5-1
交差点を右折した先にあった赤レンガのトンネルを潜り、車は横浜へリポートの駐車場に滑り込んだ。
車を降り、ばたんとドアを閉めたところで、法子のスマートフォンが鳴った。画面を見て怪訝な顔をする法子に、義康は今度は何だと緊張する。
「がはっはー、面目ない! ジャックさん捕まっちゃったよ!」
通話を始めたその途端、鷹幡の大きな声がスピーカーから溢れ出てくる。朝方自分を逃がしてくれた彼の姿を思い出し、義康は自分の顔から血が引くのを感じる。
「ちょっと、もう。鷹幡さん、肝心なとこで何やってんのよ! ドジ!」
ケータイ越しに叱りつけながら、つかつかとゲートへ歩いて行く法子。建物二つの間を通り、窓口の職員に向かってケータイをひらひらと振ってみせると、向こうも片手を軽く上げる。どれだけ顔パスの通る人間なんだと、義康は改めて驚愕しながら、法子の後ろを着いて行く。
「ごめん、姉さん。鷹幡さん、僕の事かばってくれて……」
「わかってるわよ、わかってるけどドジって事にゃ変わりないわね」
義康の眼前に広がったのは、やけに赤い夕日が照らす広大なヘリポートのアスファルト。最も海に近い「H」字のマークの上に、ヨコトーテレビのロゴの入った白いヘリコプターが、すでにそのローターを回転させて待機していた。二人が駆け寄ると、ヘリの傍らに立つ整備士らしき緑色の作業着の男が、いつでもOKだと言わんばかりに親指でヘリを指差す。
「やれやれ。ジャックさんに構わずハインリヒを、って言いたいとこなんだけどさあ。今こっちも真武居の爺さんに連れられて、ハインリヒに連れてかれるとこなのよね」
「あ、そう……って、ちょっと待って。なんでまだケータイ通じるの?」
「だって、まだあそこにいるもの」
背中に突然かけられた声に、法子と義康はびくりと振り返る。相変わらずのグレーのスーツと引っ詰め頭、そして口端にくわえた火の点いた煙草。
「牟剣さん……!」
「お久し振りね、江戸屋キョーダイのお二方」
牟剣と前に顔を合わせたのはいつだっただろうと、義康は思い返す。彼女とファミリーレストランで話したのはつい昨日の夜の事だというのに、今この場で再度相見えるまで酷く長い時間を過ごしてきたような気がした。その後で、牟剣の挨拶がただの皮肉だという事に気付く。
「どうも。何かうちのがご馳走になったそうで」
「お気になさらず。自分の分しか払ってないから」
法子の丸出しの警戒心を、鼻で笑っていなす牟剣。言われてみればあの晩、ドリンクバー単品は一人分で三百八十円だったのに五百円しか置いて行かなかったなこの人、などとついつい思い出す義康。
「んで、鷹幡さんどこにいるって?」
ケータイから少し耳を離して訊ねる法子に、牟剣は夕空のある一点を指差す。風に目を細めて見上げた義康の目に、黒い胴長のヘリのシルエットが小さく映る。
「どうも江戸屋さん、お手間かけてすみませんねえ。ちょっと鷹幡さんにはご一緒頂いとりますわ」
通話の相手が、鷹幡から真武居に変わった。何かの妖怪のそれにも聞こえる老人の声に、法子はあからさまに顔を背けて見せる。
「そろそろ繋がらなくなるんじゃないかしら。今の内に言いたい事は言っといたら?」
上空のヘリを見上げながら牟剣がそう促すと、
「別にいいですよ、後でまとめてで。それより、ご用件は?」
え、ちょっ! と真武居が言いかけた所で法子はぶつりと通話を切る。ケータイをホルダーに収めたと同時に、姿勢こそ変わらないものの、その全神経を緊張させ臨戦態勢に入ったのが、義康の目にもはっきりと見て取れた。
ヨコトーテレビでの一件、あのただ数秒の手合わせ以来、法子は明らかに牟剣を警戒していた。仕事の時であれば、どんな大企業の重役相手にもマイペースを崩さない法子が、現状唯一その優位を譲らざるを得ない、敵。義康は牟剣の事をそう認識していた。
義康は自らも知らず拳を握り締め、身構え、そして法子よりも一歩前へ出て、牟剣に向かって口を開いた。
「ハインリヒの事、ありがとうございました」
「……そんな顔されちゃ、お礼言われてる気がしないんだけど。ま、とりあえず状況は理解できたって事?」
「ええ。でも国税局は、牟剣さんはハインリヒの何を疑って、こんな事をしているんですか?」
義康と法子をちらりちらりと見比べながら、牟剣は鼻で笑う。そして二人の間をゆうゆうと通り抜け、ヘリの後部座席にどすんと腰を落ち着ける。
「ま、長話は座ってしましょう、お二方。さっさと追いかけないとあのおっさん、アホ坊主達の修行のネタにされちゃうわよ」
同伴はさも当然とばかりの牟剣の様子に、義康は法子と顔を見合わせる。彼女をヘリから引きずり出すのは相当骨が折れるだろうという予想が、暗黙の内に一致したようだった。法子は裏側へ回って助手席に着く。そして義康が後部座席、牟剣の隣に緊張したまま座ると、整備士だと思われた男がばたんばたんと全てのドアを閉め、グローブを手に被せて操縦席につく。
シングルローターが義康達の頭上でさらに強く唸り、機体がぐらり、と揺れて浮き上がる。いよいよか。義康は拳を膝の上で握り締め、沈む夕日を睨みつけた。
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