬直した身体は生者のものではなかった。


 茉白の制服のポケットを探り、注射器と注射液の入ったバイアルを探す。注射器は掴めた数本を一気に取り出した。瓶は二つあったので、二つとも取り上げる。ポケットに仕舞おうとして、浴衣のような病衣にはポケットがなかったことに気づき、舌打ちする。


 …服も拝借しておくか。


 片手で苦労して着替えると、注射器と劇薬と思われるバイアルをポケットに忍ばせる。これを口と左手だけを使って吸い上げるのは一苦労だが、使い道のことを考えながら作業に励むのもまた一興。


 …待ってろよ、石黒奏汰ムニン


「お前は俺がもらっていく」

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