第10話 女を食らいながら船を直すしかねぇんだよ【2FセレモニーホールⅡ】

 二人がセレモニーホールⅡの扉を開けると、そこにいたのは赤城、朱音あかね、草野の三人だけだった。


「おはよーさん。石黒先輩に白石も無事だったか」


 部屋にはいると、赤城がヒラヒラと手を振って迎えてくれる。赤城はクリムゾンレッドのゆったりしたマオカラーシャツと細身の黒パンツに着替えていた。それは、美墨の流した血で染まっているように思え、白石はゾッとなって後退あとずさる。


「どした、白石?」


 変化を見逃さず、赤城が目線を向けてくる。口角は上がっているが、目は全然笑っていなかった。


「あれ?人少ないね。みんなどうしたの?」


 すかさず石黒が赤城に歩み寄り、自然な感じで赤城の会話を引き取ってくれた。赤城は石黒に対して、素っ気ない態度で言い放つ。


「青山はずっと機関室エンジンルームにこもってるぜ」


茉白ましろちゃんはあれから一回も見てないけど、誰か知ってる?」


 石黒が赤城を含む全員の顔を見回すと、朱音、草野が首を横に振った。


「あたし、他の女の子とは会ってない。えーと…あの…昨日のことはちょっと曖昧なんだよね。今朝、起きたらここにいて、赤城くんと青山くんから【船が動くようにして】って、機械類の点検を頼まれたんだけど…エンジン、ヤバいね。あっち系に詳しい青山くんがいたから良かったけど」


 朱音が困ったような顔で石黒を見る。


「そっか。スイちゃんは無事だよ。あ、緑の目のセーラー服着てた子ね。別の所で作業してくれてる。詳しいことはそのうち必要になったら言うけど、彼女は科学者なんだ。ウィルスを変異させて、不夜病を何とかしようとしてくれてる。こっちの白石もワクチンを作れる研究者だよ。不夜病の対処はこの二人に頑張ってもらうつもり」


 石黒が告げると、白石以外の三人の目が見開いた。赤城が石黒の両腕をガッシリと掴んで、石黒の顔をガン見しながら何かを問うた。


真的吗ホントか?」


是啊そうだよ不要吃她彼女を食べるな


 何か答えた石黒の返答を聞いた赤城はシャープな顔をほころばせ、破顔する。白石が何て言ったのか尋ねると、石黒は白石にだけ聞こえるように声をひそめて、「本当かって聞かれたから、本当だから翠ちゃんを食べるなって言ったんだ」と教えてくれた。

 そして、石黒は再び赤城の方を向いた。


「でも…すぐには出来ない」


「え?どのくらいかかんの?間に合うのかよ」


「それは…わからない」


 石黒が赤城に答えると、ずっと黙って会話を聞いていた草野が怪訝けげんそうな顔をして、白石に尋ねてくる。


「ねぇ、どういうこと?僕ら、すでに不夜病に罹患してるから、今さら予防接種なんて意味ないよね?説明してくれる?」


「えぇと…俺もまだ聞いてないから詳しいことは言えないけど、遺伝子を組み換えて、新種のウィルスか罹患後にも効果のあるワクチンか…何かを作るんだと思う。俺はそれを培養して増やす」


「…え?そんなこと出来るの?白石君って、何者?」


「何者って…?WVIでワクチンの研究してる」


「WVIって…あのヴェルデ博士の研究所の?」


「そう」


「何でこんな所にいるの?」


「それは俺が聞きたい」


 白石はため息をついたが、草野は目を輝かせて、感激したように白石の両手を握った。


「宜しくお願いします。白石博士」


「なんだソレ?敬語やめろよ、白石でいいよ」


 草野は白石を信頼した様子で「僕にも出来ることがあるなら手伝わせてください」と言った。


 …あ。そういや、草野って医学部5年だっけか。


「そうだ。草野って、採血とか輸血とかってできる?」


「この船にそんな医療設備あるの?モノがそろってれば採血はできますけど。でも、輸血パックじゃなくて、採血した血を輸血するのは凝固するから無理です。それに感染症の問題もあるし、不適合やアレルギーに対応できるかはちょっと…」


「じゃ、輸血はいいや。あのさ、敬語やめろよ。俺ら同い年なんだし」


「あ、うん。じゃ、どうして採血が必要なの?」


「俺にはちょっとわかんないけど、草野は血が飲みたかったりしねぇ?」


「血…?アッ!」


 草野は大きな声を出した。驚いた顔で白石を凝視する。


「なんで…こんな…」


「やっぱそうなのか。朱音ちゃんは?」


 朱音に尋ねると、朱音も口をぽかんと開けたまま、言葉も出ない様子だった。おそらくは肯定…


「実は僕も今朝から同じ症状があるんだよね。赤城は?」


 石黒が隣にいた赤城に問うと、赤城もうなずいた。


「俺は…血が飲みたいってほどじゃねぇけど、みんなから旨そうな匂いがするような…なんか変な感じ」


 …赤城の症状が軽いのは昨夜、美墨の血を口にしたからか?でも、昨夜のことは覚えてない…?


「これって、不夜病の症状なんじゃないかな。僕は血を分けてもらったら、人に噛みついて血をすすりたい気持ちがなくなった。今は落ち着いてる」


 石黒が説明すると、草野と朱音が顔色を変えて、石黒に詰め寄った。


「喉が乾いてるの。お腹も減ってる。我慢できない」


「僕も飢餓感に耐えられそうにない」


「じゃ、草野は朱音ちゃんと赤城を採血をする。それで、草野と朱音ちゃんはその血をもらう」


 石黒が言うと、赤城が「何で俺が血をやらなきゃなんねぇんだよ。草野は?それか、石黒か白石のどっちかがやれよ」と、嫌そうな顔をした。


「我儘言うなよ。誰かさんみたいに考えなしに噛みつくと傷が残るし、痛いし、感染も怖いだろ。ここにいるメンバーで草野以外に採血できる奴いないし…」


 石黒はそう言いながら赤城をじっと見ていたが、赤城は石黒の嫌味には全く気づいていないようだった。


 …やっぱり、赤城は昨夜のことは覚えていない。


「僕はハサミで傷つけて、翠ちゃんに直接血をあげたんだ。でも、直接あげると反動が凄いからお勧めしない。傷も痛いし。白石は…よくわからないけど、美味しくなさそうなんだ…なんか効き目なさそうな気がして。ほら、匂い嗅いでみて」


 石黒は左腕についた傷を赤城に見せると、白石を引っ張って、赤城の前に連れて行った。赤城は白石に向かって、しばらくスンスンと鼻を動かしていたが「确实確かに」と呟いた。そして、石黒を振り向いてニヤリとした。


「あのさ、採血って静脈に針入れて、注射器を押さずに引いたらイケんだよね?俺、できるかも」


「え?君が?」


「静脈注射は慣れてっから。結構上手いよ、俺」


「…あぁ、そう」


 赤城の返事を聞いた石黒は翠の所から戻った時から下げていたメディカルバッグというロゴの入ったショルダーバッグを肩から外すと、部屋にあったアンティークテーブルの上にバッグの中身を取り出して載せた。そして、草野を呼んだ。


「必要そうな物を持って来たんだけど、これでいいかな?」


「針もこれならOK。注射器に皮膚消毒用アルコール綿…駆血帯くけつたいもあるね。腕置く枕は…まぁ、いいか」


 物品に大きな問題はなかったようだが、赤城が「注射器と針さえあればいいだろが。仰々しいな」と笑ったので、草野の顔が強張った。


「赤城君、ほんとに大丈夫?」


「イケるイケる。俺、手先の器用さには自信あっから」


 そして、赤城は草野から一通り指導された後、青ざめながら腕を出した草野からスムーズに採血してみせた。


「痛くなかったろ?」


「あ、うん。赤城君って、ほんとに採血上手いね」


「あんまり痛いと刺した時に起きちまうからな。針の入る痛みは鍼灸と大差ねぇはずだぜ」


「…え?」


 首をかしげる草野を意に介さず、赤城は呵々大笑していた。


 …気づかさずに注射するのか?マフィア怖ぇ…


 白石は震え上がったが、草野はそのまま聞き流すことにしたらしい。血を受け取った草野と朱音はこの場で、お互いがお互いの血を飲んでいるのを見たくなかったのか、別室に血を摂取しに行った。二人が出て行き、ドアが閉まってから、石黒は赤城に尋ねた。


「美墨ちゃんは?」


「知んねぇって言ってんだろ」


「昨夜、君が連れ込んだんじゃないのか?」


「…そのつもりだったけど、覚えてねぇ。全然」


 吐き捨てるように言い放った赤城の言葉に嘘はなさそうだった。


 …リセット症候群か…


葵衣あおいちゃんは?君が朱音ちゃんと一緒に眠らせてただろ?」


「確かに捕まえてた。でも、朝にはいなかった。そういうこった」


「葵衣ちゃんは医療者だ。今後、何かあったら医療処置をお願いすることになる。必要な人材だ」


「だーかーらー、葵衣は知らねって」


 らちが明かない。これでは葵衣が生きているか死んでいるかもわからない。


「それよりさぁ、研究室や医療室なんて、どこにあったんだ?場所を教えろよ。お前ら着替えてるってことはリネン庫も知ってたんだよな?【客用船内図】にはどこにも載ってないのに何で知ってた?」 


「何で君に教えなきゃならないんだ。食堂を空にして、食料庫に外側から錠前つけて入れなくしたのは赤城だよね?」


「おうよ。まぁ、どうせ人食うことになるなら食料独占してもあんまり意味なかったけどな。でも、いいものが手に入った」


 赤城は薄い唇を吊り上げてわらう。


大麻樹脂ハシシか…?」


是的あぁ


「使ったの?誰に?」


「誰が言うかよ」


 赤城はペロリと赤い舌を出した。石黒の顔が険しくなる。


「青山と朱音ちゃんに船を直してもらって、その間に翠ちゃんと白石が不夜病を何とかする。そしたら、全員が助かるだろう?もう誰も殺すなよ」


「お前さ、その計画には大穴が空いてっぞ」


「なに?どういうこと?」


「血液で何とかなるのは明日までだ。それに、明後日以降は女が食人衝動にかられて使い物にならなくなる。それまでに不夜病が何とかなる保証はないんだっけか?」


「何で食人衝動のことを…?」


「【何でお前に教えなきゃなんねぇんだ】だな。俺達の頭がイカれずに生き残るにはな、女を少しずつ食らいながら船を直すしかねぇんだよ。天野翠には明日中に不夜病を何とかさせろ。俺は朱音に大急ぎで操舵装置を直させる」


「…赤城、茉白ちゃんはどこにいるの?」


「待てるのは明日の日没までだ。それ以降は食人衝動が何とかならない限りは女の命は保証しねぇ。でも、どのみちこのままだと、6日目以降は地獄絵図だぜ。ヤロー同士で食い合うことになっからな」


 石黒は何も言い返さず、嘲笑あざわらう赤城を睨みつけた。

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