第9話 君がいたことは誰にも言わない【1Fリネン庫】

 翠と別れた後、石黒は「ちょっと…」と言って、セレモニーホールⅡには向かわず、階段を降りて1階に向かった。客用船内図によると、1階には大浴場とレストラン、セレモニーホールⅠがあったはずだった。


「ここがリネン庫」


 石黒は船の中央付近にあった大浴場の隣の倉庫に案内すると「ここでもいいか」と言って、扉を開けた。内側の壁のスイッチで電気を点けた後、白石をリネン庫に押し込む。そして、素早く扉を閉め、内側についていた金属製のかんぬき錠をかけた。この船の部屋はおかしなことに、外側ではなく内側からしか鍵がかからない。このリネン庫もそうなっていた。


「白石、先に着替えたいよね?どうぞ」


「おう。あんがと」


 見回すと倉庫の中にはいろいろな種類の服が揃っていた。ご丁寧にも下着や靴下までが袋に入ったままの新品だった。サイズごとに分けられて、各棚に収納されている。そして、入口に最も近い棚にあったのが、翠の着ていた物と色違いの小豆色や紺色の学校ジャージだった。


「翠ちゃんさ、あの服ジャージ、適当に選んだよな」


「たぶん。目についた所にあって、サイズもちょうど良かったんだと思う。アレにするなら、僕が選べば良かった…次は肌の露出が多いセクシーなのを翠ちゃんに差し入れるよ。白石も見たいよね?」


「石黒、今度こそ嫌われろよ」


「やっぱやめとく」


 白石が肌着を替え、動きやすそうな白Tシャツとジーンズに着替えると、石黒はシーツ類が入っているコンテナを二つ転がしてきて、一つに腰掛けて長い脚をこれみよがしに組んだ。


「そっち座って」


「どうも」


 お礼を言って白石が座ると、石黒は歯磨き粉のCMの出演者みたいに白い歯を見せて爽やかに笑うと、本題に入った。


「白石の知ってること、全部教えてよ。翠ちゃんに聞かせたくないことがあったから言えなかったんだよね?」


「やっぱ、バレてたか」


「うん。君は美墨ちゃんと接触する機会はなかったでしょ?あの部屋には赤城がいたし、あの時、女の子は眠らされてた。それなのに、白石は美墨ちゃんの何をどうやって知り得たの?」


 白石は頷いて「美墨さんとは直接話してないんだ」と答える。怪訝そうな顔をした石黒に白石は昨夜見た出来事を包み隠さず打ち明けた。美墨が海に転落したことを思い返して、彼女を見殺しにした罪の意識で押し潰されそうになった。涙が溢れて、嗚咽が止まらなくなる。


 …軽蔑されたか…でも…


 いずれ、美墨がいないことは表沙汰になる。それに、石黒には、どうしても赤城の危険性を伝えておかなければならなかった。赤城に対抗できるのは石黒しかいない。


「話してくれてありがとう。白石、君はやっぱりいいヤツだな。そこに君がいたことは誰にも言わない」


 石黒は立ち上がって、しゃくり上げる白石の傍に来るとポンポンと慰めるように背を叩き「白石は悪くないよ」と言った。石黒の手は温かく、口調は優しかった。安堵して、気が緩んだ白石は石黒にしがみついて「俺たち助からねぇよ。みんな死ぬんだよ」と、今まで口に出せなかった本音を漏らしてしまった。


「そんなことはない」


 石黒は力強く白石の言葉を否定した。


「君達がワクチンを作ってくれたら何とかなると思う。不夜病の脅威さえなくなれば、人を襲わなくて良くなる。船が直ったら陸地に移動できる。SANDORAだの後継者だのは、それから話し合ったって遅くはないだろ」


 そして、石黒は静かに言った。


「誰だって、こんな所で死ぬのは嫌なんだ。赤城だってそうだよ。それに、こうなった責任は僕にもある。僕はみんなを救いたい」


「石黒に責任があるって?」


「…うん」


 石黒は自分の履いていた靴下を探ると、中から折りたたんだ紙を取り出した。


「これ、和邇士郎の手紙の二枚目」


「えっ?」


 石黒に見せられた書面には、10人全員のプロフィール…所属している組織と専門分野が書かれている。パッと見た所、石黒から聞いていた情報に偽りはないようだった。


 …石黒は諜報部門の候補生。赤城は民事・行政介入担当…


「【民事・行政介入】って、なんだ?」


「あぁ…暴力団マフィアのお仕事だと思ってくれたらいいよ。でも、赤城は借り物で、どっちかというと紅漣幇からの出張だけどね。僕は仕事上、烈炎リィエイェンのことは知ってた。あっちも初対面を装ってとぼけてたけど、僕のことを知ってる」


「へ、へぇ…」


 あまりにも自分とかけ離れた話で、想像が追いつかない。蛇の道は蛇。赤城のことは石黒に任せるより他に方法はない。


「こういう閉鎖的で特殊な状況では、何よりも情報が武器になる。僕が誰よりも先に目覚めたのはそういった訓練を受けてて…睡眠薬の効きにくい体質になっているからだ。この和邇士郎の封書も見つけて、先に読んでたよ。さすがに僕の手に余る不夜病についての3枚目を隠匿するのは怖くて出来なかったけど、この2枚目は役に立つと思った。それぞれの専門技能を上手く使ってやろうと思ったんだ」


「もしかして、初顔合わせの時に、俺と目が合ったのも偶然じゃないのか?」


「うん。君達の真正面にいたのは故意だ。あの時にはもう研究設備を見つけてたから、何とかしてくれそうな君と翠ちゃんを釣りたくて愛想良くしてみた。二人とも上手く連れ出せて良かった」


 白石は絶句した。スパイのやることは常識の範疇を越えている。


「でも…それが良くなかったのかもしれない。僕は君達二人と親密になるためにあの場を離れ、敵になるか味方になるかわからない他のメンバーは後回しにした。全員で情報を共有した上で、話し合っていれば、赤城がこんなに早い段階で動くことはなかったのかもしれない。美墨ちゃんが殺されたのは、僕のせいでもある」


 石黒は言葉を止め、くらい目をしてうつむいた。


「でも…ワクチンを作るにはかなり時間がかかる。今日明日で出来るもんじゃねぇし。人を食わなきゃおかしくなるってわかったら、美墨さんじゃなくても赤城はどのみち誰かを襲ってたと思うぜ」


「美墨ちゃんは【感染初期から共食いをしたら症状を抑えられた】と言ってたんだったね…初期は血でもいいって?」


 白石は首を振って肯定してみせる。美墨は確か「ウィルス量の少ない3日間は血液だけでもいいみたい」と言っていた。石黒は考え込みながら、口元をおおった。


「とりあえず、今日明日は血でいいんだね。血なら飲めるかな…僕、翠ちゃんのならいけそう。うん、イケる」


「おい。何言ってんだ?翠ちゃんを傷つける気か!?」


 石黒は困ったような顔をして、白石を見た。


「白石は変わってないのか?僕は昨日から翠ちゃんが可愛いと思ってたけど、今朝からは美味しそうで仕方ないんだ。何か落ち着かなくて…我慢できなくはないけど、これが認知の歪みの症状かもしれない。血が気持ち悪くない。むしろ…。僕、やっぱり、ちょっとヤバいかも」


「俺は別に何も…」


「そうか。白石は夜間の記憶もリセットされてなかったし、認知の歪みも出てないみたいだね。僕が通常の罹患者で、君の方が特別なんだ。そう言えば、君のことはちっとも美味しそうだと思わないな」


「悪かったな、不味まずそうなヤローで」


「翠ちゃんはどうかな…たぶん、僕と同じで症状が出てるはず。白石、ちょっとここで待っててよ。僕、翠ちゃんに確認してくるよ」


「俺も行く」


「いや、君は来るな。たぶん翠ちゃんはショックを受けるだろう。詳細がわかったら対応を考える。たぶん、君以外の人には症状が出てると思う。船を修理する青山や朱音ちゃん、医療者の子たちも何とかしなきゃいけないし」


「わかった」


 白石が返事をすると、石黒は「僕が出たら、かんぬきしときなよ。帰って来たらノックを3回するから入れて。あ。それは君が持ってて」と、白石が持ったままになっていた和邇士郎の書面の二枚目を指すと、扉の外へ出て行った。

 言われた通り、かんぬきを掛けた後、手持ち無沙汰だった白石は書面に目を通す。


【略歴】順不同


天野翠A(Dr.天野):WVI遺伝子編集部門

石黒奏汰B(レイヴン):SANDORA諜報部門候補生

赤城烈A(玉梅):SANDORA民事・行政介入担当

白石成道S(白砂真希子):WVIワクチン研究部門

月城美墨S(イヴ・ムーン):GP感染症研究所研究員

悠木茉白(ブランカ):GP感染症研究所研究員

青山蓮也(青山藍莉):SANDRA機械工学部門候補生

林朱音S(赤松ローザ):SANDRA機械工学部門候補生

草野裕翔(草野紗絵):UCW医学部5年

小嶋葵衣S(シア・ブルーウェル):GS医科大学5年


【surrogateは告知なし】

【ABは登録順。同等と見なす】


 …こうやって見ると、早々たる面子メンバーだよなぁ。


 順不同と書きながらも、翠と石黒、それに赤城が先陣を切って書かれていることに、何らかの意図を感じなくもない。かくいう自分もその次につけているのは誇らしい気がした。

 しかし、5番目の美墨が最初に亡くなったことを思うと、寿命や命の価値としては、横並びで順不同ということで間違いないのだろう。

 名前の横にある【A】や【B】はわからないが、【S】は【surrogate代理母】で、代理母出産による子供ということか。( )の中の女性は母親の白石薫ではなく、名前に全く覚えがない。これが生物学上の母で和邇士郎の遺伝子と共に自分の由来ならば…


 …俺って何なんだろうな。


 一つ言えるのは愛の結晶とやらではない。望まれて生まれたのは確か…ただ、この殺人デスゲームに参加させるためだけに?


 …でも、死にたくねぇよ。


 育ての両親に言われるがままに勉強し、そのことが特に苦にもならなかったため、優秀な科学者として、人が羨む【和邇&ヴェルデW V I】のワクチン研究部門に所属することになり、挙句の果てにこの殺人ゲームに放り込まれた。全てはお膳立てされていたのか。


 …くだらねぇ。


 和邇士郎が何を望んでいるかはわからないが、このまま、何のために生まれたのかわからないまま死んでいくのは御免だと思った。


 …俺は何がしたい?今、大切なのは…


 思い浮かんだのは、今朝、白石の無事を素直に喜んでくれていた翠のことだった。


 …翠ちゃんと一緒にいたい。そのために生き延びてやる。


 白石が決意を固めてから、数分。

 ドアをノックする音が3回が聞こえ、石黒が戻ってきた。

「どうだった?」と白石が尋ねると、「結論から言うと、僕達二人とも症状は出ていた。でも、翠ちゃんは軽くて、僕の方が重度」と答えた石黒は、なぜか興奮しているようだった。珍しくちょっと上擦うわずった早口でまくしたてる。


「どういうこと?」


「翠ちゃんが試してみようって言うから、やってみたんだ」


「何を?」


「えぇと、その…吸血を…」


「えっ?おい、変なことしてないだろうな」


「エロいことはしてない…でも凄い快感だった」


 やはり、翠も石黒に対して食欲に似た気持ちを感じていたらしい。ただ、そんなに強いものではないので気のせいだと思っていたそうだ。しかし「血を飲んでみたい」という欲求は石黒と同様だった。

 そこで、石黒と翠は実験用のハサミで腕を少し傷つけて、お互いの血をめてみたという。石黒の方は我を忘れて、翠の腕を夢中で吸ってしまったらしい。


「翠ちゃんも僕の血が【甘く感じる】と言ってたけど、僕は甘いよりも気持ち良すぎてヤバかった。でも、血を飲んだ後は翠ちゃんを美味しそうだと認識しなくなったんだ。翠ちゃんも同じだって」


 見ると袖をまくった石黒の左腕には刃物でつけたらしい生々しい細い傷があり、その周囲が薄っすら赤くなっていた。それは、いわゆるキスマークのようなものだと悟る…血を吸うためとはいえ、翠がそこに唇をつけていたと思うといい気持ちはしなかった。石黒が翠の肌を舐めたり吸ったりしていたことも。


「次からは直接吸うのはやめるよ。採血した血液を飲む方が安全だし、効率がいい。次は生だと理性を保てる自信がない」


 石黒は何を思い出したのか顔を赤らめて、腕の傷に目を落とした。


「あれはヤバいよ。みんなに摂取してもらう時は、献血で集めた血を個別に飲んでもらった方がいいかな」


「翠ちゃんは大丈夫?」


 白石は翠の様子が気になっていた。石黒のようにおかしな気分になっていないか…


「うん。翠ちゃんは必要な血液量も少なかったし、吸血した後はケロッとしてた。男女差や個人差があるのかもしれない。白石に症状が出なかったみたいに」


「それなら良かった。感染症研究員の茉白ましろちゃんにその辺りのことも聞けたらいいよな。どこ行ったんだろ?」


 白石が言うと、石黒は「そうだね」と同意した。


「茉白ちゃんの母親はオリジナルだから、母親から殺人デスゲームのことを聞いていたはずだよ。それに…僕の次に目を覚ましたのが彼女だったら、船内図も見つけてるかもしれないな。僕以外の誰かが起きたのを把握するために、わざと一つだけ部屋に置いておいたのがなくなってた。どこか安全な場所に隠れてやり過ごすつもりかも」


「そんなことが可能なのか?」


「いや…どのみち、食人衝動が抑えられなくなったら出るしかないと思うけど…」


 石黒はしばし思案した末「ここで、考えてても仕方ないか」と呟き、セレモニーホールⅡで皆と合流しようと言い出した。


「じゃ、これ返しとくわ」


 白石が略歴の記載された和邇士郎の2枚目の書面を差し出すと、石黒は「これの対処は君に任せるよ。僕がってたことをみんなに知らせて公開してもいいし、君が預かっててくれてもいい」と、受け取りを拒んだ。

 石黒は自分の手前勝手な判断を悔いているようだった。


 …それは…美墨を救わずに隠れていた俺も同じ。


「俺も【このことは誰にも言わない】だぜ。お前がみんなを救ってくれるんだろ?頼むぜ、相棒」


 白石は石黒の目の前で書面を細かく手で千切るとリネン庫の壁にあった使用済みリネン類を入れるらしい廃棄物装置ダストシュートに放り込んだ。


「白石…君って奴はホントに…」


 石黒は小さな声で「ありがと」と呟くと、右親指を立ててみせた。

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