二.

「お、おいそこの! 止まれ止まれ!」

 午前三時。調布飛行場正門に現れたその長身の老婆を、見張りの兵隊二人が慌てて制止する。交叉に背負った薙刀二本と、着物の腰帯に留めた大小。百恵のあまりに剣呑なその格好に、ここまで出会った僅かな通行人達は皆一様に一歩引き道を譲ってきた。

 取り押えられるどころかひと悶着起こしそうな百恵を背に庇い、幾造はすかさず割って入る。とある武家の一人娘だった百恵は、幼少の頃から道場に通い薙刀を嗜んでいた。その腕前で若くして道場を継ぎ、かつては関東の強者達が集う大規模な試合で、見事優勝までして見せた。あたし以外が鉄砲持ってきたって勝てたね。少なからず集まった新聞記者達の前で百恵はさらりと言ってのけ、観衆を震撼させた。

 そんな百恵だ、ここで兵隊相手に大立ち回りを披露されてはとても堪らない。幾造は小さな背をぴしっと伸ばして敬礼し、声を張る。

「お勤めご苦労様でありまぁす! 帝国陸軍、一四四戦隊の皆様でありますでしょうか!」

 兵隊二人は互いに顔を見合わせ、背の高い方の一人が無言で頷く。

「十五日から、二四四戦隊と改称されたがな。なんだ、そんな格好で軍関係者なのか?」

「それはそれは、大変失礼を致しましたぁ!! 私めは、中島飛行機株式会社のぉ! 大日本帝国陸軍試作戦闘機第一開発部主任、二又幾造であります!」

 幾造の身分を耳にした途端、二人の兵は互いに顔を見合わせ、手に掛けていた三八式歩兵銃を下ろす。

「ああ、ああ中島。飛行機の、あの!」

 そして、ぴしりと動きを揃えて敬礼を返す。なるほど、兵隊さんたちの間にもしっかりその名を残す仕事を、この小さな旦那は確かにしてきたのだ。くるりと変わった兵隊の態度に百恵は改めて感心し、少し気分を良くする。

 そんな百恵の方をちらちらと気にしながら、兵隊の一人が幾造に尋ねる。

「それで、こんな時間に何か?」

「恐れ入ります! 既に陸軍飛行実験部からの通達があったかと存じますがぁ! 本日○八○○マルハチマルマル、海軍十三試作双発陸上戦闘機の性能試験を行う予定となっておりまぁす!」

 幾造は胸のポケットから一枚の書類を取り出し、背の高い方の一人に突きつける。白熱灯の明かりの下で、何やらびっしりと書き込まれたその紙を、見辛そうに睨みつける兵隊二人。

「ああ、聞いている。黒鳥少尉が飛ぶ予定だが、二又さんも参加するのか?」

「いぃいえ! その飛行試験と同時刻より、本基地に既に納入されている二式単座戦闘機キ四四、改め発動機ハ一○九換装試作キ四四Ⅱ型の性能実験を主とする試験飛行! 加えまして、発動機ハ四五の矮一○○わいイチマルマル型『誉壱百(ほまれいっぴゃく)』の性能試験を、私め二又幾造が行う予定であります!」

 勢い良くまくし立てる幾造の言葉を、二人の兵隊はどぎまぎしながら何とか聞き取ろうと耳を傾ける。

「『鍾馗しょうき』と……何ですって? 『誉壱百』ほまれいっぴゃく?」

「試験は正午まで! 本機及び十三試作陸戦は横須賀航空隊と合流後、そのまま横須賀へ降ります故! 着陸迎え入れは不要でありまぁす!」

 相手の理解も同意も待つ事無く、堅苦しい響きの言葉をつらつらと並べ立てる幾造。こいつ、勢いだけで煙に巻こうとしているな。百恵は幾造の意図をすぐに察したが、もちろん余計な口を挟む事はしなかった。

「つきましてはぁ! 当該機の整備及び試験飛行準備をこちらで整えますので、大格納庫の隅っこをばちょろっとお借りしたく! あいやいや、『近衛飛行隊』の皆様のお手は煩わせませぬ故!」

 唾を飛ばしながらひたすらに言葉を連ねる幾造を前にして、兵隊二人の頬が僅かに緩む。『近衛飛行隊』の名は百恵も耳にした事があった。飛行第一四四戦隊改め二四四戦隊は、宮城守護を最重要任務とした飛行団だ。どの部隊よりも士気は高く、そしてその勤めを誇りとして戦う連中ばかりだと、幾造やその仕事仲間からよく聞かされていた。

『近衛飛行隊』の名は彼ら自らが名乗り、そしてこの調布飛行場の竣工以来、近所の住民の間でも通り名として広まっていた。彼らの気を良くする為には、どんな世辞よりも効果があるのだろう。百恵も心のうちでくすりと笑う。

「事情はわかった。とまり隊長には報告しておくが、それにしてもこんな時間から準備を始めて八時離陸とは大変だな」

「こいつぁその為の助手でしてね、背負ってる棒キレとかは全部新しい工具でさぁ! そいじゃ早速、大格納庫はどちらでしょ!」

 それにはさすがに無理がある。百恵も当然思ったが、兵隊二人の顔にも確かにそう書いてある。だが、二人は快く道を開け、未明の飛行場を格納庫へと案内してくれた。

 拍子抜けしながらも、百恵は彼らの最後尾を大人しく着いていく。

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