第四章:海を山にする(赤城烈)※残酷描写あり

第19話 マジ愛してるぜ【1F機関制御室】

 機関制御室で青山と一緒にエンジン修理作業をしていた【赤城あかぎれつ】は、突然の来訪者に驚いた。


 …石黒と朱音?何しに来たんだ?


 A級諜報員エージェント【レイヴン】の息子の一人とは、以前、某国の軍需工場でかち合ったことがあった。結果は…赤城の所属する紅漣幇マフィアの幹部らが充分警戒していたにも関わらず、とある重要な機密事項を盗み出され、莫大な損害賠償請求をされる羽目に陥った。一方の柔和で洗練された雰囲気と鍛えあげられた身体を持つ端正な美貌の貴公子は、男女問わず某国の軍関係者だけでなく紅漣幇側の人間までも虜にして、用が済んだら鮮やかに消え去った。


 赤城こと烈炎の【リィエ】が、紅漣幇の女帝・玉梅の三人の息子のうち、出生順では一番上にも関わらずNo.3に甘んじることになったのは、この大きな失敗が尾を引いている。しかし、そのエージェントの息子【フギン】と瓜二つの石黒という少年はどうやらフギン本人ではなく、その弟らしかった。だからと言って、小憎らしいのには変わりなかったが。


 何はともあれ、この和邇士郎の趣味の悪い殺人デスゲームには対処の仕様が無く、誰かと協力して乗り切れるものならそうしたいというのが今の赤城の本音だ。

 そして、不夜病に罹患し、船が壊れているという絶望的な状況の中で、微かな希望の光が見えてきていた。

 不夜病については、気の強そうな天才遺伝子学者の遺児・天野翠が「私が不夜病ウィルスに対抗する遺伝子組み換えウィルスを元にワクチンを作る。みんなを食人鬼化させない」と宣言した。

 船の修理は乗り合わせていたSANDORAの誇る機械工学の専門家が着々と直している。エンジンの修理を担当する青山が「オーバーホールまではしなくて済んだし、明日か明後日には直るだろう」と、言っていた。


 …しかし、ワクチン接種後の状態はわかんねぇって話だからな。エンジンは直しとくに越したことはねぇ。


 実は、逃げ出してしまった朱音の代わりに、手先の器用さには自信のある赤城も、今朝からエンジンの修理を手伝っている。青山は「赤城は意外と几帳面で筋がいい」と絶賛してくれた。体格で劣り、得意とする暗器や毒物を持ち込めなかった丸腰の赤城が、身体能力の高い石黒とマトモにやり合うのはどう考えても不利だった。そこで、体格が良く格闘技経験があるという青山に近づいたのだが、思いがけず青山とは気が合い、この異常すぎる船上生活も実はわりと楽しく過ごせていた。


 …しっかし、とにかく時間がないってのに逃げやがって…この馬鹿オンナ。途中からはお前には、手ェ出してなかっただろうが。


 赤城は逃さないように「忙得四脚朝天猫の手も借りたいんだっての早く早く早く!」と、朱音の腕を引っ掴んだ。そして「言葉わかんないよ」とぼやく朱音を怒鳴りつけた。


「は?言葉がわかんないだぁ?急げっつーの!青山の指示で動け」


 朱音が次に何か言う前に首根っこを捕まえて、青山に向かって放り投げる。小柄な朱音は青山の背中にぶつかると、青山に引き寄せられ、そのまま工具らしき何かを渡されて、すぐに作業を命じられていた。一人残された石黒は困惑したように話しかけてくる。


「乱暴にしなくても朱音ちゃんは手伝ってくれるよ。あのさ、ちょっと話をさせてもらいたいんだけど、いいかな?」


ハイハイハイ。ただし、作業しながらだ」


 赤城も巨大な船舶用ディーゼルエンジンの前にさっさと戻る。とにかく今は時間が惜しい。辺りに散らばる外されたカバーや大小の様々な部品を避けながら急ぐと、石黒も後から追って来ていた。

 作業場所に戻った赤城は部品を一つとり、自分の手元に視線を落としたまま、問う。


「で、遺伝子組み換えワクチンはできたのか?」


「あとは不純物を除くだけだよ。今夜中に完成する」


 石黒の返事を聞いた赤城と青山は思わず「おおーっ」と、歓声を上げる。

 赤城と目が合った青山はキリッと引き締まった相好を崩して笑っていた。それを見た赤城も思わず笑みがこぼれる。ワクチンの存在は心強い。何よりも正気を失うという恐怖から解放されるのが嬉しかった。


「助かるんだな、俺達」


 青山がほっとしたように呟いた。


我非常爱翠翠マジ愛してるぜ


 あの綺麗な翡翠色の目の少女は容姿だけでなく、科学者としての頭脳や技術も超一流だったということか。初めて見た時から、可憐で凛としたたたずまいにかれてはいたが、和邇士郎が惚れ込んだ世界中の企業と研究所の垂涎の的であろう優れた才覚を知り、ますます手に入れたくなる。


 …船から降りたら速攻眠らせてかっさらおう。他の奴らに先を越される前に。


「でも、ワクチン打ったら熱が出てしんどくなるらしいよ」


 手放しで喜ぶ赤城と青山に対し、遠慮がちに石黒が補足した。翠からも聞いていたが副反応は覚悟している。多少の発熱や倦怠感があっても、食人鬼化に比べたら許容できないことはない。正気を失う不夜病の脅威がどれだけ恐ろしいプレッシャーになっていたかを実感する。


「できたワクチンは僕がここに運ぶ。ちゃんと三人分。だから、絶対に朱音ちゃんに危害を加えるな」


 それを聞いた青山が何か言いかけて口を閉じた。石黒が青山に何か問うていたが、青山は「いや、何でもない」と言う。


 …そりゃ、言えねぇわな。さて、どうすっか。


 赤城達の思惑を知らない石黒は話を続けることにしたらしい。頭一つ分くらい背の高い石黒は念を押すように赤城の顔を見下ろして言った。


「わかってると思うけど、明日には女の子が食人鬼化する。でも、ワクチンを打って半日経てば、ワクチンのウィルスと拮抗して食人衝動はおさまる。船を動かすには朱音ちゃんの力が必要だ。絶対に朱音ちゃんを食うなよ、赤城。勿論、の意味でも」


不用你说言うまでもねぇ。さっきも言ったろ?猫の手も借りてぇっての」


「そう。その…時間がないってことなんだけど、悪いお知らせがあって…朱音ちゃん、言ってもらっていい?」


 朱音がゴクッと唾を飲む音が聞こえた。何のことかはさっぱりわからない。赤城が見守る前で朱音は手を止め、緊張した面持ちで口を開ける。


「この船の電気…あとちょっとしか持たないかもしれないと思うの」


 それを聞いた途端、「アッ」と叫んだ青山が顔を押さえてうめいた。


 …電気が持たないって…何のことだ?


「今日で3日…非常用電源か!何でもっと早くに…お前、気づいてたなら言えよ!何で今頃言うんだ、馬鹿野郎!」


 顔を上げた青山が朱音をにらんで怒鳴りつけた。朱音はおびえたようにビクッとなったが、即座に青山に言い返した。


「気づかなかったのは青山くんも同じでしょ?あたしも気づいたのは今朝なの。それで…機関制御室と操舵室、それと研究室と医療室だけ残して、停電させようと思うんだけど…」


「今すぐやってくれ、頼む」


 青山は朱音に頭を下げ、朱音はさっと立ち上がって、制御盤コントロールパネルらしいモニターやボタンの並ぶ機器の方へ走って行った。それを目で追いながら「どういうことだ?」と、青山に尋ねる。青山は深刻そうに顔をしかめ、唇を噛んでいた。


「航海中の船はディーゼル機関で発電する…要するにエンジンが電力源だ」


「今、電気ついてんじゃん」


「今は非常用電源に切り替わってて、現状のままだと電力が持つのは…おそらく今日までだ」


 それを聞いた赤城は絶句した。数秒沈黙した後、我に返り、激しい口調で青山に問う。


「エンジンまだ直らねぇだろ?電気ないと修理もできねぇよ。どうすんだよ?」


「だから、今、朱音が不要な場所を停電させてる。とにかく作業を急いで、電気が完全に落ちるまでにエンジンを稼働させるぞ」


「何でもっと早くから停電させとかなかったんだよ!」


「俺はそっちの電気系統は専門外だから、そこまでは頭になかった。朱音をラリらせたのは赤城だろが」


他妈的クソッ。人のこと言えねぇだろ、お前も」


 青山と睨み合ったが不毛なことに気づく。思わずため息が出た。青山が石黒を見て言った。


「エンジン修理はできるだけ急ぐ。ワクチンができたら研究室の電気も止めていいか?」


「翠ちゃん達に聞いておくよ。また返事する。僕も女の子達に無事ワクチンが打てる目処が立ったら、こっちの手伝いに入るよ。ワクチン接種が終わったら皆で取り掛かろう」


「頼む」


 青山はそう言うと、再び作業に没頭し始めた。赤城はそれを横目で見ながら「茉白を探せよ」と石黒に言う。


「そのつもりだけど、なんで?」


 …葵衣はから探さなくていいんだよ。お前らにゃ言えねぇけどな。


「茉白はどこで見つけたのか知んねぇけど、船内図を持ってた。不夜病の知識もあるし、油断なんねぇ。俺さ、あの後、医療室を物色したけど、使えそうな刃のついた道具も劇薬のたぐいも持ち出された後だったわ。お前フギンじゃないなら、茉白だよな?」


「持って行ったのは茉白ちゃんだよ。それと、僕はムニンだよ、リィエ


「もうどっちでもいいぜ」


「ひどいな」とちた石黒は、その後、真剣な面持ちで赤城を見て言った。


「それじゃ、日が落ちる前に朱音ちゃんをきっちり拘束しときなよ。いつ食人鬼化するかわからないし、なったらなったで、どう動くか予想つかないから」


「合点承知之助」


「…烈って、結構日本好き?よく知ってたね」


「半分は日本人だからな」


 そう返した赤城は部屋を出て行く石黒の背に向かって「行ってらっしゃーい」と、声を掛けた。

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