第13話 【白銀少女と若緑少年医】

「あっ…」


 私の下にいた草野君が突然意識を失った。

 苦しそうに眉を寄せて…寝息を立てている。


「助けてくれたのに…ごめんね」


 …興奮がピークに達すると糸が切れたように眠る。


 【悠木ゆうき茉白ましろ】は、GP感染症研究所で不夜病の臨床研究にたずさわっていた。

 不夜病に罹患した類人猿(及びヒト)は行為後に意識を消失する…主に興奮したオスの方が。その間にメスは噛みついた傷口から血液を摂取する。病状が進行している場合には体を食べてしまうこともある。メスの方が食人鬼化も早いが、この病気はほんの少しだけメスに有利にもなっている。


 …個体が少しだけ長く生存するという意味でだけ、ね。


 そういう茉白自身、今日こそは血液を摂取しなければ正気を失ってしまう。背に腹は代えられず、助けてくれたお礼だと言って…清潔で生真面目そうな医療者の少年を誘った。あまり乗り気ではなさそうだったが、不夜病罹患者は夜になると興奮する…性的にも。結局、ウィルスと本能には抗えなかったらしい。動物(人体)実験でも生殖活動が盛んになるというデータが上がっていた。このことを草野君は知らなかった。和邇士郎の手紙では言及されていなかった。


人工的に作った子供デザイナーベイビーを何だと思ってるのよ。和邇士郎は気違いね」


 …遺伝子操作したヒトは人権のない所有物ペットだとでも思っているのかしら?


 例え「そうだ」と言われても、頭は、心は受け入れられない。気持ちが悪い。


 …ヒトとしての知性を保つために人の道を外れる。皮肉なものよね。


 さて、血液を回収するにはどうすればいいのか。野蛮に嚙みつくと草野君がかわいそうだし、今の茉白はそこまでの興奮状態にはない。

 研究所で見た被験者は刃物で肌に傷をつけて、直接唇を当てて吸うのがお好みのようだった。研究者として、観察と記録をとる中で、我を忘れて血をすする被験者達の恍惚とした表情には嫌悪感を覚えたものだ。

 しかし、早期から食人を始めた者ほど、知性が長く保てる。ウィルスの視床下部への進行が遅くなるという事実。


 …やっぱり、類人猿及びヒトの生殖行動とウィルスの生存戦略は関係があるのかしら?


 早くから食人をする…食人衝動のない時期から、性欲の亢進は起こる。そういった行為をし、興奮し、噛みつく。相手が、罹患していない者なら、唾液や血液を介して新たな宿主を獲得できる。


 …でも、罹患者同士で食い合っても自滅するだけだけど?


 ウィルスのやることも和邇士郎のやることもよくわからない。


「悪いけど…やっぱりちょっと切らせてもらうわ」


 引き出しにあった注射針をパッケージから取り出し、キャップを外す。布団をずらし、あらわになった滑らかな胸元に尖った先を当てて、細く線を引いた。鋭い針先は抵抗なくスッと肌を切り裂く。ジワジワと血がにじみ出し、むせ返るように甘い血の香りが漂う。もう我慢できそうにない。


「ごめんね」


 もう一度謝ってから、茉白は血の筋に舌をわせた。


 …なんて快感。気持ちがいい。


 草野君は苦しそうにくぐもった声を発したが、暴れたり、起き上がったりすることはなかった。心ゆくまで、甘美な血をいただいた後、茉白は後ろ髪を引かれる思いで少年の肌から唇を離す。

 一時間程で草野君の意識が戻る。グズグズしている暇はない。母親からは生き残るためには何をしてもかまわないと言い渡された。そして、何よりも大切なあの人から「絶対に死なないで」と、何度も何度も懇願された。


 …私は彼と約束したの。絶対に生きて戻る。


 彼は危険を承知で、一緒に逃げようと言ってくれた。

 でも、私は「必ず帰るから待ってて」と断った。

 もしも、逆らって制裁を受けることになれば、私だけでは済まない。彼や私の家族を危険にさらすわけにはいかない。SANDORAの影響力はとても甚大で、【和邇士郎】から逃れられる場所は、この世界のどこにもないのだから。


 でも、不夜病の治療薬は確かに存在する。治療薬を投与されれば、理性を取り戻し、食人衝動から開放される。とにかく最後の一人にならなくては。

 完全に理性を失う前にライバルの数は少しでも減らしておくのがいいだろう。それに、今晩の出来事は朝になったら忘れてしまう。


 …きっと、この心の痛みも。ヒトを失い、血を啜る化け物になり果てた絶望も。


 茉白は素早く身をひるがえし、目当てのものを探して医療室内を物色し始めた。

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