第27話 みんなを犠牲にしても【2Fプールデッキ】

 石黒はズボンのベルトを抜き取ると、気を失った朱音の両足首に巻き付けて、足の動きを封じる。


得救了助かったぜ、ムニン」


 棒を下ろした赤城が小走りで駆け寄って来る。手にした棒で石黒を攻撃するような素振りも殺気もなく、どうやら停戦したままのつもりらしかった。


「無事で良かったね、烈。それで青山は?機関制御室で何かあったの?」


 石黒がずっと気になっていたことを尋ねると、赤城は言葉に詰まったように黙り込んだ。その様子から良くないことが起ったと察する。


「まさか…」


他死了死んだ。葵衣に食われた」


 嫌な予感は当たってしまった。なぜ葵衣に?というのも気になるし、呆気なく人が死ぬ状況に、絶望にも似たくらい感情が湧き上がってくる。しかし、それよりも今、最も気になるのは自分達とこの船に関わる重大事項だった。


「エンジンは…?」


「不具合は除いてる。あとは元通り戻すだけだ」


「戻せそう?」


「俺には無理だぜ。こいつの方がまだマシ。詳しくはないらしいが基礎や原理はわかってる」


 赤城は床に横たわる朱音を見下ろして言った。


「そう…葵衣ちゃんは?」


「アレは狂笑症が進んでた。手遅れだからワクチンは効かない。俺が始末しといた」


「殺したの?」


「朱音も危なかったんだ。しゃーねーだろが」


 赤城の言うことは全てを信用できるわけではないが、この期に及んで嘘をつく必要もないので、おそらく、青山の死も葵衣の死も本当のことだろうと思われる。殺人デスゲームに相応ふさわしく、自分と同じ立場、同じ年齢の異母兄弟達が次々に亡くなっていく。そのことを実感し、今更ながらゾッとなる。渦中にいてもなお信じられない…信じたくなかった。そんな石黒の気持ちを知ってか知らずか、赤城は話題を変えてきた。


「そっちは?ワクチンは大丈夫なのか?」


「あとちょっとだよ。今、白石が番をしてくれてる」


「天野翠は?あの子は食人鬼化しなかったのか?」


「したよ。だから、拘束して操舵室に閉じ込めてる」


翠公主プリンセスは無事か…太好了良かった


 赤城は心から安堵したように呟く。その様子を見て、翠と他の女の子との扱いの違いに違和感を覚えた。


「烈…もしかして、翠ちゃんのこと好きなの?ワクチンが出来たら用済みなのかと思ってたよ」


你在说什么何言ってんだ。天野翠にはバカでかい利用価値があるだろが。何なら和邇士郎に高く売りつけてやってもいい。顔も体も好みだし、気位が高そうなのもいい。あの子は俺がもらう」


「そんなことはさせない!」


你打心眼儿里喜欢她お前もゾッコンってか。まぁ、天然ものの超優秀な遺伝子にゃ逆らえんわな。和邇の子なら当然」


「なに?どういうこと?」


あれ?もしや、ムニンは知らねぇのか?情報無くても、名うての花花公子スケコマシまで陥落させるとは…やっぱ知恵の愛し子バット・エディデヤハンパねぇな」


 赤城は石黒をあざける感じではなく、ただ感嘆の声を上げたようだった。赤城はいったい翠の何を知っているというのか…


 その時「うぅ…」というくぐもった声が下方から聞こえ、朱音の意識が戻りかけているのに気づく。可哀想だったが、再度、頸動脈を圧迫し、寝ていてもらうことにする。


「お前、ホント首締めんの慣れてるよな。俺も締め方教えてもらいてぇ」


 赤城が関心したようにうなったが聞き流しておく。こんな傷害致死と紙一重な特技を褒められてもちっとも嬉しくなかったし、赤城に塩を送るのは真っ平御免だった。


 …きちんと拘束するまでは、朱音ちゃんに逃げられないようにしないと…


 研究室に戻れば、翠を縛ったラボテープの残りがある。ワクチン接種が終わるまでは赤城も一緒にいるだろうから、見張りの目も三人に増やせて交代できる。それに、何より怪我を負った白石の安全を守れるようにしておかなければならない。とりあえず、これから研究室に戻ることを提案すると、赤城も合理的だと判断したらしく、あっさりと了承した。


 赤城が2階廊下に繋がるドアを開け、朱音を抱き上げた石黒が後に続こうとした…その時。


该死くそったれ!」


 怒声が響き、赤城の取り落とした棒が床に転がる金属音が続く。

 赤城は必死で侵入者を蹴りつけてドアを閉めようとしていたが、ドアの外にいたらしい相手は赤城と一緒にドアの隙間に華奢な体を滑り込ませるように入って来ると、プールデッキ側に姿を現した。


「アアアアアアァ」


 侵入者…茉白ましろは赤城の右手に噛みつき、赤城は苦痛の叫び声を上げている。


 …手はマズい!指を噛みちぎられてしまう…


 朱音を床に下ろし、急いで赤城と茉白の元に向かう。暗くてぼんやりとしか見えないが、茉白はガッチリと手を咥え込んで離さず、頭を左右に動かし、赤城の手を引きちぎる気でいるようだった。赤城は左手で必死に茉白の頭を殴っているが、痛みで混乱しているのか、たいしたダメージは与えられていない。辿たどりついた石黒が茉白に足払いをかけると、茉白はようやく口を離して、赤城を解放した。


「烈、動ける?下がってて」


「うぅ…」


 赤城は右手を押さえながら、ヨロヨロと茉白から距離をとる。赤城はかなり出血しているらしく、血の濃ゆく甘ったるい香りが辺りに漂い、床についた靴底が気味悪くぬめるのを感じた。


「石黒。そいつ、メス持ってるぞ。近寄んな。落ちてる鉄パイプ使え。先を尖らせてあるから」


 赤城の声にハッとして、しゃがみながら後ろに下がる。間一髪で、茉白がこちらに伸ばしてきていた腕が空を切った。


 …これは…


 茉白は翠や朱音よりも背が高く、手足も長く、その上、遥かに敏捷だった。さらにメスという武器まで持っている。茉白の様子を窺いながら、石黒は赤城の落とした鉄パイプを何とか拾い上げる。それは赤城の言うように片側が斜めに切り落とされ、ちょうど竹槍のようになっていた。

 石黒がパイプ槍の先端を茉白に向けると、危険を察知したらしく、茉白は動きを止めた。代わりに射るような鋭い視線を向けてきたのを感じる。


「茉白ちゃん、話がしたい」


「話すことなんてないわ」


「聞いて欲しい」


「嫌よ。私は絶対に生き残る。みんなを犠牲にしても私だけは帰るの。私を待っている人がいるの」


「生きていたいのも、待っている人がいるのも、君だけじゃない!」


 茉白は石黒の言葉には何も応えず、するりと後退あとずさると、再び赤城の方に向かった。茉白は髪を一つに束ねていたので、夜目に薄っすら仄白く長い髪がまるで尻尾のようにひるがえる。赤城が逃げ出そうとするのを背後から手を伸ばし、背中から腰の方へ向かって切り下げた。


「ウウウッ」


 切られた赤城が床に膝をついてうずくまった。苦痛の呻き声が聞こえる。茉白は赤城の背中に右足を載せて、ギリギリと踏みつけている。


「やめろ!」


「やめないわ。こいつには酷い目に合わされたの。それにお腹もペコペコよ。早く食べたいの。食べなきゃ死ぬの。邪魔しないで」


「みんなで助かる方法があるんだ」


 追いついた石黒が何とか聞いてもらおうと呼びかけたが、茉白は聞く耳を持たず「騙されないわ」と、鼻で笑った。


「私は不夜病をよく知っているの。時間もないのに全ては無駄な足掻あがきよ。こんな海の上で助かる方法なんてないわ。不夜病は人を食べ続けないと死ぬの。ヒトのタンパクをより多く長く摂取していたものが生き残るの。もう血だけじゃ駄目。肉もたくさん食べなきゃ」


「だから…お願いだ!聞いてくれ!」


 石黒が赤城の体を蹴りつけている茉白に必死で話そうとするが、茉白は不意に振り向いて、酷薄なわらい声を上げた。


「ごめんなさいね、石黒くん」


 …なに?僕は何か判断を間違えているのか?


 茉白は渾身と思える力で石黒を突き飛ばすと向きを変えた。助走をつけて、大きく跳躍し、ひらりと着地を決める。朱音の傍に。


「駄目だ!やめろ!」


 茉白の意図に気づいた石黒が叫んだ時にはもう遅かった。茉白は意識のない朱音を軽々抱えるとドアに向かって疾走する。石黒は茉白の背中に向かって鉄パイプを投げつけるが、それは茉白には届かず、鉄パイプは虚しく床に落ちて転がった。

 そして、その間に朱音をさらった茉白は暗い廊下の闇の中に溶け込むように消えて行った。

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