三.

「あんな口から出任せ、よくもスラスラ並べ立てられたもんだねえ」

「出任せじゃあねえよ。技師長の小山さんがワシに、定年の土産っちゅうてよこしてくれたのさ。新しくできた飛行場に一機置いておくから、好きにいじって遊べってな」

 ばつん、と電気の通る音が共鳴し、格納庫内を白熱灯の光が満たす。大格納庫は半円筒状のトタンの屋根を正方形の升目の柵で支えるような、巨大ながら危うい造りの建物だった。

 灰緑の斑点模様に染められた二式単座戦闘機キ四四、通称『鍾馗しょうき』。定年の土産だというその戦闘機は大格納庫の出口近くの隅にひっそりとあった。同じく中島飛行機小山技師長の設計であり二四四戦隊の主力、ずらりと並ぶ白銀の九七式戦闘機達に囲まれ、それは単機明らかに異彩を放っていた。

 二人を置いて兵隊達が勤めに戻った後、幾造は早速ちょろちょろと駆け回り支度を始めた。重そうな給弾ベルトを機銃へつなぎ、給油口からガソリンを注ぐ。

 この鍾馗しょうきの型番は、正しくは幾造の言う通りキ四四Ⅱ型となる。試作当初はⅠ型と同じく12.7ミリ砲を主翼に、7.7七ミリ砲を胴体カウリング内に搭載していたが、重戦闘機としての方針をより先鋭化させる為、主翼の搭載火器は37ミリ榴弾砲、カウリング内のものは20ミリ砲に換装されていた。

「操縦席の後ろんとこはもう繰り抜いちまってあるから、単座っちゅうてもあと一人くらいなら乗っけられるだろ。でっけえ婆さんにはちょっと窮屈かもしんねえが、辛抱してくれや」

 格納庫の天蓋に大笑いを響かせながら、幾造はレンチをくるくると手際よく動かしキャノピーを取り外す。よいしょと持ち上げ、足場の脚立を降りる。

「おい、いくらなんでも狭すぎやしないかい。もっと何とかしなよ!」

「ば、バカ野郎。それで精一杯なんだよ!」

 幾造が降りた隙にひょいと脚立に上り中を覗き込んだ百恵は、げんなりした顔で文句を垂れる。光の届かない胴体の内側、金属の板と骨枠がうっすらと見える。本当に人一人分立てる程度の空間が空いているだけで、副座などとは到底呼べない、お粗末な改造だった。これでは一度膝を抱えて座ってしまえば、立ち上がるのは相当億劫になりそうだった。

「何言ってるんだい、この分厚い背もたれ全部取っ払やもっと広くなるじゃあないか!」

「ふっざけんな! ンな事よりもな、もっと手間ぁかけなきゃいけねえ事があんだよ!」

 いいからちょっと降りて来んかい! 修繕用の部品やら何やら、油の匂いに満ちた金属の山の向こうから百恵を呼びつける幾造の声は、自宅にいる時のそれより幾分か強気に聞こえる。自分の土俵にいるつもりで、さぞかし気分も良いのだろう。百恵は仕方なく脚立を降りる。

「そんな高え声張らんでも聞こえるよ! 何だい、またメガネでも踏んづけたのかい?」

「つまんねえ事言ってねえでいいから、ちょっとこっち来て寝れ!」

 百恵はやれやれと思いながらも、大人しく従う事にする。どこから引っ張ってきたのか車付きの作業台が出ていて、幾造はそれを顎で指し示す。百恵はよいしょとよじ登り、埃っぽい木板に辟易しながらそこにうつ伏せになる。

 百恵は昔、幾造が玄関で靴を脱ごうと真下を見た瞬間、新調したてのメガネを顔から落とし、あろう事か慌てて自ら靴底で踏みにじって台無しにしてしまったのを目撃した事がある。普段ならば幾造は、百恵がその話をする度に耳まで真っ赤にして怒り出すのだが、今はそれもこうして受け流してしまうほど彼の機嫌は良い様だ。

「さて、婆さん。普段使い程度なら十分使い込んでるようだが、具合はどんなモンだい」

 幾造も作業台に膝を乗せて、百恵の背後から襷を緩め、襟に手をかけ僅かに肌蹴る。

「奥方様の身体を好き放題しておいて、どんなモンも無いんじゃないか? 何よりあんた自身、身にしみてコイツの具合はわかってんだろう?」

「かっはあ! そいつぁ違えねえな!」

 幾造は前歯の欠けた大口を開けて、百恵は口端の皺を曲げて笑い合う。

 暗い照明の下曝け出された百恵の首すじは、うなじから鎖骨の辺りまでは歳相応に枯れた白い肌が見えている。だがその先、肩甲骨の始まるあたりから胸にかけて、アルミか鉄か、鈍色に光る金属の板が、その肌に食い込むように重なり合って上半身の形を為していた。

 発動機ハ四五の矮一○○型、『誉壱百』ほまれいっぴゃく

 人の強さを心技体が為すとするならば。鋼鉄の固まりをも空に浮かす発動機の力を体の助けとし、折れる事無き心と潰える事無き技を持つ人間を作る事が出来れば、国を守り戦う最強の兵となるのではないか。『誉壱百』ほまれいっぴゃくは幾造がその発想を軸とし、中島飛行機で培った技術と知識を結集させて創り上げた、人体搭載用小型発動機であった。

 そもそもの原型はその名の通り、二段三速過給機を備えた四〇番台に相当する陸軍航空機仕様の発動機であった。十八気筒、排気量三万六千CCの出力を持ったそれをまずミニチュア化し、さらに二気筒の四つの発動機に分割した。小型化に準じてそれぞれ二百CCを切る排気量となったが、幾造が三鷹研究所で計測した際には四十馬力に迫る最高出力を見せた。

 左右の肩甲骨、及び大腿骨にボルトで固定されたその発動機は、手のひらと土踏まずに組み込まれた釦を押すことで瞬間的に回転数を上げ、僅かな時間のみ高トルクを出力する。肘から手首へ、また膝から足首へと繋がるアルミの骨と関節が、素体の動きを支えると同時に発動機の力を伝える。ただし現状、両腕のそれは「振り下ろす動作」、両脚のそれは「膝を曲げた状態から伸ばす動作」の方向にしかトルクを伝える事ができない構造だった。

「やれやれ。俺とお前がお国を護るんだ! とか言っていきなり研究所に連れて行かれた時ゃ、とうとうトチ狂っちまったと思ったよ」

「否定はしねえよ。でもな、こいつが動いて戦う所を、どうしてもワシぁ見ておきたいんだ。支那畜や露助にアメさんを、こてんぱんに叩きのめす姿をな!」

 幾造は定年を迎える半年前に、百恵を初めて自らの職場、中島飛行機三鷹研究所に連れて行った。そこでこの小さな発動機を見せ、これが何であり何の為の物か、そして百恵に自らの理想と望みを打ち明けた。

 このままただ兵器だけを造り続けても、資源に乏しい日本は負ける。仮にこの戦争を勝ち抜いたとしても、いずれまた東西の強国は、本土を蹂躙しにやってくる。その時に大切な物を守り戦う為に、ワシはこの技術を絶対に完成させたい。

 互いの強気な性質のせいで、大なり小なり喧嘩の多い夫婦だった。普通に聞けば、今度は到底喧嘩じゃ済まない話だった。だが家族の為、そして国の未来の為、技術と研究の戦いに挑んできた幾造の熱意に打たれ、百恵は黙ってそれを受け入れた。

 百恵の身体に『誉壱百』ほまれいっぴゃくを取り付ける改造手術は、幾造の古くからの友人だという防疫給水部七三一部隊出身の軍医が執刀した。三鷹研究所の化学兵器開発棟で、一つ一キログラムを越える発動機を取り付けた後、その軍医は、年齢より遥かに若々しく丈夫な骨だったと、麻酔から覚めた百恵の前で驚いていた。全く誉められた気はしなかったが、幾造は何故かそうかそうかと喜んでいた。

「満州に降りたら、もうそこはほとんど戦場みてぇなもんだろうしな。息子夫婦を探すついでに、支那畜どもを蹴散らしてやらぁな!」

 百恵の背中に二箇所ある給油口に、ビンに移したガソリンをとくとくと注ぎながら、幾造は楽しげに喋る。

 トタンの壁の隙間の空に、おぼろげに朝日が姿を現しているのを百恵は見た。四時過ぎ。夕餉の後の夫婦喧嘩から、結局一睡もしていない。

 この先一体どんな強行軍になるのやら。少しずつ増していく四肢の重さと、背中越しに伝わる幾造の覇気を感じながら、百恵はうつらうつらと眠りに落ちていった。

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