2-3

 牟剣が指定した倉庫室とは、ヨコトーテレビと同じビル内で『ジャックたかはた』が使用している、テナントの一室の事だった。撮影用の製品サンプルや他の番組でのプレゼント用など、小回りの利く少量の在庫を常時置いているという。

「やあやあ。収録お疲れ様でしたねえ、鷹幡さん」

 頭のひとつも下げる事無く義康達を出迎えたのは、先ほど鷹幡が伏助和尚ふせすけおしょうと呼んだ男。宗教法人泉円相洞宗せんえんそうとうしゅう代表、真武居伏助まぶいふせすけであった。

 三人が倉庫に足を踏み入れた途端、脇で待ち構えていたいくつかの影が動き、ばたんと扉を閉め切った。義康が振り返ると、黒いスーツに皮手袋、坊主頭にサングラスというあからさまに剣呑な雰囲気の数人の男が、義康達の退路を断つようにそこに立ちはだかった。

 唐突にカラーを変えた空気が、義康の身をびくりと強張らせる。国税の立ち入りは白手袋じゃなかったっけ。牟剣麻衣子の印象が強かったせいで、そんな疑問がふと頭を過ぎる。

「今日も楽しゅう見さして頂きましたよ、『ライフジャック!』。相変わらずああも珍奇なモンばっか売っとって、感心しますわ」

「はいはいどうも。公開収録やるたんびに足しげーく通ってくれるとは、相変わらず爺さんもマメだねえ。ジャックさん嬉しくてあくび出ちゃうよ」

 持ち上げているのか皮肉っているのかわからない真武居まぶいの言葉を、鷹幡がうんざりといった様子で受け流す。大きな口をかぱっと開けて、漫画のような大あくびをして見せる。

「んで、今日はまた何。信者の方々? までこんなご一緒に連れてきて、ずいぶん大掛かりじゃないの爺さん。今度こそ、何かいいもんでも持ってきてくれたの?」

 大げさに首を回して周囲を見渡す、鷹幡と姉。二人の目は油断無くその状況を観察し分析しているように、義康には見えた。

 真武居の後ろに控える女性、牟剣を見つけた一瞬だけ、姉の目つきが険しくなる。対する牟剣も、感情の見えないこちらを観察しているように、義康には見える。姉と揉める? 一体、何を。義康の背をぞわりと不安が駆け上る。

「へっへ、今日のは絶対鷹幡さん気に入るんやないの思いますよお! 何たって、流行りのデジタルもんですよ、デジタルもん」

 真武居の明らかにアナログな言い回しに、義康には、その交渉の残念な行く末があっさりと予想できた。ゲームウォッチとタブレット端末の区別も付かなさそうな爺さんの薦める品を、最新家電事情の最前線に立つ鷹幡が、とても認めるとは思えないからだ。

 と、真武居は傍らのサングラス坊主に何やら顎で示す。持参して来たのであろう大きな段ボール箱から、坊主はそれをごそごそと取り出し、真武居に手渡す。まな板にも見える木目模様の板状のそれには、液晶画面が組み込まれているようだった。

「何とな、電子書籍ってやつですわ。うちらのオススメの本とかがようさん入って、しかも国内自社工場限定生産、お値段五千円ポッキリ! 『ライフジャック』でバカ売れでしょうコレ!」

「自社工場ってのはひょっとして、テラとヤシロって書く方? 上手いこと言うのね」

 ひとり言のような姉の呟きに、義康と鷹幡が同時にぷっと吹き出す。真武居の後ろの牟剣も、そっと口元を押さえて目を逸らす。

「真武居さんあんた、鷹幡さんがどうしてあんたんとこのモノを断ってるのか、ホントわかってないのね。そのジシャ工場とやらで働いてる人たちは、どんなお題目の”修行”でコイツを作ってるわけ?」

「これはこれは『ハートキャッツ江戸屋』さん、一体何のお話なんですかね、それ」

 笑顔を消し、顔中の皺を歪ませ、いかにもな悪党の面構えを為す真武居。だが怯む事無く一歩足を進め、姉は言葉を続ける。

「エグい噂ばっかりなのよね、あんたんとこ。『修行施設』って名前の工場やら農家に委託して、人件費ほとんどナシで信者働かせて、『修行の成果物』を格安で売る。しかもそれを信者に買わせて利益を上げて、丸々お布施扱いで申告して、しっかり課税逃れしてるとか何だとかさあ」

 右手に取り出したケータイのアンテナでこめかみをくりくりといじりながら、躊躇いひとつ見せず明け透けに姉は言ってのける。そうそう、とでも言いたげに頷く鷹幡。

「そうやって出来たモンはさ、仮にすごく優れた物だったとしても、それを商品として認めるわけには行かないわよね。だって、タダ働きさせて儲けようとしてるあんた達を認める事になっちゃうわけだし」

「いやいやいや、『江戸屋』さんね。困りますよお、そんな事言われても」

 これ以上言わせてたまるかとばかりに、両手と首を真横に振りながら、真武居が慌てて言葉を割り込む。

「わしらの修行ってのは、心身からケガレを取り除く為にやっとるんですわ。世の中に良いもんを送り出す事に喜びを感じて、それを手にして喜ぶお方を見て、幸せを感じる。お金の為に働く事を幸せだと信じ込む事こそが、人間には何よりのケガレなんですわ」

「へえ! その割には随分ケガレたスーツを着ていらっしゃるんですね、和尚様は。私のケータイも結構汚れてますけど、比べ物になりませんよねえ」

 真っ直ぐな眼差しで姉が放った皮肉に、今度は牟剣も確かにくすりと笑ったのが義康は見えた。アニメのとんち小坊主も真っ青だろうと思ったが、真武居の顔面は次第に赤くゆだってくる。

 と、真武居は姉に言い返す代わりに、さっと右手を開いて挙げる。すると、周囲を取り囲むサングラスの坊主達が、懐から一斉に警棒を取り出した。柄の部分を小さな鉄の輪が飾っている。

「まあまあ、これ以上は堪忍してもらわんと、『江戸屋』さん。うちの坊主も修行が大好きだもんでね。今日は『ケガレた既存製品を止む無く供養する』修行なんか、しちゃうかもしれんねえ!」

 真武居の顔中の皺が歪み、下卑た笑みが浮き上がる。

「おいおい、おい。わかりやすいクズだな爺さん。ジャックさん困っちゃうよ!」

「買い切りで頼みますわ、鷹幡さん。納品書と請求書もここにありますんで、一筆頂けるだけで、今日からでもバンバン売ってもらえますよ?」

 サングラス坊主の一人が、まな板電子書籍の詰まっているであろう段ボールを、鷹幡の前にどんと置く。さらにもう一人が、請求書を留めたクリップボードを突きつける。

「『江戸屋』さんも、あんま下らんこと吹聴ふいちょうせんでもらわんと。うちの坊主が『悪い姉に影響された少年のケガレを供養する』修行なんかぁ、してしまうかも知れんでな」

 いやらしく笑いながら、勝ち誇ったようにこちらを見下す真武居。姉は小さく溜息をつく。

 そして、ケータイを持った右手の力をすっと抜き、だらりとぶら下げると。


 ひゅおっ。


 しゃくり上げた真武居の顎が、天井に付く程高く、跳ね上がった。


「げぶおっ!」

 珍妙な姿勢で吹っ飛んだ真武居に、場にいる全ての人間がその目を奪われた。浮き上がった真武居の長身は、倉庫の虚空にゆっくりと放物線を描き、そのまま後頭部からどさりと落ちる。

「お、お師匠さま!」

「和尚様、一体何が!」

 突然のノックアウトに取り乱したサングラス坊主達が、倒れた真武居の周りにばたばたと集まる。人口密度が急激に低くなった義康の傍らで、姉の右手がぱしん、と鳴る。いつの間にか腰から外したチェーンの先端が、その手に収まっている。

 何が起きたのか、義康はその時初めて理解した。姉の右手がスナップを利かせて振り上げたケータイのチェーンが、数メートル先の真武居の顎を直撃したのだ。

 黒い光が一瞬走ったと義康が思った時には、もう真武居は吹き飛んでいた。いつだったかトーストを救い上げた時とは、まるで比較にならない速さだった。おそらくは、その衝撃も。

「……後で手間賃マージンもらうからね、鷹幡さん?」

 ちらりと見やる姉と、待ってましたとばかりににかっと笑う鷹幡。

「いいねえ! 相変わらず良いチェーン捌きだねえ。いい悪役ヒールになれるよお、法子さん!」

 言うや否や駆け出した鷹幡が、真武居を取り囲むサングラス坊主を一人、背中から軽々と持ち上げる。高々と掲げたそれをすとんと落とし、自らの膝に強かに叩き付ける。あっという間のワンハンド・バックブリーカー。小さく悲鳴を上げて気を失った坊主を放り出し、うろたえる別の坊主を立ち上がり様の極太ラリアットで叩きのめす。

「お、おい! 『修行』だお前達、こいつらのケガレを何とかせいっ!」

 顔じゅうを、いや、紫色に腫れ上がった顎以外の顔じゅうを真っ赤にして、真武居がヒステリックに叫ぶ。慌てて身構えた坊主の一人が、今度は顔から真横に飛ぶ。坊主の頬に遠隔ビンタをお見舞いするが如く、鮮やかにくねり舞う姉の黒いケータイ・チェーン。鎌鼬かまいたちの如きその鎖の嵐を掻い潜り、警棒片手に姉に迫る坊主。

 姉さん! と義康が手を伸ばすと同時に、姉のパンプスが坊主の股間を、寸分の違い無く蹴り上げる。錫杖にも似た長めの警棒が、冷たい床にからんと落ちる。

「うわあ……」

 反射的に踏み出した足を、びくりと押し留める義康。一瞬だけその痛みを想像してしまい、哀れみを含んだ声がその口から漏れる。内股で立ち尽くす坊主の胸に、姉が空いた左腕をすっと寄せる。まるでそれが力学の生み出す自然な帰結であるかのように、坊主の身体はごろりと倒れる。

「がははっ! ジャックさん久々に暴れちゃうよお! 『修行』足んないんじゃないの、お坊さんたち!」

 チョークスラムで、ドラゴン・スクリューで、投げっぱなしのノーザンライト・スープレックスで。朝のゴミ回収業者の如く、ぽんぽんと坊主を放り投げる鷹幡。もちろんしっかりと、在庫商品の無い棚の方を狙ってだ。

 鷹幡は元々は、あるマイナー団体の巡業プロレスラーで、関東じゅうを戦い歩いて来た人物だったらしい。義康は姉からそう聞いてはいた。だがこうして派手な投げ技のオンパレードを見せ付けられて初めて、義康はその話を信じる事が出来た。

「ほら坊さんたち! そんな仕事っぷりじゃあ『手数料マージン』も『報酬フィー』も出ないわよ……って、ああ、『修行』だからどっちにしろ出てないのかな。ありゃ……」

 姉の手から放たれる黒いきらめきが、ひゅん、ひゅあっと倉庫の空気を裂く度に、ばちん、べちんと高鳴るラップ音。床にしこたま身体をぶつけてうめく坊主達を、さらにこれでもかと打ち据えるチェーン。

 姉と鷹幡が繰り広げるのは、まさに一方的な大立ち回りだった。義康は口をあんぐりと開けたまま、時折頬を掠めるチェーンの音に首を縮こめながら、坊主達を薙ぎ倒していく二人を見ている事しか出来なかった。まさか自分の姉のアクションシーンを、現実に目の当たりにする日が来ようとは。

 同じく茫然自失で戦局を見ていた真武居と、義康の目がぴたりと合う。しまった。後ずさりする義康に、憤怒の形相で真武居が迫る。姉は真武居の動きを見逃さず、

「ちょっと爺さん、ストップ!」

 その手のチェーンを真左へ薙ぐ。だがその軌道の途中に、鼠色の小さな影。一歩引いて事態を静観していた牟剣麻衣子の顔面に、瞬速のチェーンが迫る。そして。

「……おおっ?」

 鷹幡が、そして真武居がその手と足を止め、思わず声を漏らした。牟剣の決して大きくないその右手が、襲い掛かったチェーンの先端をその眼前で、ぴたりと受け止めていたのだ。

 静寂。テレビ局の片隅に溢れていた、坊主達の吼え猛る声や悲鳴、衝撃音とダメージの全てが、牟剣のその一手で止まったのを、義康は見た。

 くい、と牟剣がチェーンを引く。姉は僅かによろめきながらも、空いた左手でケータイからチェーンをぱちりと外す。ほんの少し、ぐらりと姿勢を崩す牟剣。

 姉のパンプスが床を蹴る。膝と膝が擦り合うまでに、一瞬で詰まるその間合い。ぱっとチェーンを放した牟剣の手が姉の抜き手を払い、そして捉える。素早く手首を返し、牟剣の拘束を解く姉。続けて放つ手刀も掌底でいなされ脇が空く。添えられた牟剣の腕をぱしんと払い、姉は後ろへ飛び退る。

 数秒、ただ数手の攻防。だが義康が見た姉の表情は、坊主達を相手にしていた時とは比較にならない程に、緊張で強張っている。わずかにずれたメガネのつるから、一筋の汗がつうと落ちる。

「……合気ね。結構なお手前で」

「あなたのはS・Aシュートアイキドウかしら。ま、素人さんじゃそんなものよね」

 対して息ひとつ、服装ひとつ乱す様子の無い牟剣。チェーンを受け止めたその場から、足を一歩たりとも動かしてはいない。

「む、牟剣女史! そうですよ、ちょっとやっちゃって下さいよ、その小娘!」

 形勢逆転と見たのか、真武居は声を裏返して牟剣を煽る。ケータイを腰のホルダーに戻し、両拳を腰の高さに止めて構えなおす姉。両者の間の、再びぴんと張り詰めたその空気を、割って入った鷹幡の巨躯が強引に揺るがした。

「はいはい、カットカット! この辺で痛み分けってことで、やめだよ、やめ!」

「い、痛み分けだと! うちの坊主を散々ぶちのめしといて……!」

 大きな両手をぱんぱんと鳴らして見せる鷹幡に、しつこく食ってかかろうとする真武居。だがこれでもかとばかりに痛い目を見たサングラス坊主達は、今度は協力しあって真武居を押さえ込み、必死に引き止める。

「えっと、牟剣さんでしたっけ。そもそも国税さんが、うちにどういったご用件なんですかね。まさか真武居の爺さんと一緒に、ウチの倉庫荒らしに来ただけってわけじゃあないですよねえ、奥さん?」

 義康を始め、全ての視線が一斉に牟剣へと注がれる。牟剣は小さく肩をすくめて見せてから、あっさりと答える。

「真武居はダシよ、ただの。本当はあなた方と、もっとちゃんとした『大人の争い事』をするつもりだったんだけどね。つまらないバタバタで間延びしちゃったし、今日は出直す事にするわ」

 ダシって何ですか牟剣女史、と情けない声を上げる真武居を尻目に、牟剣は鷹幡の元へつかつかと歩み寄る。そして、先ほど義康にしたように名刺をぴっと突きつける。鷹幡は一瞬面食らったが、にやりと笑って素早く自分も名刺を取り出し、先に受け取るように大きな顎で相手に促す。

 牟剣は素直にそれを受け取りながらも、

「あと私、どこの奥さんでもないんだけど」

 不機嫌そうな顔でちくりと指摘する。こりゃ失礼、と首を引っ込める鷹幡。そして。

「良ければあなたのも頂けないかしら、江戸屋法子さん?」

 床に落ちたチェーンを拾い上げる姉の頭上に、低く落ち着いた牟剣の声がかかる。姉は未だ警戒を解かず、

「生憎切らしてるけど、別に必要ないでしょ?」

 と小さく答えた。牟剣は素っ気無い姉の態度を見ても、余裕の姿勢を崩す事無く、

「そうね、その通り。じゃ、とりあえずこれだけ覚えておいてもらえればいいわ」

 と、姉の肩にぽんと手を置く。

 そして、頬が擦れる寸前にまで顔を寄せ、淡々と、だがしかし、その法の執行を宣言するかの如く、はっきりと告げた。


「東京国税局、牟剣麻衣子。あなたの『国』を壊しに来たわ」

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