第12話 黙れ、いかれポンチ【医療室】

 3階スイートルームに入ると、部屋の中央のダブルベッドに眠り姫ばりの美少女が寝かされていた。茉白という名に相応しいプラチナブロンドの美少女は遠目で見てもわかるくらいに全体に色素が薄めだった。


「ちょっと血色悪いね。怪我はなさそうだけど…」


 石黒が茉白の手首を掴み、脈をとる。


「眠ってるだけかな?体温も低いような…」


 白石は石黒に言われた通りに、ドアが閉まらないように体を挟ませ、見張りも兼ねて、入口で待機している。客室は外側からは自由に入れるが、内側から出るにはパスワードで解錠しなければならないという通常と逆のシステムになっているらしい。「パスワードを知らないとオートロックで部屋に閉じ込められちゃうんだよ」と、石黒が説明してくれた。


 …客室をおり代わりにするなよな。和邇士郎、マジで悪趣味だな…


 白石はこんな部屋を作った生物学上の父親に心の中で悪態をつく。


「おい、どうするよ?赤城が戻って来たら厄介だぞ、早くしろ!」


 白石は抑えめの声で石黒に告げた。グズグズしてると何が起きるかわからない。赤城と朱音の行った4階操舵室は独立したフロアーで、そこから白石達がいる客室フロアーまで来るには、4階直通階段を使って2階に降り、廊下を通った後に中央階段を3階まで上がるしかない。しかし、赤城が怖くて仕方のない白石は、戻って来た赤城と鉢合はちあわせるのではないかと気が気でなかった。


「参ったな。僕はここにいるのは葵衣ちゃんだと思ってたんだ」


「へ?」


「【Sサロゲート】の医療者の葵衣ちゃんなら、彼女に医療室を任せられた。何かあった時は僕らが手伝ったり…必要なら翠ちゃんを呼んでレスキューしてもらえば事足りると思ったんだ。翠ちゃんはお母さんのDr.天野に言われて、応急処置を一通り叩き込まれてきたらしいから」


「で?茉白ちゃんなら、何が駄目なんだ?」


「茉白ちゃんは医療の知識は君と同じ程度しか持ってない。それにオリジナルの動きは読めない。助けても敵になるかもしれないのに、茉白ちゃんを助けるために草野に医療室を教えるのは割に合わない…」


「えっ?見捨てんのか?」


「あー、もう。君って奴は!わかったよ!」


 石黒はガシガシ頭をくと、茉白の背と膝下に腕を回し…いわゆる【お姫様抱っこ】を軽々とやってのけた。白石にはとてもそんな芸当はできない。よろけて、落っことすのが目に見えていた。


 …いちいちカッケーのがムカつくな。


 白石が思わず「チッ」と舌打ちすると、石黒が真顔で「翠ちゃんには茉白ちゃんをお姫様抱っこしたこと言わないでね」と、のたまった。


「は?なんで?」


「嫉妬されたら困るよ」


「翠ちゃんと付き合ってもいねぇのに自意識過剰なんだよ、お前は」


「でも、それで女の子達がモメたことあるんだよね」


「黙れ、いかれポンチ。行くぞ」


「白石…?それ、どういう意味?」


 怪訝けげんそうな顔の石黒を無視して、白石は「早く出ろ!」と、小声で怒鳴った。


 数分後。

 白石と茉白を抱えた石黒は中央階段を降り、2階のセレモニーホールⅡを目前に少し離れた所で立ち止まった。


「もし、赤城がいたら一人で入って、すぐにドアを閉めて。僕はここから離れて食堂に向かうよ。君は適当に何か喋って時間を稼いでから退室して欲しい。大丈夫。君は必要な人材だから赤城は絶対に危害を加えない。誰もいないか、草野だけならドアを開けて待ってて」


 石黒は白石の耳元で小さく囁いてきた。白石は了解と言う代わりにコクコクと頷く。


「白石にかかってるんだ。頼むよ」


 …おう。石黒の信頼に応えたい。


 大きく息を吸って吐く白石を茉白を抱えた石黒が見守っている。そっと、重厚感のある立派なドアを開け…白石は廊下を振り返った。


「入れ、石黒」


 そこにいたのは草野一人だけだった。

 三人が入室すると、「その子って…茉白ちゃんだよね?」と、草野は仰天した様子で座っていた腰掛けから立ちあがり、口をパクパクさせている。石黒は穏やかな口調で草野に声を掛けた。


「そう。悠木茉白ちゃん。具合悪いみたいなんだけど、てもらえるかな?草野先生」


「草野でいいよ。本当に…ちゃんと助け出したんだ。スパイって凄いね」


 草野は今までとは全く違う気弱だが穏やかな微笑みを見せ、石黒を褒めたが、石黒は茉白を床に下ろしながら草野の言葉をアッサリと否定した。


「違うよ。僕が助けたんじゃない。茉白ちゃんを助けたのは白石」


「えっ?俺?」


「白石がいなきゃ、茉白ちゃんは助かってないよ」


「そうだっけか?」


 白石が首をかしげていると、草野が「二人とも凄いな。僕は…もうどうしたらいいのかわからなくて、ずっとここでボーッとしてたよ」と、小さくため息をついた。


「じゃ、今からはお前が働けよ。茉白ちゃん、どうなっちゃってんのかわかる?」


 白石が尋ねると、草野は茉白の腕に触れたり、まぶたをこじ開けてみたり、いかにも医療者らしくテキパキと観察し始めた。


嗜眠しみん、皮膚冷感、血圧低下もありそう。心拍数は…うーん…正常範囲かな。でも、呼吸抑制があったら怖いな。とりあえず酸素吸入させたいんだけど、酸素は使える?」


 草野の迫力に、石黒は目を丸くして気圧けおされたようにうなずいた。


「確か医療室の壁に酸素吸入装置が設置してあったよ」


「じゃ、2リットル流そうか。あとは酸素飽和度次第で流量増やして」


「そんなこと言われても僕にはわからないよ」と、石黒は肩をすくめた。


「白石君は?」


「俺にもわかんねぇよ」と、白石も首を横に振る。


「え?じゃ、茉白ちゃんどうするんだよ?」


 批難するような声を上げた草野の姿を目にして、石黒と白石は顔を見合わせた。思わず笑いが込み上げてくる。


 …こいつ、ちゃんと医者やってんじゃねぇか。


「医者は草野しかいねぇ。お前がやれよ。頼むぜ、草野先生」


 草野は一瞬動きを止めた後、噛みしめるように「認めてくれてありがとう」と言って、ポロポロと涙をこぼした。


 部屋を出る前、用心深い石黒の指示で、草野と白石はタオルとネクタイを使って目隠しをさせられた。石黒は「下手に医療室へのルートを知ってると、赤城に追求された時にボロが出る。むしろ、本当に知らない方がいい」と、言っていた。二人とも石黒の提案に異存はなかった。


 茉白を抱えて先頭を歩く石黒のシャツを白石が掴み、白石のシャツを草野が掴んで、廊下を移動する。草野の情報によると、赤城は朱音を操舵室に送り込んだ後は、機関室エンジンルームの青山の進捗しんちょく状況を聞いて、今後の相談をすると言っていたそうだ。そして、機関室は1階にあり、こちらは2階から直通のエレベーターを使用するらしい。石黒は「2階さえ離れてしまったら、今の方が鉢合わせる可能性は低いかな」と、すぐに出発することを決定した。


 階段を使ったり、エレベーターを使ったりと、グルグル回らされ、何階かどこにいるのかもわからなくなった状態で辿たどり着き、目隠しを外すように言われて、周りを見ると、診療所のような部屋にいた。白石は狐に化かされたような気分でぼんやりしていたが、草野はすぐに茉白への治療を開始した。草野の見立てでは、茉白の症状はモルヒネに似た麻薬の過剰投与疑いで、命に別状はなく、明日には完全に回復するらしい。


「草野、信用していいんじゃね?」


「そうだね。でも、翠ちゃんみたいに草野もここから出ないでもらうよ。たぶん、草野もその方が安全だと思う。赤城と会わなくて済むし」


石黒は白い自動扉を指差して、「どうせ、あの自動扉は生体認証システムで登録者じゃないと開かないし、僕が使ってる方はパスワード知らないと動かせないよ」と言った。


「ちゃんと本人の了承を得ろよ」


「わかってるよ。でも、そのうち君も研究室に閉じこもっちゃうんだよね。こうやって話せなくなるのは残念」


「ま、ウィルスの培養が始まったら危ねぇからな」


「でも、翠ちゃんには手を出さないでね」


「あー、まぁ」


「何だよ、その返事」


 …石黒には勝てる気がしねぇ。それに、俺はお前のことも大事になってきてるしさ…


 白石は空いていた医療用ベッドにダイブした。枕に顔をうずめて呟く。


「早く終わんねぇかな」


「だね。船を降りたら僕のイチオシの女友達オンナ紹介するよ」


「は?俺はまだ、翠ちゃんを諦めたとは言ってねぇぞ!」


 白石が白い枕を引っ掴んで投げると、憎らしいことに石黒は胸の前で綺麗にキャッチしてみせる。


「アハハ。やっぱ駄目だったか」


 …クソ。こいつ、マジうぜーわ。


「病人いるし、器材壊れちゃうから暴れないで」


 本当は職務に忠実で、ちょっと神経質だったらしい草野医師が、調子にのって【キャッチボールde枕】を始めた石黒と白石を見咎みとがめて、注意した。

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