第11話 ナイトプールか。金持ちの道楽だね【2Fプールデッキ】

 血を飲んできたらしい草野と朱音がセレモニーホールⅡに戻って来ると、すぐに赤城が動いた。朱音の腕を掴んで「お前は俺と操舵室に戻るぞ。明日の日没までに何とかしろ」と、のたまった。朱音は困惑した様子で赤城を見上げている。


「無茶言わないで。まだ、どの程度の故障かわからないのに…」


「またご褒美やっからさ。気持ち良かったろ?」


 朱音はそれを聞くと血相を変えて、両手で赤城の口を塞いだ。


「わ、わかったから、ここで言わないで!石黒くん白石くん、またね」


 朱音は急に焦りだし、セレモニーホールから出て行った。続いて「我先走了お先に」と言い捨てた赤城がその後を追う。


 …まさか、朱音ちゃんに…


「なぁ、石黒。あれって…」


「そうかも。でも、今はどうしようもない」


 石黒は一瞬、沈鬱な表情を浮かべたが、すぐに消し去ると草野の方をちらっと見た。


「君は赤城と一緒に行動しなくていいの?」


「え?なんで?」


 草野は意外だというような顔で石黒を見返した。


「僕は白石君について行くよ。その方が危なくなさそうだし…赤城君って乱暴でちょっと怖いよね。駄目?」


「俺は別にいいけど…」


 白石はそう言ったが、石黒は即答せず、腕組みをして難しい顔で考え込んでいた。


「草野は葵衣ちゃんの居場所知らないよね?」


「ごめん。わからない」


 石黒は草野をじっと見つめて言った。


「君は赤城が何者か聞いてる?」


「知らない。不夜病のこともあるし、初日は様子を見るために、みんなとは別行動をとった方がいいと思って。食料を分けてもらってから今朝まで、赤城君とも誰とも会わなかったんだ」


 草野の言っていることにおかしな点は見受けられない。そういえば、昨日、赤城も同じことを言っていた。


 …草野は夜は一人になりたいと言って出て行ったんだっけ…


「悪いんだけど、僕は君が信用できない。君はオリジナルだから、和邇士郎の後継者選びのことを母親から聞かされているよね?君の知ってることを教えて欲しい。僕はSANDORAのエージェント候補生で…いわゆる産業スパイ。僕達は後継者には興味なかったんだけど、母さんが人質にとられて強制参加させられた」


「スパイ?」


 草野は眉をひそめた。白石に助けを求めるように視線を向けて問う。


「白石君、石黒君がスパイって知ってた?」


「おう。初日に聞いてた。スパイって、今まで映画とか漫画でしか見たことなかったけど、いろんなこと知ってるし、何だかすげぇよ」


「そっか…白石君がそう言うのなら大丈夫なのかな」


「まぁ、何かとマウントとってくるのはちょっとウザいけど、赤城と違って、石黒はそう悪い奴じゃないぜ」


 それを聞いた石黒は「白石…ちょっとウザいって思ってたんだ、僕のこと」と、複雑な表情で呟いた。草野はそのやりとりを見て、少し安心したようだった。


「僕は大学を卒業したら、SANDORAの医療部門を統括するために、海外のいくつかの医療系大学を回って最先端の指導を受けてたんだ。それが、先月になって、急に呼び戻されて、和邇士郎の後継者候補になったと聞かされた」


 母親から聞かされたのは、得意分野の能力をいかんなく発揮し、後継者としての優秀さをアピールするようにということだったらしい。実際は船上の殺人デスゲームに放り込まれて、途方に暮れるしかなかったのだと言って、ため息をついた。


「医療設備なんかないと思ってたし、不夜病なんて…僕にどうにかできるわけないよ。でも、白石君がいるなら、何とかなるよね?僕、白石君についていくよ。何でもするから医療室に案内してよ」


 草野は愛想良く微笑む。しかし、石黒はニコリともしなかった。


「…選ばれるのは一人だけ。何をしてもいいから生き残れって、母親から聞かなかった?」


「でも…こんなことだとは思わなかった。怖くてたまらないよ」


「うん。医療者って怖いよね。呼吸抑制や意識消失させたり、心臓の動きを狂わせるような薬も扱える。太い注射針や鋭い切れ味のメスがあったら武器になるのかな?」


 草野の顔色が変わった。


「そんなこと…しないよ」


「ごめん。何も知らない【Sサロゲート】の白石や葵衣ちゃんなら信じられるんだけど、オリジナルは何を知らされてて、何を目論もくろんでいるのかわからない。それに君は赤城をそんなに警戒していないように見える。赤城は何をするかわからない怖さがある。普通の神経なら白石のように怯えて避けるはずなのに、おとなしく腕を出し、針を刺すことまで許した。仲間だからか、従わなければならない理由があるのか…」


「僕だって、赤城君は怖かったんだ!でもさ、葵衣ちゃんはどこにいるかわからないよね?生きているか死んでいるのかも。今いる医療者は僕だけだ。石黒君達に何かあった時のために、医療設備の場所だけは教えといてくれないか?」


 今までの他力本願で気弱な様子から一変し、草野は必死の形相で言い募る。さすがの白石も草野が何かおかしいことに気づいた。


 …もしかして、赤城に医療室の場所を探るように命令されているのか…?


「草野、やっぱり僕は君を信用できない。ほんと、ごめん。でも、不夜病の対処法がわかったら必ず君にも知らせるから。僕はもう殺人デスゲームで誰も死なせたくないんだ。信じて欲しい」


「医療室の場所を教えてもらえないと、赤城に殺されちゃうんだよ!僕も連れて行ってよ!」


「それは無理だ。今の君は医療者じゃなくて、赤城の手下だ。翠ちゃんやみんなを危険にさらすわけにはいかない。怖いなら君も逃げて。茉白ちゃんみたいに」


 石黒は申し訳なさそうに目を伏せると、白石を促して、セレモニーホールⅡを後にした。


「ちょっと可哀想じゃなかったか…草野」


 黙って先を急ぐ石黒の背中に向かって、白石が声を掛けると、くらをした石黒が振り返った。


「ああいうタイプに同情していると裏切られるよ。草野は自分の医療技術を役立てる気はないから。葵衣ちゃんの生死もどうだっていいし、朱音ちゃんのことも知らんぷりだ。不夜病だって君に丸投げだったじゃないか。何でもするって?いったい何する気なんだい?不夜病の症状を緩和させるために医療を提供したいって言われてたら、僕は喜んで案内した」


「でも、俺だって何もできてないぜ。何の役にも立ってない。美墨ちゃんを見殺しにした。朱音ちゃんだって…見捨てたも同然だろ」


「でも、君は傷ついてる。うしろ暗いはずなのに美墨ちゃんのことを僕に教えてくれた。見ぬふりはしてないんだ。僕にはわかる。僕も同じだったから。動けなくて仲間を見殺しにして、あの日…僕だけ助かった」


 石黒は淡々と話していたが、白石にも石黒の心の痛みは伝わってきた。無力で臆病な自分…罪悪感にさいなまれる感覚。石黒にも辛い過去があったのだろうと察する。


「朱音ちゃんは操舵装置が直るまでは殺されないよ。助け出す方法を考えよう。クスリを使われてたら…本人に頑張って薬断ちしてもらうしかないけど」


 石黒は表情を改めて白石を見た。


「あのさ、ちょっと確かめたかったことがあって…案内してくれないかな?」


「どこに?」


「美墨ちゃんが最後にいた場所」


「…わかった。そこ、真っ直ぐ行って、突き当りを左だ。そしたら、プールデッキに出るドアが見える」


「白石も一緒に来てもらっていい?辛くない?」


「辛いというより、怖いぜ。行くけどさ」


 石黒は「君のそういう所が僕は好きなんだ」と言って、笑った。


 ジャグジー横プールサイド。

 倒れたデッキチェアもそのままに、水色に塗られたコンクリートの床には今朝見た通りの黒く乾いた血痕がしっかりと残っていた。人が亡くなった事実にゾッとする。


「美墨ちゃんはこっちに逃げて…ここから落ちた」


 石黒は手摺てすりに続く血痕を辿たどり、白石に確認した。今朝の白石がやったように手摺てすりから海を見下ろしている。白石は美墨の血の跡も、遥か下の海面も見たくなくて、少し離れた所から「そう」とだけ答える。美墨の最期を思い出し、胸が苦しくてたまらなかった。


「あのさ、美墨ちゃんって、どこからプールデッキに入ったのかな?」


「え?ドアからだろ?」


「ほんとに?見たの?」


「いや、見てない」


「君が見た時、どんな状況だったの?」


「えーと、プールの方から美墨ちゃんと赤城の声がして…大きな水音がしたから…俺、そこのジャグジーに隠れてたからさ…」


 白石は昨夜過ごしたジャグジーを指したが、その時、石黒は全く反対の方を向いていた。そして、振り向くと怪訝けげんそうに白石に問うた。


「水音って?何の?」


「はぁ?プールに決まってんだろが」


「水、ないよ」


 石黒の言葉に驚き、白石がプールの方を見ると、満タンではなかったものの、昨夜はそれなりに溜まっていたプールの水が消えていた。


「いや、あったんだって。美墨ちゃんはびしょ濡れで背中に髪がはりついてたし、赤城はデッキチェアごとプールに落とされて、ザバンって水が跳ねて…」


「夜なのによく見えたね」


「夜はライトついてんだよ」


「…ふぅん。ナイトプールか。金持ちの道楽だね」


 そうちた後、石黒は真面目な顔になって、メインプールの真上…建物の3階部分の出っ張っているバルコニーを指で示した。


「あのさ。昨夜、赤城がスイートルームに泊まってた可能性ってない?あれって、スイートのバルコニーだよね?」


「…泊まってた。赤城はスイートに泊まるって言ってたぜ…美墨ちゃんと」


 白石が答えると、石黒は白石の腕をガシッと掴んで、ドアの方に向かった。


「行こう」


「え?」


昨夜ゆうべ、美墨ちゃんはスイートルームのバルコニーから逃げ出したんだ。水が張ってあれば、あの高さなら充分飛び降りられる。プールの水を抜いたのは、きっと飛び降りられなくするためだ。今、あの部屋に誰か閉じ込められてるんじゃないか?」


 そう言って走り出した石黒の背を追って、白石も急いでプールデッキを飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る