第5話 兵糧攻めは昔からよく使われる手だよね【2FセレモニーホールⅡ】

 結局、最初に目覚めた部屋【セレモニーホールⅡ】には、石黒と白石だけが向かうことになった。

 石黒は翠に「うまく言えないけど、君だけが何となく皆と違うから集中的に狙われる気がする。日が落ちる前から誰とも行動を共にしない方がいい」と言い出し、それに従った翠とは途中で別れた。

 翠と別れる前に三人で食堂と食料庫に寄ったのだが、最初に石黒が立ち寄った時には開いていた食料庫には頑丈そうな錠前がつけられ、鍵がかかっていた。食堂の方は石黒いわく「食べ物が全て持ち去られている」とのことで、そこでは食べ物は入手できなかった。

「こんなこともあろうかと思って、常温保存できる食べ物と飲み物の一部を別の場所に移しておいたから大丈夫」と、石黒が確保していた食料のある場所を教えてもらったので事無きを得たが、何者かが意図的に動き始めているのが感じられた。


「赤城は食べ物を独占することで、優位に立つ気なのか?」


 白石が石黒に尋ねると、石黒は憂鬱そうに同意した。


「たぶんね。兵糧攻めは昔からよく使われる手だよね。それはまだいいとして…問題はクスリの方」


 石黒は食堂のサイドボードで見つけた嗜好品が消えていたことが気になると言った。タバコやお酒などと一緒に並べられていたが、どうも薬物らしき幾つかがゴッソリなくなっているらしい。色や形状から推測すると、どうも覚醒剤、大麻樹脂の類いもあったようだと石黒は言った。


「あの時は時間がなくて後回しにしたけど、うかつだったよ。赤城ならクスリの扱いはお手の物だし、どういう使い方をしてくるかわからない。もし、食べ物や飲み物を渡されても、口にしない方が無難だと思う」


 白石は「わかった」と答える。石黒は顔を引き締めて、「絶対に死ぬなよ、白石博士。君達は僕のたった一つの希望なんだ」と言った。【博士】という言い方が引っ掛かって、白石は石黒に尋ねる。


「何で俺のことを博士って呼ぶんだ?翠ちゃんのこともDr.テンって言ってたよな?」


「あぁ…いずれわかることだからいいか。君はワクチン作製について、海外の研究機関と共同研究している。軍事利用するような目的だから大っぴらには出せないけど、やっていることは修士のレベルを超えてるよ」


 白石は頷いた。高校生という身分ではあるが、和邇士郎から奨学金の範囲を越えた報酬を受け取り、紹介された研究機関【WVI(Wani&Verde Institute)】のワクチン研究部門の日本支部でワクチンの作製に携わっている。ただし、白石の専門分野は個々のウィルスの病理についてではなく、ウィルスの培養や効率良くワクチンを作り出す方法や技術の方であった。よって、研究していたウィルスが人体にどのような影響を及ぼすかについてはよくわかっていない。


「翠ちゃん…Dr.天はゲノムを改変する遺伝子編集部門の研究者だよ。和邇士郎の子供たちもその技術を使って生み出された。ただ、そもそもの技術開発者のヴェルデ博士は人間を編集して好きなように変えることや希望に沿う子供しか残さないことには賛成ではなかった。和邇士郎はヴェルデ博士のスポンサーであり、親しい友人でもあったけど、それが理由で仲違いした。ヴェルデ博士は失意のうちに亡くなり、翠ちゃんの母親がヴェルデ博士の後任だ。こっちも倫理的に問題がある非公式で私的な研究なんだけどね」


 確かに石黒の言うように、若輩者とはいえ、ワクチン研究と遺伝子研究に携わる者が揃っていることは単なる偶然には思えなかった。和邇士郎は何を目論んでいるのか。不夜病ウィルスの遺伝子を改変し、ワクチンを開発させるために、研究者をわざわざ不夜病ウィルスに感染させるというのがに落ちない。治療薬があるのなら尚更だ。それにここは研究所ではない。何の設備もない船上では何もできない。


「…ところで、石黒はその情報をどこで入手したんだ?俺のも翠ちゃんのも超機密情報だろ?」


「僕の母親はエージェントだって言ったろ?産業スパイなんだ。息子である僕達も任務を手伝っていた。母さんの雇い主の一人が和邇士郎。ちなみに【紅漣幇の烈マフィアのNo.3】が日本で高校生してるのも、バレたら消されるレベルのマル秘情報だよ。わかってると思うけど、うかつに口外しないようにね」


「…了解」


 白石は石黒に答えて、視線を交わすと大きく息を吸って吐く。緊張して口の中がカラカラに乾いていた。

 セレモニーホールⅡはもう見えてきている。いろいろなことを知ってしまった今、赤城に会うのはとても恐ろしい。しかし、「真っ先に襲われそうな翠ちゃんはともかく、今、僕らが赤城に敵認定されることは得策じゃない。他の仲間の動向も探る必要がある。逃げずにもう少し様子を見よう」という石黒の意見で、渋々、皆のいる場に戻る決心をした。

 操舵室に入ったが船が動かせないということの報告と、夜間は行動を共にせずに明日また会うことを伝えたら引き上げる予定だった。一晩過ごす場所は石黒のアドバイスですでに決めている。退室したら夕飯にする食料を取りに行って、あとはそこにこもって、夜明けまでやり過ごすつもりだ。


 …とりあえず、早く部屋を出よう。


 セレモニーホールⅡの扉の前に立った石黒が「入るよ」と、白石を振り向いて言った。白石は無言でコクコクと頷いてみせる。石黒はノックすると「ただいま」と声を掛けながら部屋の中に入り、白石もその後に続いた。


「おー、おかえり。遅かったね、石黒先輩。操舵室はどう?船、動かせそ?」


 赤城は軽い口調だったが、目は笑っておらず石黒だけを真っ直ぐ見ていた。こうやってみると、白石よりも少し背の低い赤城にとって、上背のある石黒は脅威なのかもしれない。純粋に体力だけで戦うなら石黒の方が有利に見えた。


「船は動かせない。海上無線システムは壊れてるし、操舵装置は断線させた後で水をかけられてる」


「それって、直んないの?」


 赤城は今度は石黒ではなく、隣に立っていた青山あおやま蓮也れんやに問うた。


「無理だよ。かかってるのって普通の水だろ?不純物ゼロの超純水ならともかく、水濡れした後で電気が流れたら、水に含まれているナトリウムイオンが電子部品エレクトロニクスの金属と反応して、ショート起こす。発熱や発火の恐れもあるから断線も直さない方がいいぜ。補助操舵装置は?制御系統が別になってるはずだ。非常操舵の方法どこかに書いてないのか?」


 険しい顔をした青山が石黒に詰め寄る。青山も背が高く180センチ近くあり、石黒よりもガッシリした体型だった。


「ごめん。僕にはわからなかった。どこかにあるのかもしれない。また探してみるよ。青山はエンジンのこともわかる?」


「まぁ…どっちかというとエンジンの方が得意。この規模だと船舶用のディーゼルエンジンで間違いないだろ。船の感じからすると古そうな型だから電気併用のハイブリッドじゃないな、たぶん」


「それってさ、直せる?」


「なに?エンジン壊れてんの?ものにもよるけど、多少のトラブルなら対処できると思うぜ」


「僕は機械にはあんまり詳しくないんだけど、機関制御室で、エンジンの何かの部品にベトッとした粘土状のものが詰められてるのを見たんだけど、それってヤバい?焼け焦げたような嫌な匂いもしてた」


 石黒の言葉に青山の顔色が変わった。


「おい、人為的に詰まらせたっていうのか?冷却系統がやられてオーバーヒートしてたら焼き付いちまってるよ。分解点検修理オーバーホールしなきゃなんねぇ」


「できそう?」


「は?簡単に言うんじゃねぇよ。機関室エンジンルームに案内しろ!とりあえず見せろ!」


「わかった。白石、またね」


 石黒は白石に手を振ると、青山を伴って部屋を出て行ってしまった。残された白石が部屋が見回すと、そこには目の前に立つ赤城以外は、身を寄せ合って座っている女の子達三人しか残っていない。どうしたことか、三人とも目を閉じてうつむいていた。眠っているのかもしれない。


「え?みんな寝てるのか?なんで?」


「さぁ…食べたら眠くなったんじゃね?」


 明らかに疑わしいが、赤城の仕業だとしたら、マトモな答えが返ってくるとは思えなかった。


 …美墨みすみ葵衣あおい朱音あかね…二人足りない。


茉白ましろちゃんと草野は?」


「茉白は俺と青山が食料探しに行ってる隙にどっか行きやがった。草野は食料分けてやったら、夜は一人になりたいって言って出て行った。草野は夜が明けたら、ここに戻って来るぜ。朝メシは一緒に食うってさ」


「食料見つかったのか?」


「お前らの分もちゃんと取って来たから安心しろ」


 赤城は頷くと、目を細めてニッと笑いかけてきた。こうしてみると、ちょっと悪ぶったイケメンの男子高校生にしか見えない。白石はとりあえず「サンキュ」と、赤城に合わせてお礼を言っておく。赤城は気安く「おう」と言った後で問うてきた。


「そういや、あの子は?緑の目のセーラー服のコ」


「翠ちゃん?」


「そう。天野翠。あの子にも食べ物渡してやりたいんだけど」


「あー…」


 …何とかうまく誤魔化ごまかさないといけない。


 赤城がじっと白石を見ている。赤城がマフィアの一員とは今も信じられないが、どことなく研ぎ澄まされたような鋭さが垣間見えた。急に恐ろしくなってくる。


「は、はぐれちゃって」


「えっ?天野翠、迷子になったのか?」


「…あぁ、トイレ行くとか言ってそのまま戻って来なかった…」


「何階で?」


「3階かな…」


「やっぱ逃げたか。さすが、天然ナチュラルは勘がいい」


 ボソッと呟くと、赤城は部屋の隅に置いてあった白い布袋の一つを取ってきて、白石に押し付けた。


「これ、白石の分の夕飯な。菓子パン5個とカップ麺は2個。真空パックの唐揚げとウィンナーと、チョコレートとスナック菓子一袋。飲み物はコークとミネラルウォーターとお茶。足りるか?」


「充分」


「嫌いなのとか、食えねぇ物あったら交換するぜ」


「ないない」


 白石が受け取ってお礼を言うと、赤城はポンポンと白石の肩を気安く叩いた。


「どうなるかわかんねぇけど、殺し合いは避けたいよな。ま、仲良くやろうぜ」


「あぁ、宜しく。赤城は今晩どうすんの?」


「3階に客室があるから、そこで寝ようと思ってる。鍵は開いてるけど中からなら閉められるぜ。あと、スイートとジュニアスイートだけ、バスタブ付きでダブルベッドな」


「へ?」


「この情報はいらねーってか、アハ。白石はどこで寝んの?連れてくなら美墨以外な」


「…なんで?」


「野暮なことくなよ。明日は天野翠にお相手してもらいてぇな」


「駄目だ!翠ちゃんは駄目だ!」


 思わず大きな声が出てしまった後で、血の気が引いた。赤城の機嫌を損ねるとまずい。


「ふぅん。お前、天野翠狙い?もしかして、あの食えねぇ眼鏡野郎もか?なぁ、お前らほんとに天野翠の居場所知らねぇんだよな?もし隠してたら…」


 ニヤっとした赤城は不意に白石の首に腕を回すと軽く締め上げる…そして、白石の耳元に唇を寄せて「ぶっ殺すぞ」と囁いた。白石は赤城を刺激しないように、腕を離し、ゆっくりと後退あとずさった。


「俺は翠ちゃんの居場所は知らない。それから、今夜は一人で過ごす。興奮状態になると何するかわかんないんだろ?赤城も一人の方がいいぜ、きっと」


「あ?大きなお世話だ。ま、好きにしろよ。じゃ、また明日な」


「じゃ」


 白石が部屋を出る前に女の子達の方を見ると、二人は眠っていたようだったが、ただ一人起きていた美墨と目が合った。美墨は「タ、ス、ケ、テ」と、唇を動かした後、すぐに目を閉じた。どうやら、赤城にバレないように寝たフリをしていたらしい。


 …どうすればいい…?


 しかし、頼みの綱の石黒は現れず、後ろ髪を引かれる思いでセレモニーホールⅡを後にする。白石には美墨を救う手立てはとても見つけられなかった。


 仕方なく、当初の予定通り、石黒の隠していた食料を取りに行った後、2階のプールデッキ近くの海の見える共用ジャグジーのロッカールームに入り込んで、内側から鍵をかける。今晩はこのジャグジーのロッカールームで夜を明かすつもりだった。客室にはシャワーがあるし、1階には大浴場もある。こんな状況で、わざわざ夜にプールのジャグジーには来ないだろうという考えから、白石はここを選んだ。食欲はなかったがアンパンをかじり、コーヒー飲料で流し込むように腹におさめ、ジャグジーを堪能した後、分厚い高級そうなバスタオルにくるまって眠りについた。

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