第25話 永遠に



 ……アピラの胸元に、鋭く矢が突き刺さっていた。アピラが俺を突き飛ばしてくれなかったら、俺の背中に突き刺さっていたであろう、矢が。


 ゆっくりと、アピラが倒れていく。地面に膝をつき、横になるようにぐったりと。胸元と口から、血が流れ……地面を、赤黒く、汚していく。



「あ、アピラ……」



 アピラは、うっすらと笑っていた。俺を、不安にさせまいと……最後の瞬間まで、笑ったのだ。すでに、目を閉じて……もう、ピクリとも動かない。いや、かろうじてだが、肩は動いている。けど、このままじゃ……


 アピラ……嘘だろう、アピラ……!



「ちっ、しくじったか。だが……」


「……殺す!」



 俺は、自分でも驚くくらいに、頭に血が上るのを感じていた。振り向き、遠く離れた所から狙っている、矢を放った人物……そいつに、これまでに感じたことのないほどの、殺気を向ける。


 俺は今まで、自分の意志で誰かを殺したことはない。たとえ命を狙われても、気絶させるか、手足を折るか……死なせようとは、思わなかった。ただし、誰も殺したことがないわけでは、ない。


 あくまでも自分の意志で、だ。命を狙われ、つい正当防衛が過激になってしまったとき……命を守るのに必死で、気がついたら、殺してしまっていたことなら、ある。


 そんな俺が……今、確実に、自分の意志で、誰かを殺そうと思った。



 ズプッ……



「……そこか」



 矢が、放たれた。狙いは、わかっていた……いや、予想が当たったと言うべきか。心臓だ。敵は、心臓を狙って矢を放ってくる……だから、胸元の前に手を差し出し、手のひらで矢を受け止める。無論、手のひらに矢は突き刺さっているが。


 痛みなど、今は関係ない。アピラの苦しみを、同じ苦しみを味わわせてやることで、頭がいっぱいだった。


 矢がどこから放たれたかがわかれば、あとは……そこに向かって、突っ込むだけだ。真正面に、敵はいる。



「うそだろっ、あいつイカれてんのか……」


「そうかもな」


「……!」



 俺に狙われたことがわかったからか、男は一旦距離を取ろうとする……が、それよりも俺が追いつく方が早い。驚く男の顔面を、わしづかみ……背後の大木へと、思い切り打ち付けた。



「っぶ……!」



 それも、一度じゃ終わらない。何度も、何度も打ち付けて……男の手が、俺の手首を弱々しく掴んだことで、ようやく手を離した。


 男は、力なく倒れていた。まだ、肩は動いている……あれだけやって、まだ息があるのか。



「……アピラ!」



 このまま、とどめを……そう、黒い感情に支配されそうになった。だが、頭の中に浮かぶのは、アピラの姿。アピラを放って、俺はなにをやっているんだ。


 急いで、アピラの所へと戻る。アピラ、アピラ、アピラ……!



「アピラ!」



 アピラは、先ほどと同じ場所で倒れていた。矢は、突き刺さったまま……だが、横向きに倒れていたものが、仰向けに変わっていた。まだ息がある、つらい体勢から少しでも楽なものへと、変えたんだ。


 すぐに、傷薬を取り出す。俺も手のひらに矢が突き刺さっているが、そんなのどうでもよかった。



「くそ、くそっ……」



 瓶の蓋が、うまく開かない。それは手のひらの痛みのせいなのか、それとも……急ぎすぎて、焦っているからなのか。


 焦れったい。こうしている間にも、アピラは……



「レイ……さん……」


「! アピラ!」



 弱々しく、アピラの声が聞こえた。うっすらと目を開き、俺を見ている。そうだ、意識を強く保て。俺が今、助けてやる。



「レイさ……だいじょ、ぶ……で……」


「あぁ、大丈夫だ! アピラのおかげだ!」



 もう話さなくていい、あとは俺に任せておけ。……安心させたいのに、言葉が出ない。


 目の前で、人が死ぬ……それは、これまでにも何度も経験した。薬屋と言っても、万能ではない。回復力の高い薬も、すでに死んでしまった人間には使えない。評判の高い俺の薬でだって、救えない命は、たくさんあった。


 だからこそ、救える命は、救いたい。



「わた、し……レイさ……んと、……しあわせ、で……た……」


「おい、なにを縁起でもないことを……くそ!」



 焦る手では、なにもうまくいかない。わかっている、わかっているのに、手が震える。いっそのこと、瓶を割って中身をぶちまけてしまおうか。


 いや、その前にまずは矢を抜かないと……そうだ、さっきアピラの左肩に刺さった、矢を抜いたように。あれ、でも、これ抜いてもいいのか……? だって、心臓部分に刺さってるんだぞ……?


 もし、矢を引き抜いて、血がドバっと飛び出てしまったら……傷薬を使う前に、失血が多くなりすぎてしまったら……



「レ、イ……いま、まで…………あり、が……」


「アピラ、ダメだアピラ! 気をしっかり……お前、俺から離れないって言ったろ! なのに、俺を、置いていくのか!?」



 アピラの顔から、血の気が引いていく。声もどんどん小さくなる。早く、早く傷薬を……いや、でもこれ、もう……?


 人が死ぬ、それは何度も経験してきたが、こんな気持ちになったことはない。こんな、自分で自分がわからなくなってしまうような、気持ちには。


 ようやく、瓶の蓋が開いた。その中身を、矢を抜くことも忘れ傷口にかける。今は、応急処置でもいい。とにかく、命を繋いでくれ。



「アピラ! アピラ! 傷薬だ、これで助かるからな!」


「…………」


「……アピラ?」



 アピラの返事は、ない。目から光は失われ、その目にはもうなにも映していない。触れた頬は、まだ温かいが……反応が、ない。



「嘘だろ、おい……」



 なにか、言ってくれ。でないと、俺は……


 呼びかけても、返事はない。なんだって、俺なんかを庇って、こんなことになってしまったんだ……! 俺なんかの、ために……!



「くそっ……くそ! 俺は無力だ……三千年も生きて、大切な人一人……! アピラ! アピラー!!」


「………けほっ、えほ!」


「!!」



 俺は、無力感に苛まれていた。こんな思いをするくらいなら、もう、本当に死んでしまった方がいいのかもしれない。


 そう、思っていた……だが、聞こえたのは、聞こえるはずのない声だった。アピラが、もう死んでしまったのではないかと思っていたアピラが、咳き込んだのだ。



「はぁはぁ……大丈夫、ですよ。レイさん」



 弱々しくも、しっかりと、アピラは言った。俺を安心させるように、柔らかく微笑んで。



「大丈夫なわけないだろ! こんなに、血が……血が……?」



 それが強がりだということくらいはわかる。目覚めてくれたのは嬉しいが、無理はしないでほしい。そうして、傷口を見た。


 ……胸元から流れる血は、いつの間にか止まっていた。さっきまで、あんなにも流れていたというのに。まるで、水道の蛇口を締めたかのように、ピタリと止まっていた。


 傷薬が効いた? ……いや、でも矢は刺さったままだし……こんな急速に、効くはずがない。



「……『スキル』……」


「え?」



 アピラは、ぼそっと呟いた。しかし、俺にはちゃんと聞こえた……今、『スキル』と、言ったのか。どうして、急に……?



「これが、『スキル』……頭の中に、声が、します」


「『スキル』だって? 頭の中って……?」



 アピラは、ただ空を見上げたまま、言う。空は真っ暗だ。


 そこでようやく、俺は、可能性に気づいた。今、この瞬間……日付が、変わったのだ。俺たちが薬草を取りに来たとき……すでに、それはアピラの誕生日の数時間前だった。


 そして、薬草探しに夢中になったり、あの男たちに襲われたり……そうして、時間も忘れるほどに時間が過ぎていった。


 その結果、たった今日付が変わりアピラは十五歳となり、成人となった。そして、同時に『スキル』を授かったのだ。


 だが、『スキル』を授かったとして、どうしてアピラは無事なのか? ……その答えは、アピラ自身が持っていた。



「『スキル』"不死"……それが、私の『スキル』みたいです」


「"不死"……」



 頭の中に聞こえた、『スキル』の名前。それを、アピラは自分の口から、説明する。アピラの授かった『スキル』、その名は"不死"。


 そんな『スキル』、聞いたこともない。世界中を回ったが、三千年も旅をしているが、聞いたことのない『スキル』だった。それはつまり、俺の"不老"と同じく、前例のない『スキル』だったということか?


 "不死"とは、その名の通り……死なない、と、そういうことだろう。


 つまり、"不死"の『スキル』を授かったことで、アピラは死なずに済んだ。それどころか、これから死ぬことはない……そういうことだ。


 心臓部分に、矢が突き刺さった。それにより、アピラの命は確かに消える寸前だった……だが、命が消えるその直前に、『スキル』"不死"を授かったことで、死なずに済んだ。命を、拾ったのだ。



「よかった……本当に……」



 もし、矢が刺さった時点で即死だったら。もし、なんの変哲もない『スキル』を授かっていたら。もし、タイミングよく日付が変わらなかったら。もし、もし、もし……考えても、尽きることはない。


 本当に、よかった。心からそう思う。何度となく呪った、『スキル』というものに……感謝するときが来るとは、思わなかった。



「……レイ……さん」


「あぁ、ここにいる。けど、もう喋るな。傷は塞がっていても、刺されたばかりなんだから」



 それに、まだ矢は刺さったままだ。無理やり抜いてもいいものか。


 アピラの手を握り、今はただ、そこに生きていることを強く思う。アピラも、俺の存在を確かめるように、弱々しくもしっかりと握り返した。アピラが死んでいたら、もう一生、会えなくなるところだった。


 ……俺は、アピラと離れようとしていた。そして、その後もう、一生会うつもりはなかったはずだ。もう会うことはない……同じことをしようとしていた。それが今、アピラがここにいることに、どうしようもない喜びを感じている。


 ただ生きていることが嬉しいのか。それとも……やっぱり、本心では俺も、離れたくないと、思って……



「レイさん……」


「あぁ、わかったから。ちゃんとここに……」


「私……レイさんのこと、好きです」



 ……唐突に、アピラが、言った。震える声で……しっかりと、俺の目を見つめながら。


 その目から、俺は目をそらすことができない。なにか言おうにも、言葉が出ない。アピラが、俺に想いを寄せてくれていたこと……気づかなかったわけでは、ない。


 けれど、こんな状況で、急に告白なんて、されるとは思わなかった。



「…………俺は……歳も取らない……化け物だよ」



 ようやく絞り出せた言葉が、それだった。何度も、アピラに対して言ってきた言葉……何度も、自分で自分が嫌いになっていく言葉。


 それを、聞いたアピラは……柔らかく、微笑んだ。



「それなら私は……死なない化け物、ですね」



 なんでもないようなことを言うように、そう告げた。


 "不死"……つまりはそういうことだ。実際に今見た通り、本来なら死ぬような怪我でも、決して死ぬことはない。それは、見る人によっては……化け物と、そう映っても仕方がない。


 ……不老不死という、言葉がある。だが俺たちは、それぞれがそのどちらでもない。歳は取らないが、死ぬ"不老"。死なないが、歳を取る"不死"。どちらも不完全で。だからこそ……


 ……俺たちが出会ったのは、果たして偶然だろうか。この広い世界で、長い年月を経て、俺たちが出会ったのは……



「私はもう、死ぬことはない……化け物です。ですから……レイさんが離れていったら、私、一人ぼっちになっちゃいます」


「……」



 ……一人ぼっち。そのつらさは、俺が一番良くわかっている。それに、もしかしたらアピラの感じるつらさは、俺の比ではないのかもしれない。


 死のうと思えば、死ねた。歳を取らなくても、死ぬことはできるのだから。そうする勇気がなかっただけの俺とは違う。アピラは、もう、死ぬことはできない。


 アピラが言うように、俺がいなくなったら、一人ぼっちになってしまう。だから……いや、これは同情なんかじゃない。俺がアピラを遠ざける理由が、なくなっただけ。


 そんな、小難しい理由を取っ払ってしまえば……俺は……



「私と、一緒に、いてください」


「……あぁ……!」



 アピラと、一緒にいたい。いつまでも、永遠とわに!

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