第21話 私の好きな人


 ……それは、遠い記憶。もう自分でも思い出せないほどに、遠い記憶だ。なのに、不思議だ……こうして、夢の中で思い出す。夢の中で、あの頃の記憶を、思い出す。


 私は、両親に捨てられた。まだ小さかった私には、それがどういう意味かわからなかった。ただ、教会という場所に連れてこられた。両親と繋いでいた手は、優しくほどかれ……頭を撫でられた。その時、両親がどんな顔をしていたのか、覚えていない。


 二人は、去っていった。そして、それ以降二人とも、帰ってこなかった。


 両親に捨てられた私に残っていたのは、『アピラ』という名前だけだった。


 だから私には、最初からお父さんもお母さんもいない。そう思って過ごしてきた。教会では、たくさんの大人がいた。お父さんやお母さんの代わりは、たくさんいた。昔のことは、苦い記憶は、忘れてしまおう。


 教会では、たくさんの子供たちがいた。私より年が上な子、年が下な子、年が同じ子。そこは、不思議なところだった。けれど、すぐに、好きなところになった。昔のことは、すっかり忘れていった。


 ……だけど、どうしてか記憶に強く残っているものがある。まだ、私が家にいた頃……それも、今よりもずっと小さかった頃。見つけたものが、ある。



『……?』



 それは、一冊の本だった。後で知ることになるが、それは手記だというものだったらしい。ボロボロの、手記がそこにはあった。


 ただ、乱暴に扱って古びてしまったわけではないようだ。大切にしていたというのが、よくわかる……大切に、保管されたものだった。単に、年月の経過によって劣化したものだ。


 それが証拠に、その手記は三千年も前に書かれたものだった。そんな昔に書かれたもの、大切に保管してなきゃこんなちゃんと残っているはずがない。書いてあった日付しか、いつ書かれたものかを示すものがないけど。


 それは、たまたま見つけたんだ。そして、なにが書いてあるのか、お母さんに頼んで読んでもらったのだ。お母さんは、もう少し私が大きくなったら見せるつもりだった、と言っていたが。


 結局、捨てられて以降家に戻ることがなかった私は、その後手記を見ることはなかったけれど。


 私の親の親の、ずっと親が書いたという手記。まだ小さかったというのに、その内容はしっかりと覚えている。



『私には好きな人がいた』



 何度も、読んだ。本を開いたそこに、書かれていた一文。それは、今にして思えば恋文というものだったのだろう。まだ物事もはっきりしない私には、『好き』は両親に対するそれと同じだと、思っていたんだと思う。


 ただ、不思議なことに……それは遠い記憶で、夢であるはずなのに。まるで、今自分の手元にあって、今自分が見ているかのような、そんな風に感じるのだ。


 『私には好きな人がいた』、『私には姉がいた』、『私の好きな人と姉が結婚した』、『二人とも好きだから諦めなければいけない』、『笑顔で祝福しなければいけない』……そんなことが、様々に書いてあった。


 それは事務的、というか、その日にあった出来事を淡々に書き連ねているものだった。『あの人が笑ってくれた』、『頭を撫でてくれた』、『姉と相変わらず仲が良さそうだ』、など。ただ、時折嬉しそうな感情が溢れているような、文だった。


 しかし、手記の内容は、だんだんと感情的なものが多くなっていく。好きだった人が『スキル』を授かったこと、それは"不老"という聞いたこともないものだったこと、だんだん、みんなが彼を見る目が変わってきたこと。


 感情的に、書いた人の悲しさや怒りが伝わってくるようで。



『……』



 『彼は、追い詰められていた』、『自分だけは味方でいようとした』、『でも拒絶された』、『彼はここを去った』、『なんであの時、無理やりにでも彼を止めなかったのか』……後悔と無念が、そこには書き連ねてあった。


 所々、文字がにじんでいた。多分、それは劣化のせいじゃなくて、書いている最中に涙を流したためだと思う。涙で文字が、にじんでいた。


 その後、彼がいなくなった後の村のことは書かれていなかった。彼にひどいことをしたことを後悔したのか、それとも彼が居なくなっても特に変わらなかったのか……わざわざ書いていないということは、後者ではないかと思った。


 手記は、彼がいなくなってからも続いていた。悲しみをかけ消すようにがむしゃらに働いたことや、お見合いをさせられたこと、結婚し子供が生まれたこと、旦那は自分を愛してくれたこと……


 好きな人と結ばれず。それどころかその人と自分の姉が一緒になり、最後にはその人が村を去って……手記を書いた人は、どんな想いだったのだろう。


 そして、手記の最後のあたりには、こう書いてあった。最後のあたり、ということは、自分の死期を悟ったのだろうか。忘れないためにだろう、書き連ねた言葉があった。



『もしも彼がまだ生きているのなら、あの頃と見た目は変わっていないでしょう。もしかしたら、自ら命を絶っているかもしれない……けれど、彼はどこかで生きているんじゃないかと、思う。彼は強い人ではないから、死にたくても死ねない……と、思う』


『この手記は、大切に保管します。そして、代々受け継ぎ……もしも、子孫の誰かが、彼を見つけたなら。彼に、寄り添ってあげてください。彼は、寂しがり屋だから』


『友達でも、ただ話しかけるだけでもいい。ただ、彼を一人にしないであげて、ください』


『彼の名前は…………』



 文字は、読めなかった。他の場所もにじんではいたけど、かろうじて読めた。けど……ここだけは、読めなかった。涙が、ページを濡らしていた。名前は、わからなかった。


 手記は、そこで終わっていた。きっと、死ぬ直前まで書いていたのだろう。最後の方は、もう文字が震えていた。死の前の時まで、この人は、彼のことを忘れてはいなかったのだ。


 ……それから月日が経ち、私は教会に捨てられた。預けられた、なんて前向きな表現はしない。私は、捨てられたのだ。でも、教会での生活は楽しかった。


 そして数年が、経った。もうとっくに、手記のことなど忘れていた。覚えていたとしても、自分には関わりのないことだ。あの手記が保管されたままということは、三千年もの間、私の先祖は誰一人として、その"不老"さんに会えなかったのだから。


 だから、私には関係のないことだ。関係のないことの、はずだった。



 ……"不老の魔術師"。そう呼ばれている、男の人が、薬屋をやっていると聞いた。どうやら、この国に来たばかりの旅人らしい。


 その名前を聞いた瞬間……あの手記のことを、思い出した。そして、不思議なことだけれど……読めなかったはずのあの名前が、ふと当然のように思い浮かんだ。



『レイ』



 私は、魔術師さんに会いに行った。薬屋をやっているという……だから、その場所を調べた。そして、彼が泊まっているという宿も調べた。早く会いたかったから、時間帯も考えずに彼の下を訪れた。


 彼は、手記に書いてあった通り……"不老"という『スキル』を持った、優しそうな男の人だった。いや、あの時は不機嫌そうにしていたかもしれない、今思えば。夜遅くの訪問者に、イライラしていたのかもしれない。


 ただ、この人と、仲良くしたい……そう、思った。そう思ったのは、手記に書いてあった想いに共感したせいだろうか。それとも……私自身が、そうしたかったからだろうか。


 ただ、一つ言えることがある。魔術師さん……いや、レイさんに会いに行ったのは、確かに手記の存在によるものだ。手記に導かれた、と言ってもいいかもしれない。


 だけど、その先……レイさんと一緒にいたいと思ったのは、手記の意志じゃない。


 私の、意志だ。



「……」



 彼は、時折とても寂しそうな顔をする。その顔を見る度に、私の胸は、きゅっと締め付けられた。


 思えば、彼と初めて会ったときから、妙な胸の高鳴りを感じていた。それは、使命感だったのだろうか。随分昔に見た、手記。しかも、まだ物覚えのよくなかった子供の頃に、見たものだ。


 だけど、レポス王国で……"不老の魔術師"の情報を聞いて。私は、胸の高鳴りを感じたのだ。会わなければならない、会って、それから……



『あ、は、はじめまして、まじゅつ師さん!』



 私は、彼に会ったのだ。手記の内容、いや存在自体を忘れていた私が、その名前を聞いた瞬間、飛び上がりそうなほどに震えたのを、今でも覚えている。なんでだろうか。


 幼い頃に見た、手記の内容。それも、もう三千年以上昔に書かれたもの。先祖とは言っても、そんな昔の人なんてもう他人のようなものだろう。そんな人が書いたものに、なにを思ったのか。


 ……きっと、震える手で書いたそれが、涙で滲んだそれが、読者わたしの心を、痛いくらいに震わせたからだ。


 その手記を書いた人は、きっと、私が思っている以上に、レイさんのことが好きだったのだろう。そして、その『好き』という気持ちが、意味が、特別なものだというのが、今ならわかる。



『私には好きな人がいた』



 その人は、いつか子孫の誰かが、レイさんを一人にしないさせないために、その手記を書いた。けれど、おそらく子孫の誰も、レイさんには会えなかった。中には、本気で探そうとした人や、逆に無関係を貫き通した人もいたかもしれない。


 そんな中で、私が……両親から捨てられた私が、レイさんと出会った。両親との関係は切れ、あの手記との関係も切れた私が……彼と、出会った。


 レイさんは、自分の『スキル』のことを気にして、近いうちに私にも離れろと言うだろう。リーズレッタさんにそうしたように。けれど、なにを言われても離れてやるもんか。


 一人には、しない。これは手記に書いてあったからじゃない。私が、そうしたいからだ! ……ただ、私がなにを言っても、傾いてくれない可能性もある。その場合、どうしようか……


 ……無理やり迫って、あんなことやこんなことなんかで、レイさんを離れられなくする……とか。いやいやいや、そんなことはさすがに……でもまあ、そういうことも、考えておこう。



『……』



 ともあれ、あの手記は、もう私の手に渡ることはないだろう。元々家にあったが、私を捨てた両親が国を出る際に一緒に持っていったのか、家に置いていったのかはわからない。


 どのみち、もうあの場所に戻ることはないのだ……私の手に渡ることは、ない。


 つまり、あの手記はもう、多分、その役割を果たされることはないのだろう。両親が手記を持っていって、新しく私の弟か妹でも作らない限り。悲しいことだけど。


 だから、手記との関係が切れ、なんの関わりもなくなったはずの私が、彼と出会ったことは……これは、運命ってやつなのだろうか。もしそうなら、なんだかくすぐったくて……ちょっと、嬉しい。


 運命だなんて、なんだかロマンチックじゃないか。この出会いは運命。そして、私は彼から離れない。私は私の意思で、レイさんと一緒にいるんだ。

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