四.
その後ローズの副官として合流した軍事長官ロバート・ネイピアの手により、カールビー城はあっけなく陥落する。
彼の指揮下でラクナウを落とした精鋭部隊第二旅団は、平和的解決を探る為密談を続けていたローズをあざ笑うかのように、反乱軍とその指導者の殆どを駆逐した。生き残ったシパーヒー達も殆どが抵抗を見せずイギリス軍に降伏。東インド会社に帰順し、傭兵部隊として鎮圧部隊に組み込まれる事になった。
インドに着いてからのネイピアの功績、そして軍人としての手腕を知っていたローズは、彼が部隊に合流する直前、カールビー城を離れるようラクシュミーに伝えていた。往生際の悪い方ですね、貴方も。ラクシュミーは寂しそうに笑ってから、僅かな手勢を連れて夜の内にカールビー城を離れ、グワリオール城へ移った。
後日、ラクシュミーの計略によるグワリオール城無血開城の報せが、軍全体に波紋を呼ぶ。ただしこの乗っ取りの成功の陰にも、彼女の身を案じたローズの手引きがあった。彼は予めこの城の殆どの部隊に、周囲の反乱軍駆逐の指示を出していたのだ。
だが返ってそれは、イギリス軍全体が彼女をより恐るべき脅威と見て注目する事に繋がった。ネイピアは改めて彼女を調査し、彼女を討つ事が残った反乱軍の士気を挫く最良の方法と断じた。
そして、あろう事か軍の最高指揮官であるローズが、彼女と密会を重ねている事も知る。
ネイピアと他幹部数人は、ローズをグワリオール攻略作戦での指揮官の座から外す事を決定する。部隊の士気が落ちぬよう、局地の連戦による体調不良の改善をその名目としていた。それは上官に対する慮りでもあり、またその口を開かせぬ為の”貸し”でもあった。
「尊敬すべき先輩を軍法会議にかけるような真似は、私にさせないで欲しい」
ネイピアの真意の込められたその言葉に、ローズは黙って頷く。ネイピアは決して、彼を追い落とそうと企みそうした訳ではなかった。ヒュー・ヘンリー・ローズの名は、クリミア戦争で英仏連合軍を指揮し戦い抜いた英雄として、軍部はおろかイギリス国内に広まっている。イギリス正規軍と東インド会社の傭兵部隊、人種も習慣も異なる二つの軍隊の間を規律を以って繋ぎ軋轢の無い融合を果たしたのは、ローズの力があればこそだった。
反乱軍の女将官との密会など、理由無く行う訳が無い。ネイピアはそう信じ、鎮圧部隊の指揮を執る傍ら調査を続けていたのだ。だがネイピアと合流後部隊を展開し、グワリオール城攻略の布陣が全て整ってからも、ローズは足しげく敵城に通っているようだった。
攻略作戦開始の日を決定したと同時に、ネイピアはローズの真意を探る事を諦めた。如何な理由があったとしてもローズの行いは反逆行為に等しかった。脅威となる敵将を二度も討ち漏らし、このインド大反乱の長期化を助長している事に変わりはないのだ。
ローズの手から、指揮権の一切を剥奪する事。それが軍属として自身の正義と義理を曲げぬ為、ネイピアが唯一選択できる方法だった。
「行かれるのですね、ローズ殿」
グワリオール城攻略作戦前夜。一人馬上に跨るローズの背中に、ネイピアは声をかけた。
職務を解かれた時点で既に内通の発覚を覚悟していたローズは、僅かにも驚く様子を見せず振り返る。
「見送りとは、手間をかけさせて済まないね。ロバート」
「いえ。休暇と言えど必要になる事もあるか、と思いまして」
馬上のローズにネイピアが差し出したのは、手にしていた一丁のエンフィールド銃だった。砲身を握って柄の方をローズに向け、彼にそれを受け取るよう無言で促す。
ローズは僅かの間、表情の変わらぬネイピアの目を見つめ、その意図を思案し、答えにたどり着く。この銃で誰を撃つべきかという最後の問いかけであると、ローズはすぐに理解する。
この場でネイピアを撃ち、堂々と反逆者として戦う道を選ぶか。
グワリオール城でラクシュミーを撃ち、イギリス軍人としての責務を全うするか。
或いは己の罪を認め命を絶ち、すべての運命をネイピアの手に委ねるか。
弾は既に込められている。六月の暑い闇夜の下、ローズは目を閉じ自らに問う。そして、ローズは首を一度だけ首を横に振る。
ネイピアは重く息を吐き、銃を下げた。
敬愛する上官にはこの銃を手に取ってグワリオールへ向かってもらう事で、気休めにでも自分を安心させて欲しかった。だがローズの決意の前にそれは叶わぬ事だろうとも、ネイピアは気付いていた。
彼と戦場で再会した時には、反逆者として彼を撃つ。その選択肢だけが、こうしてネイピアに残されたのだ。
「どうか良い休暇を、ローズ殿。ご自身の名誉を自らの血で汚すような真似だけは、しないで下さいね」
ローズは黙ったまま頭を一度下げる。次に彼と会う時には間違いなく、自分は反逆者として銃口を向けられる立場だ。それを理解していて尚、ローズはネイピアの計らいに感謝した。
ローズは馬をグワリオールへの道へ向け、鞭を打つ。熱砂に薄く霞む夜空の下、女神の待つ青の城郭グワリオールへと、彼は一直線に駆けていった。
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