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「さあ本日はこれ、大人気の内に生産終了してしまった自動お掃除ロボット『リンボーくん』の新型、その名も『リンボーマークⅡくん』!」

「あの、鷹幡さん。『くん』付けする所ちょっと違いませんかね」

「直径29ミリのコンパクトボディはそのまま、よりパワフルに生まれ変わっての登場です! 簡単操作でお掃除お任せ、でっかいお宅もコレ一台!」

「でも鷹幡さん。今って自動掃除機とっても流行ってて、いろんな種類がありますよね。『リンボーくんマークⅡ』は何が違うんですか?」

「違うんですよ、『リンボーマークⅡくん』は! よそ様のお掃除ロボットはどうしても段差が苦手で、『一階終わったら二階もやってねー』なんて事お願いできないでしょ? でもね、ジャックさんが教えてあげるから、見てて下さいよ」

「なになに? あら、段ボール箱の手前で止まっちゃいましたね。普通ならここで向きを変えて……って、うぉわあ!」

「そう、これです! 『リンボーマークⅡくん』は、本体の底の部分に、NASAでも採用されている新技術を使った超小型バーニアを搭載しています。光学センサーで階段の高さを計測して、バーニアを瞬間的に噴射して自分で登っちゃうんです! ね、すごいでしょう!」

「す、すごーい。この発想はぶっ飛んでますね鷹幡さん! 何でこうなったんですか」

「三時間の充電で二時間稼動、平らな六畳間なら十分くらいで隅までキレイ。段差登り用バーニアは専用小型固形燃料ひとつで、およそ三階くらいまでの階段なら頑張って登ってくれます!」

「で、でも鷹幡さん。そんなすごい技術を積んだ掃除機だったら、とってもお高いんでしょう?」

「いえ、そんな事はありません! 『リンボーマークⅡくん』は、専用小型固形燃料を一か月分お付けして、このお値段でのご提供です。なんと……!」


『ライフジャック!』撮影専用スタジオで繰り広げられる姉と鷹幡の掛け合いに、観客席の義康は驚き、笑う。自分の周囲に座る一般の見学者達も、そしてスタッフ達も一緒に盛り上がる。

 鷹幡のセリフや姉のツッこみの度に起きるどよめきやリアクションは、リハーサル無しの本番だからこそ生まれるのだろうか。普段テレビで見ているそのままの、笑いの絶えない空気感。加工無しでもお茶の間に伝わるそれが番組の魅力のひとつなのだろうと、義康は感じていた。

 ただ、鷹幡が自慢げに次々と取り上げる商品には、どれもその商品力に少々ならず疑問が残る所ではあった。彼の傍らで、隠しもせず困った顔を見せている姉でなくとも、そこには確実に首を傾げる所だろう。

 業界最大手のやる事は違うなあ。義康は深く考える事をやめ、目の前のやりとりを最上のコメディとして純粋に楽しむ事にした。

 三品目の紹介が始まったあたりで、義康は気付いた。撮影開始からここまで、自分の目はステージの上の姉ばかりを追っていた。見とれている。その言葉が浮かんだ時、どれだけ姉弟のひいき目で見ているのかと、急に恥ずかしくなる。

 カメラの前でも、姉は大勢の観客の前でも物怖じを見せず、およそ素のままではあるものの、鷹幡のアシスタント役を立派に演じている。ひょっとして、並のタレントや女優と比べても引けを取らない、魅力ある女性なのではないか。そんな事を、義康は改めて思う。

 そう言えば昔からそうだったかもしれない。そう義康は思い出した。中学のセーラー服に身を包んだ姉がアイドルみたいに見えた、そんな記憶。憧れなどという言葉も知らない幼い頃の記憶だが、それでも義康は密かに彼女の事を、「すごい姉ちゃん」なのだと誇らしく思っていた。

 十年を経て思い出したくすぐったい記憶。だがふと、義康は考えてしまった。ならば姉は自分の事を、その頃はどんな風に思っていて、今はどんな風に思っているのだろう。

 と、そこへ。

「やれやれ。あんな珍妙なモンばっかようけ出しとって、どんだけ売れる思っとんじゃ」

 すぐ隣から飛んできたそんな言葉が、義康の耳に障った。明らかに周りのそれと違う、嘲笑の混じった心からの皮肉。相当に歳を経た男性の、どこかの方言が入り混じった皺枯れた声。

「どっかに需要があるんでしょう? だから現実に売上があるのよ。認めなさいな」

 続いて、この場にそぐわぬやけに冷静で落ち着いた、女性の声。男性の方ほどではなかったが、こちらも歳と経験によく練られた口調だった。

 せっかくの楽しい時間に、わざわざ撮影現場に来てまで水を差すような奴は、一体どんな捻くれた顔をしているだろう。

 自分の右手すぐ隣に座った人間を義康がちらりと見る。ひょろりと背の高い老人男性と、見下ろされる形でぴたりと視線がかち合った。やたら高そうなライトグレーのスーツが、今ひとつ似合っていない。

「兄ちゃんもそう思わん? あんなモン売るだけ損やし、買った方はもっと大損や」

 眉間を歪めて同意を求める老人男性。さらにその向こうから、男の連れらしき熟年女性の視線も義康の元へ届く。引っ詰め髪のその女性は、地味なねずみ色のスーツ姿だったが、こちらは何故かひどくしっくり来る出で立ちだった。

「……わざわざイチャモンつけに収録来る方が、色々と損じゃないですか?」

 義康はそれだけ言って視線をふいと外し、あとは無視を決め込む事にした。何やと、と食ってかかって来る様子を見せたが、どうやら男は隣の女性に諭され、止む無く拳を引いたようだった。

 興奮と緊張が入り混じり、義康は自分の身体に小さく震えを覚えていた。普段こそ進んで他人といさかい合うような事をする義康ではなかったが、姉を目の前で小馬鹿にされたようで、言い返さずにはいられなかった。

 結局その後の十数分、義康は目の前の収録風景に集中する事ができないままだった。鷹幡の「それではまた明日!」という声に大きく拍手が上がり、そのまま撮影は終わりを迎えた。

 わらわらと退場してく観客の流れに従い進んで行く途中、

「江戸屋法子さんね? あれ」

 耳元に突然かかった声に、義康はびくりとする。思わず立ち止った所で、後ろを歩いていた観客の主婦があからさまに迷惑そうな顔を見せる。

 声を掛けて来たのは先ほどの二人の、熟年女性の方だった。肯定すべきか否か迷う義康に、微塵の揺らぎも見えない眼差しを向けてくる。

「さっきは連れが失礼したわね。失礼ついでで悪いけれど、鷹幡さんとお姉さんにそこの『ジャックたかはた』倉庫室に来てくれるよう、伝えてもらえるかしら?」

 口元は申し訳程度に笑っているが、その目はあくまで冷たく強い。何も言わずに人ごみの中を逃げてしまおうかとも義康は考えたが、生半可な行動を許さない迫力が、その女性にはあった。

 義康は観念し、一度ごくりと唾を飲み込む。

「一応、伝えはしますけど。どちら様ですか」

 女性はスーツの懐から黒い名刺入れを取り出し、指先で名刺を一枚つまみ出す。そして、女性の割りにごつい手だなと何となく思った義康の眼前に、それは無遠慮に突きつけられた。真っ先に目に入って来たのは東京国税局という機関の名と、牟剣麻衣子むつるぎまいこという名前。

「……『マルサ』って奴ですか?」

「ま、やる事は同じね。ちょっとこれからお姉さんと揉めるかもしれないけど、さっきみたいに噛み付かないでもらえると助かるわ」

 義康が名刺を受け取らずにいると、牟剣はそれを躊躇ためらいの無い手つきで、義康のシャツの胸ポケットに滑り込ませた。そして、その手をひらひらと義康に振ると、退場していく人の波へと消えてしまった。と、その中を頭一つ高い白髪頭が着いて行く。さっきの爺さんか、と義康は気付く。

 胸ポケットの名刺を引っ張り出し、改めて見てみる。東京国税局とうきょうこくぜいきょく統括国税実査官とうかつこくぜいじつさかん電子商取引担当でんししょうとりひきたんとう牟剣麻衣子むつるぎまいこ。国税局が姉と揉める、そう言われて義康が真っ先に思い当たったのは、『ハートキャッツ江戸屋』の相談料の価格設定と、そこから生み出されるであろう利益。

 姉さん、まさか。楽しかった気分を台無しにされたまま、義康は一人ぽつりと観客席に残された。


「ああ、そいつは十佛寺じゅうぶつでら伏助ふせすけ和尚だ。困ったモンだなあ、あの爺さんにも」

 件の話を撮影を終えた鷹幡に聞かせたが、彼はそれを特別大事に受け止めた様子も無く、義康は拍子抜けした気分だった。どうやら老人の方は、鷹幡の知らない相手では無いようだった。

「姉さんは知ってるの? その何とかって和尚」

 姉はスタッフが手渡したドリンクのストローをついばみながら、義康のその問いに「んー」と虚空を眺めて思い出す。

「鷹幡さんに聞いただけね。何だったかの商品を『ライフジャック!』で取り上げてくれって、しつこいんだってさ」

「……あの坊さんが、何の商品を?」

 数珠とか? という義康の呟きに、鷹幡が苦笑する。

「ま、一番直球だったのは書籍関係だね。おエライ坊さんがどうのっていう本とか。あとは健康食品やら健康グッズ。さもありなん、といったシロモノばっかりだったさ」

 ジャックさん参っちゃうよ、と、広い肩を小さくすくめ、呆れて見せる鷹幡。姉にもそのラインナップにおよその想像がついたのか、一人嫌そうに首を横に振る。

 テレビの通信販売コマーシャルと言えば、野菜の濃縮汁のような健康食品や、一袋買うともう一袋付いて来るサプリメントばかり。そんな印象は確かに義康にもあった。その中にあって『ライフジャック!』の取り扱いラインナップには生活家電が圧倒的に多く、それも国内メーカーに絞って選別しているようだった。

 その中には、義康が名前も知らない会社も多くあった。それこそ今日の『リンボーマークⅡくん』のメーカーである有限会社臨海望電子りんかいのぞみでんしは、本牧ほんもく埠頭ふとうの倉庫の一室を間借りして営んでいる、社員二人の小さな会社だそうだ。

 初めて取り扱う商品を紹介する時、『ライフジャック!』は必ずそのメーカーの代表に生電話を入れる。簡単な挨拶を経て商品の魅力や、商品が完成するまでのエピソードなどを直接訊く。緊張してほとんど口の回らない人もいれば、話の組み立てが巧い人に当たる時もある。インタビュアーを兼ねる鷹幡の手腕による所も多いが、義康はそれを見ていて、ちょっとしたドキュメンタリーを楽しんだ気分になれる時もあった。

「しっかし、あの爺さんが国税とご一緒ねえ。宗教屋と国税なんて、パブとマングースみたいなもんだろうに。ねえ、法子さん?」

 どういう関係よそれ、と姉は律儀にツッこみながら、預かって貰っていたハンドバッグから開いたままのいつものケータイを取り出す。義康がひょいと覗くと、そこには着信履歴がずらりと並んでいた。重複無しの三十六件。うわ、と思わず口に出す。

「……ま、名指しってんなら行くしかないわね。お昼までに済ませましょっかね」

 姉はハンドバッグからいつものケータイホルダーを取り出し、いつものように腰に止めてケータイを開いたまま差し込む。

 どこから何を心配すればいいか、義康にはわからなかった。わからないまま、

「ねえ、大丈夫なの? 姉さん」

 と、スタジオを出る直前に姉にそれだけ訊ねると、やはり姉は「んー」と首を傾げてから、僅かに眉を傾けて困ったように笑って、答える。

「心配しないでいいわよ、ヨシくんは」

 姉のその言葉に、義康のあらゆる不安は一層、煽られるばかりだった。


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