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夜々予肆

等身大の怪物

「コッケッコッコオオオオ!」


 午前4時。薄明の栄恵夢えいえむ町の公園に、丹羽にわ鷹一よういちの相棒である雄鶏の紅風くれかぜの雄叫びだけが空に響く。


「紅風! 今日はどんな奴と戦う?」

「コッケコッコオオオオ!」

「なになに? 『もっと戦い甲斐がある奴と戦いたい?』って? へへっ! お前もなかなか言うようになったじゃねえか!」

「コッケコッコー!」


 鷹一は紅風とはお祭りでやっていたひよこすくいで出会ってから共に暮らしているため、紅風が何を伝えようとしているのかが理解できるのである。そして彼らは、栄恵夢町最強と称されている獣と獣使いであった。昨日も『高尚なる咬傷』の二つ名を持つピットブルの凶牙きょうがを難なく撃破した。最早栄恵夢町に彼らの敵は存在しなかった。


「ちょっと鷹一! 朝からうるさいにゃ!」


 鷹一が振り返ると、そこには鷹一の幼馴染である猫見ねこみ美虎みこが自身の相棒であるメインクーンの芽衣めいを連れながらフグの如く頬を膨らませて立っていた。


「今鳴いたのは紅風だぜ! 間違えないでくれよな!」

「コッケコッコー!」

「あんたもうるさいって言ってるのにゃ! そもそもこんな朝からニワトリを外に出すなにゃ! 近所迷惑だにゃ!」

「いかにも猫使いって感じの安直な語尾の奴に言われたくはねぇな!」

「にゃんですってぇ!?」

「コッケコッコオオオオ!」

「紅風も『おれたちを黙らせたかったらおれを倒してみろ』って言ってるぜ! ま、お前らがオレたちに勝てるはずないけどな! ははははっ!」

「ぐぬぬぬ……」


 美虎は鷹一を睨みつけながら歯噛みした。それを見て鷹一はさらに大きく笑い声を上げた。


「朝からうるせぇよ。クソどもが」


 鷹一が笑い続けていると、突如として公園に黒いフードを深々と被った細身の男が現れた。背後には2mは越えているであろう体長を持つヒグマが2本足で悠々と立っており、彼もまた獣使いであると鷹一はすぐに認識した。


「お前は……!?」


 彼らを見て鷹一は驚愕した。熊使いなど栄恵夢町では見たことがなかったからだ。


「人に誰か尋ねる前に自分から名乗ったらどうなんだ」

「丹羽鷹一、栄恵夢町一の鶏使いだ!」

「コッケコッコー!」

「はっ……。こんなニワトリが最強の獣とはな。この町の程度の低さが知れるな」

「なんだと!」


 鷹一は憤慨した。今の言葉は自分たちだけではなく、自分たちに負けた獣と獣使いをも侮辱する言葉だ。鷹一はそれが一番許せなかった。そんな鷹一の反応を男は気にも留めず、フードに手を掛けながら口を動かした。


「俺は豆有まめあり町獣使い筆頭、日久万ひくま金七郎きんしちろう。こいつはエゾヒグマの爪巌そうがん


 日久万金七郎と名乗りフードを脱いだ男の頬には、爪痕のような大きな傷跡があり、歴戦の猛者であることを感じさせた。


「お前に決闘デュエルを申し込む。そしてこの町のレベルの低さを証明してやる。井の中の蛙であることを自覚できるんだ。せいぜい感謝しろ」

「もう許せねえ! その決闘、受けてやるぜ! そんで絶対にその言葉を撤回させてやる!」


 鷹一は売り言葉に買い言葉で間髪入れずに決闘の申し込みを承諾した。するとそれを聞いた美虎が鷹一の服の袖を掴みながら、耳元に口を寄せた。


「ちょっと! 本当に決闘する気なのにゃ!? いくらなんでもニワトリがヒグマに勝つなんて無理に決まってるにゃ!」

「美虎。オレはな、やる前から無理だって決めつけるのが一番嫌いなんだ! そしてなにより、こいつの言ったことが許せねえんだ! あの言葉はオレたち栄恵夢町の獣使い全員を見下す言葉だ! だからここで引き下がる訳には絶対にいかねえんだ! 栄恵夢町一の獣使いとしてな!」

「コケッコー!」

「ああ、そうだな!」

「今、なんて……」

「『おれたちならどんな獣にも勝てる』だ! いくぞ紅風ぇ!」

「コケコッコオオオオ!」


 紅風は鷹一の掛け声に応じ、猛々しく翼をはためかせながら日久万に向かって駆けた。幾多の激戦を切り抜けた彼の白い羽が宙に舞い上がる。


「行け、爪巌」


 日久万が後ろにいた爪巌にそう言うと、爪巌は四足歩行になり、ゆっくりと紅風へと歩を進めていった。


「コケッコー!」

「グオォ!」


 紅風は爪巌の背中に飛び乗ると素早く嘴で無数の連撃を浴びせた。たまらず爪巌が小さく吠える。この技は『五月雨嘴さみだればし』。紅風が戦いの中で自ら編み出した必殺技だ。


「よし! いいぞ紅風!」

「ふっ……確かにニワトリにしてはなかなかやるようだな。まあ、ニワトリにしては、だがな」


 日久万は不敵な笑みを浮かべながら、爪巌に指をさした。


「『瞬斬爪連撃しゅんざんそうれんげき』。爪巌、今日のエサは、鶏肉チキンだ」

「グルアアアアアアア!」


 爪巌は大きく吠えると立ち上がった。その拍子で紅風が地面に落ちる。


「くれかっ――!」


 鷹一は咄嗟に紅風に呼び掛けようとしたが、遅かった。


「ギャアアアアアア!」


 爪巌の鋭く巨大な爪が、紅風を引き裂いた。甲高い悲鳴を上げた紅風の身体から、鮮血とそれに染まった羽毛が飛散する。しかし爪巌の手は止まることなく、何度も、何度も、紅風を裂いた。


「紅風ええええええええええええええええええ!」

「喰らえ」


 やがて動かなくなった紅風に爪巌は牙を向け、ゆっくりとその身体を齧り取り、腹に飲み込んでいく。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「2分遅えよ」


 鷹一の悲痛な叫びもむなしく、爪巌は紅風の全身を飲み干した。


「口ほどにもないな。所詮お前らも、この町も、この程度のレベルだということだ。行くぞ爪巌。これ以上カエルみてぇなクソどもがクソみてぇに過ごしてるクソみてぇな場所にいても時間の無駄だ」


 日久万は絶望して項垂れている鷹一にそう吐き捨てると、公園から立ち去っていった。


「鷹一……」


 美虎が何を言えばいいのかわからないと言った顔で、地面に膝をついて、鷹一の顔を覗き込んだ。鷹一の目には、涙が浮かんでいた。


「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 鷹一は近所の迷惑など考えもせず、全身で叫び声を上げた。紅風の血と羽毛だけが残る地面に拳を何度も、何度も打ち付ける。


「あいつら……絶対潰してやる……! 絶対にだ……!」

「鷹一……ぐすっ……」


 それから町に人が増え始めるまでの数時間、彼らはただただ泣き続けた。


 そして鷹一は、栄恵夢町から姿を消した。


🐓


「来たぜ紅風……お前の仇を討ってくれる奴を探しに、な」


 鷹一はアフリカ大陸にあるとある砂漠へとやってきていた。目的は当然、爪巌を潰せるだけの獣と出会うためだ。旅費で貯金がほとんど全て吹き飛んだが、後悔など全くしていない。むしろ、復讐への第一歩を踏み出した高揚感で心は満ちていた。


「早速いたぜ……おあつらえ向きの奴が……」


 鷹一の目は、陸棲動物における最大種である、一匹のアフリカゾウを捉えていた。アフリカゾウは長い鼻でオアシスらしき場所で水を飲んでいる様子だった。


「よし……ん……?」


 鷹一はゾウに接近しようとしたところで足を止め、身を屈めた。ゾウの背後に、何かがいる気配を感じたからだ。

 

 目を凝らすと、それはライフルのような銃器を手に持った男の集団であった。鷹一は考えることもせず、真っすぐに走り出した。


「おい!」

「من أنت」

「ربما سائح」

「何言ってるか全然わかんねえ!」


 鷹一は人間の言葉は日本語しか理解できない。だがしかし、彼らがゾウに危害を与えようとしていることは言葉が理解できずとも、理解することができた。


「密猟はやめろ!」

「ماذا يريد ان يقول」

「أعتقد أنك تخبرني ألا أطلق النار على الأفيال」

「إنه أمر مزعج. أطلق عليه النار أولاً」


 すると男たちはゾウではなく鷹一に銃口を向けた。


「なるほどな。口封じとして先にオレを撃とうってか。けどな、そんなことやろうとしてていいのか?」

「パオオオオオオオオオオオオン!!」


 ゾウも男たちの敵意に気づいたらしく、雄叫びを上げながら男たちに凄まじい速度で突進していく。


「لعنة هل لاحظت」

「لا يمكن مساعدته ، دعنا نهرب」


 すると男たちは、慌てた足取りでオアシスから去っていった。


「二度としようとするんじゃねえぞ! ドントカムバーック!」


 鷹一が離れていく背中を見ながら言うと、アフリカゾウが静かに近づいてきた。ゾウは鼻で鷹一の顔を撫でた。

 

「礼がしたいならさ、オレに手を貸して欲しいんだ。海を越えた先にある遠い場所までついてきてもらいてえんだが、いいか?」

「パオーン!」

「そうか! 来てくれるのか!」

「パオォ」

「パオォ? それがお前の名前か! よろしくな! パオォ!」


 そして鷹一は、アフリカゾウのパオォを引き連れ、日本に帰国した。


🐘


「日久万金七郎おおおおおおおお! どこだああああああああ!!」

「パオオオオオオオオン!」


 鷹一はパオォにまたがり、豆有町を徘徊していた。


「なんだあのゾウは……」


 どこかからそんな声が耳に届く。覗き見ると、アライグマ使いのようであった。どこだ、日久万金七郎はどこにいる。


「な……お前……」


 いた。電柱の陰から愕然とした表情で、ヒグマとともに奴が現れた。


「オレと決闘しろ! 拒否権はないぞ!」

「待て。いくらなんで――」

「拒否権はないぞ!」


 問答無用と言わんばかりに、パオォは日久万もろとも爪巌を踏み潰した。全長は7mを越え、体重は7tを上回るパオォに、ヒグマは為す術もなかった。


「やった……! やったぞ! 紅風! お前の仇は、オレたちが討ったぞおおお!」

「パオオオオオオオン!」

「そこのゾウに乗っている君、止まりなさい!」


 次第に溢れてきた勝利の感覚に酔いしれていると、いつのまにか周囲を無数のパトカーに囲まれていた。鷹一は無許可でゾウの輸出入と飼育を行ったことや殺人などの容疑で逮捕された。パオォは近所の動物園に引き取られた。


🚔


 鷹一が実刑判決を受けてから数十年が経とうとしていたある日、美虎は昼過ぎの栄恵夢町の公園で芽衣の子孫である芽々めめとともに、雲一つない青空を眺めていた。そういえば鷹一が捕まったあの日もこんな天気だっただろうかと美虎は思った。あれから獣使いによる獣同士の決闘は瞬く間に問題視されるようになり始め、日久万のように違法な手段で猛獣を飼育していた人間が次々と炙り出され、逮捕されていき、獣使いは社会から消されていった。こうなると今まで問題視されなかったことの方が疑問に感じるが、社会問題など、結局はそうやって問題視されるかされないかが全てなのではないかと美虎は考えていた。ちなみに獣使いの消滅とともに安直な語尾を使うのも止めた。


 社会も人も、次第に変わり続ける。檻の中にいる彼を残して――。なんてポエミーになっていると、芽々が近くで草をついばんでいたカラスに足でつっつこうとするなどちょっかいをかけ始めた。


「にゃー」

「だめだよ、芽々」

「カー!」


 カラスが芽々に怒り、鳴きながら芽々を嘴で襲い始めた。


「ニャアアアア!」

「芽々!」


 一方的にカラスに襲われる芽々。芽衣だったらカラスくらいすぐに撃退できたのに、と美虎が思いながらカラスを追い払おうとした途端、カラスが勢いよく横に吹き飛んだ。そしてしばらく地面に横たわった後、そそくさとどこかへと飛び去って行った。


「なんだったの、今の……」

「危ないとこだったな! 美虎!」


 突然起こったことに美虎が呆気に取られていると、懐かしくて、うるさい声が聞こえてきた。顔を上げると、あの頃と変わらない姿の鷹一が立っていた。


「鷹一!? どうして……!?」

「どうしてって、出所したんだよ。この前な」


 鷹一は平然とそう言った。そして横を見て手招きをすると、何か小さいものが彼の脚を伝い、手の平に乗った。


「こいつは今のオレの相棒のゴールデンハムスターの弧鐘こがね! よろしくな!」

「よ。よろしく……」

「再会を喜びたいとこすまねぇが、これからめっちゃ凄ぇ奴に会いに行かなきゃならねぇんだ! お前も最強目指して頑張れよ!」

「ああ、うん……」


 社会も人も、次第に変わり続ける。檻の中にいた彼もまた――。


 彼は、鶏使いからハムスター使いになっていた。


 それからの丹羽鷹一の行方を知る者は、誰もいない。

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