第10話 噂の二人

 ゴールデンウィークの最終日、午前の内に私は無事に自宅に帰る事が出来た。


 あの後も鰐谷わにや君とは一緒の布団で寝たりしたけど、鰐谷君はモジモジしながらもジェントルマンだったわね。


 どさくさに紛れておっぱいくらい触ってくるかと思っていたけど、これまでの人生経験からの教訓なのか、それとも他の理由があるのか、エッチな事はしてこなかったし、夜はぐっすりと眠っていたのよね。


 まあ、それはそれで私も「女」としてどうかとは思うけど、まだおっぱいは膨らみかけで強く触られると痛いだけだし、彼に性欲を感じる訳でも無いし、そもそもこの身体はまだ10歳だしね。


 じゃあ何故キスをしたのかって、それはアレよ。


 いわゆる、母性よ。


 それにしてはディープなキスだったじゃないかって?


 それはアレよ、ちょっと会話の中でお互いの年齢を失念していただけの事よ。


 と、ともあれ、私が元気に帰宅した事を両親も喜んでいたし、普段と変わらない私の姿に、おかしな疑念を抱く事も無かったみたいね。


 でも、学校ではちょっと変化が生じてきたのも事実なのよね。


 それは、鰐谷君が学校でやたらと私に話し掛けてくる様になった事。


 学校ではいつもクールな振る舞いだった鰐谷君が、周囲の目を憚らずに私に話し掛けてくる姿を、クラスメイト達が不思議に思っているみたい。


 小学5年生ともなれば、女子の間では少女漫画みたいな恋愛に憧れる子も増えるし、少女漫画のキスシーンやベッドシーンにドキドキしながらのめり込む子も多いのよね。


 クラスの男子を遠い目で眺めていたり、夢見心地でかっこいい男子とのアヴァンチュールを妄想していたり、私が忘れてしまったトキメキを謳歌おうかしている子が増殖しているのよ。


 で、そんな子達は「恋愛センサー」みたいなものも敏感になっていて、他の誰かが恋をしているのを見つける事も出来たりする様になるのよね。


 で、その「恋愛センサー」に、どうやら私と鰐谷君の関係が反応しているみたいなのよ。


 まあ、仕方が無い事だとは思うのよ?


 鰐谷君は美少年だし、口数が少ないクールな少年というイメージだったのに、最近はやたらと私に近づく姿を目撃されている訳で、クラスの女子が放っておけないのも道理でしょう?


 もし私がものすごく美少女だったなら、クラスの女子も諦めがつくかも知れないけれど、どう見ても普通の女子である私に鰐谷君がご執心なのは納得がいかないでしょうね。


 そもそも、私はあまり目立たない様に「普通」を演じてきた訳で。


 なのにその努力が今、崩されようとしているんだもの。


 しかも、鰐谷君の行動によってよ?


 だから私は、鰐谷君が話し掛けてくる時は、当たり障りの無い会話だけに留めておいて、学校帰りにどこかで合流する時は、会話の中に暗号を忍ばせておいて、それでお互いの意思疎通を行う事にしたの。


 だって、クラスメイトの嫉妬を買ってもいい事なんて何も無いもの。


 これまでの前世で「天才少女」として買った嫉妬は数知れず、陰で嫌がらせをされたりイジメを受けたり、ロクな事にはならない事は分かっているからね。


 なのに鰐谷君は、どういう訳か、これ見よがしに私に話し掛けてくる回数が増えていて、更に翌週にはとうとう教室の黒板に、鰐谷君と私の名前を並べて相合い傘で囲むという落書きをされる事になったのよね。


 昨日の放課後に誰かが書いたのか、それとも今朝早くに書いたのかは分からないけど、稚拙ちせつ嫉妬しっとがこうして表沙汰になってしまったのが今日という日なのよね。


 まいったな…


 これまでの前世で、人気の男子と噂になるなんて例が無かったのよね。


 さすがにこんな事でオロオロする様な事は無いんだけど、こういう時の最適解が分からないのよ。


「どうしたもんかね」


 と私が黒板を見ながら苦笑している姿を、クラスの女子が壁際でクスクス笑いながら見ているのを感じて振り向くと、そこに居たのは、ゴールデンウィーク前に鰐谷君と職員室に行った2人組だった。


「これ、あなた達が書いたの?」


 と私が訊くと、2人は顔を見合わせてからケラケラと笑い、


「知〜らな〜い」


 と言ってそっぽを向いてしまった。


 はぁ…


 と私がため息をつきながら黒板消しを探していると、ちょうど登校してきた鰐谷君が教室に入って来るところだった。


 鰐谷君は、黒板の落書きに気付いてまじまじと見たかと思うと、私の方を見て、


「おはよう、優子ちゃん」


 と、名字ではなく名前で私を呼んでいた。


 それにいち早く反応したのは壁際の2人組だった。


「何で? 何で下の名前で呼んでるの?」


 恐らくそれは鰐谷君に向けられた言葉というより、感嘆符に近い響きではあったのだが、鰐谷君は自分への質問と受け取ったらしく、


「何でって、紅羽さんの名前は優子ちゃんだからさ」

 と、事も無げにそう答え、「それにしても、みんなに僕達の事を認めてもらえたみたいで嬉しいよ」

 と、屈託の無い笑顔でそう言った。


 な、何それ…


 私はあまり目立つ存在にはなりたく無いって言ってるのに、どうして鰐谷君はそういう事を公にしちゃう訳?


 そんな事を言ったら、小学生は毎日冷やかして来るわよ?


 私達がこれからやろうとしているプロジェクトにも、色々悪影響があるかも知れないのよ?


 …と思ったけど、今更言っても始まらないわね。


 ここは大人の対応をしておいた方がいいのかも知れない。


 私は大きくため息を付くと、


「仕方が無いわね」

 と言って壁際の女子二人組の方に身体ごと向けると、「隠してても騒ぎが大きくなるだけみたいだし、そんなに気になるなら公表しちゃいましょう」

 と言って黒板に描かれた相合傘を黒板消しで消した。


 私は教壇に立って鰐谷君の方をチラリと見ると、鰐谷君は何だか期待を込めた目でこちらを見ている様に見える。


 いったい何を考えているんだか・・・


 まあ、仕方が無いわね。


 もしかしたら、鰐谷君はこれまでの人生でも大人になった事が無いから、こういう時は周囲に関係を示す事が常識だと思っているのかも知れないし。


 事実、この時代の日本のカップルは、人前でキスをするのも恥ずかしがるのが常識だったけど、アメリカや欧州では人前で当然の様にキスをする文化な訳だしね。


 私はもう一度深く息をすると、

「私と鰐谷君はね、お家で一緒に宿題をする仲なのよ」

 と言った。


「・・・はあ?」

「何それ?」


 と、壁際の二人組は私の説明に満足していないようだ。


 あら、違ったか。どうやら彼女らの納得する答えはコレでは無かったらしい。


 仕方が無い。もっとインパクトのある表現をしてやるか。


「あなた達は、私と鰐谷君が恋人同士なのかとか疑ってるんでしょうけど・・・」

 と私は言いながら教卓の上に腰を下ろすと、前世で大人になってから覚えた不敵な笑みをたたえて二人組を見ながら、「私達、大人になったら結婚する約束をしてるから」

 と言って彼女達に向かって両手でピースサインをして見せた。


「え・・・」

「マジで?」


 二人組の呆気に取られた顔を見ながら、私はピョンと教卓から飛び降り、


「私の両親と鰐谷君のご両親も既に挨拶を済ませてるし、私は鰐谷君と一緒の布団で寝たりもしたわよ」


 と言って、二人に向かって投げキッスを送ってやった。


 どう? 小学生女子にとっては「男女が同じ布団で寝る」なんて刺激的でしょ?


 二人はお互いの顔を見合わせ、


「うそでしょ・・・」

「それって、エロじゃん・・・」


 え・・・、エロって、何でそうなるの?


 結婚する約束をしたって言ったのよ?


 だから同じ布団で寝たって言ったでしょ?


 私、何か間違えた?


 まさか、前世までの私が健全過ぎだったりする?


 それとも、大人の時間が長すぎた私の感覚が鈍っていた?


 何にしても、この流れは良くない気がする。


「鰐谷君、あと任せていい?」


 と私は、ニヤニヤしている鰐谷君の顔を見て丸投げしてやるつもりでそう言った。


 鰐谷君は「仕方が無いな」というように肩をすくめ、その場で立ちあがって二人組に向かってこう言った。


「僕は優子ちゃんと恋人同士なんだ。既にキスもしたし、大人になったらいっぱいエロい事をするよ」


 なななななな・・・!


 何を言ってるの!?


 火に油を注ぐ様な事を言って、どうするのよ!?


 と思ったのだが、二人組の反応は、私が思っていたのとは違った様だ。


「そんな・・・」

「鰐谷くんがそんな・・・」


 と声を漏らしたかと思うと、どちらからともなくグスグスと泣き始め、やがて二人で大泣きしてしまったのだ。


 それを見た鰐谷君は、つかつかと二人組の元に歩み寄り、


「この前、職員室の前で僕に言ったよね? 僕のファンクラブを作るって話は、僕に恋人が出来たらやめるんだって」


 な、何それ?


 そんな話が持ち上がっていたの?


 全然知らなかったわ。


 って事は、もしかして鰐谷君は、自分のファンクラブを作らせない為に私を利用したって事?


 だとしたら、なかなかの策士ね・・・


 そんな私の思いとは別に、二人組は抱き合って泣いている。


 そんな二人を、鰐谷君はガッシリと抱きすくめ、


「ごめんね。だけど、君達の気持ちは嬉しかったよ。お礼に一人ずつ、思いっきりハグしてあげるよ」


 と言って身体を離すと、二人組は驚いた様に、だけどは恥じらう仕草を見せながら、一人ずつ、オズオズと鰐谷君の身体に腕を回して、それを鰐谷君がギュっと抱きしめられるのを感じていた。


「これからも、クラスメイトとして仲良くしようね」


 と鰐谷君はそう言い、二人の頭を撫でてからその場を離れた。


 徐々に周囲が騒がしくなって、そろそろ他の児童も教室に来る頃だろう。


 それを察知したかの様に鰐谷君は自分の席につき、私にも席につく様に促した。


 私は泣きじゃくっていた筈の二人組が、いつしか泣き止んで鰐谷君の熱烈なハグの感触に酔いしれているのを横目で見ながら席についたのだった。


 そうか、ああすれば良かったのか。


 私が知らない鰐谷君の前世でも、同じ様な事があったのかも知れない。


 おそらく鰐谷君がしたあれが、こういう時の最適解なのだろう。


 まだまだ私は、鰐谷君の事を知らないんだな。


 ただの子供だと思って付き合う訳にはいかなそうだ。


 そんな事を考えていた私だったけど、熱烈なハグに酔いしれる二人組の姿を見ているうちに、「いいなぁ・・・」と無意識に呟いていた事に、私自身も気付いていなかったのだった・・・

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紅羽優子は「普通」じゃいられない おひとりキャラバン隊 @gakushi1076

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