第3話


「どうしたの?」加奈子は立ち上がり、待っていた。

「いらっしゃいよ」


 ぼくはしばし黙って、さらにまた間をおいた。

 それでも彼女がひとり去ってゆかないのをみて、とうとう(根負けだ)冷たいコンクリの地面から重い腰をあげる。


 加奈子がやや先に立って歩く。


「なにかそういう――慈善団体的なものに所属してるのかい」ぼつりとぼくは問う。

「別にそういうのじゃないよ」加奈子は笑って答える。

「私だって、ほかのみんなと変わらないわ。誰が路上で暮らしていたって、見ないふりをしてやりすごしてきた――ただ、あなたが江島くんだって気づいたから、声をかけただけで……」


 いや、きみはやっぱり普段どおりやりすごすべきだったんだ、とぼくは思った。


 そうして五分も歩きつづけるうち、ぼくが黙りこくっているせいで彼女は気まずくなってきたらしく、ぎこちなく喋りはじめた。


「どこかのお店――より、うちにおいでなさいよ」


 このじゃ入れる店は限られるからな、とぼくは胸中でツッコむ。


正彦まさひこの――正彦って、去年に別れた夫なんだけど、彼の残していった服で、着れるのがあるかしれないし」


 ここまで言って、ふいに加奈子のことばが途切れた。

 こういう風にあつかって、ぼくの自尊心(そんなものがまだ残っていればの話だが)を損なってしまっていないかと不安になったのだろう。


「気遣いに、感謝するよ」ぼくは助け舟を出すようにいった。

 加奈子は苦笑した。


「結婚してたんだね」話題を変えるようにぼくはいった。

「まあ、ほんの二年たらずの結婚生活だったけど」

「世の中にはもったいないことをする野郎がいるもんだな」

 加奈子は吹き出した。

「うん……ありがと。なにかな、誰かから、そういう言葉をききたかったのかも」

「ぼくはホームレスだからな。一円もかからない洒落たセリフくらいしか、カタギのみなさまに提供できるものがないんよ」

「そんなことをいうのはやめて」

「わかった。ただ、やっぱり人間どうしたって変われば変わるのさ」


 加奈子は、ぼくのことばに言外の意をくみとったらしい。話題を街の行政について転じた。


 


 

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