第8話 おにぎりの味はおいしくて
さて、昼食を取り、午後からの仕事へと移行したタイミングで、ノータルトさんは帰っていった。最後、アピラをよろしくお願いいたしますと言われたが……
……あれ。いつの間にか、俺が面倒見るようになってる?
「そうだ。最近肩こりがひどくて……なにか、いい薬はありませんかな」
「それなら、これはいかがですか。塗り薬で、寝る前に塗ってもらえれば、効果は表れると思います」
「では、それを一本」
帰る直前に、ノータルトさんは薬を一本購入していった。ただ話をして帰るだけでは申し訳ないと思ったのだろうか。
まあ、神父なんて疲れそうな仕事だもんな。アピラもニコニコしながら接していたし、俺も話してみた感じ、いい人のようだ。
「まじゅつ師さん、お客さんだよ!」
「はいはい」
アピラをよろしく言われたのは……まあ、助かってはいるからいいか。それに、アピラ自身飽きたら自然と帰るだろう。社会見学的な感じで、しばらくは好きにさせてみよう。
小さな看板娘と、見た目は成人したばかりの店主。話題としては充分だったようで、午後になってからも人が途切れることはなかった。中には、こういう薬が欲しい、と注文してくるお客さんもいた。
そして、時間は過ぎる。早くも、閉店の時間となった。今日は、アピラのことも考えいつもより早めに切り上げることにしたが。
「ふぅ……終わった終わった」
「終わったー」
しかし、子供の体力とは恐ろしいものだ。あれだけ動き続けて、まったく疲れた様子はない。
俺はというと、十五歳の体なために相応の疲れしか溜まっていないが……精神的な疲れは、ある。アピラがいなかったら、どうなっていたか。
……いや、こんなにお客が来たのは、アピラがいたからってのもあるのかもしれないしな。
「はふー、まじゅつ師さん、いつもこんな大変なの?」
「大変ではあるな。いつもこんなには多くないけど」
「へー、すごーい!」
「ふふん」
さて、暗くなる前に、アピラを送り帰すとするか。いくら俺の所にいるとわかっていても、帰りがあんまり遅くては心配になるだろう。
ここから教会までは、そう遠くはない。
「じゃあアピラ、教会に送ってあげるから……」
ぐぎゅるるる……
「……」
……響いたのは、腹の音だった。それが誰によるものか、考えるまでもない。俺ではない、そしてこの場にいるのは、俺以外には一人しかいない。
無言で、アピラを見る。彼女の顔は、意外にも真っ赤であった。
「う……だ、だって、今日いっぱい、いっぱい動いたし……お、おなかすいちゃったんだもん!」
なにも言っていないのに、勝手に弁解を始めるアピラ。ふむ、まさか腹が減ったことで恥ずかしがるとは。そういうのは恥ずかしがらない子だと思っていた。
しかし、確かにアピラは頑張っていた。こちらから手伝ってくれと言ったわけではないし、アピラが勝手にやっていたこととはいえ……
「仕方ない。なら、おにぎり作ってやる」
「おにぎり?」
アピラは、きょとんと目を丸くした状態で、首を傾げる。その様子を見るに、おにぎりというものを食べたことがないどころか、そういう食べ物があると知らないのだろう。
俺は店の奥に行く。なにも言っていないが、とことことアピラが後ろからついてくる。まるで、カルガモの子供みたいだ。
一室の中にあるのは、炊飯器。その中には、炊き立てのご飯が入っている。
「ごはんだ!」
白く炊き立ての湯気を上らせる白米を見て、アピラは目を輝かせる。
異世界だと侮ることなかれ、この世界は元の世界と似たような食べ物や機械がある。……とはいえ、俺が転生したばかりの頃は、こんなものなかったんだがな。ま、三千年もの時間が経てば、いろいろなものが出来る。
……どこからともなく現れた旅人が、その国にはない知識を広めて去っていった。そんな風に、世界中の技術を発展させていった。そんな話が、あちこちで囁かれている。
もちろん俺は無関係だ、えぇ無関係ですもの。世界中あらゆる場所を回って、元の世界の知識を再現したとか、そんなことはないですもの。
「ちょっと待ってな」
早くも、炊飯器の中にあるご飯にかぶりつこうとするアピラを静止し、俺は手を水で濡らす。そして濡れた手で、熱々のご飯を手掴み、それを両手を使って握っていく。
三角の形をイメージし、握っていくご飯は丸から、次第に三角の形へ。ちなみに、握る直前にご飯に少量の塩をかけるのも忘れない。
「ほい、出来たぞ。熱いから気をつけてな」
最後に、アピラが火傷をしてしまわないようにラップに包んでから、おにぎりを渡す。その様子を、アピラは物珍しそうに見つめていた。
「おぉ……!」
手に取り、それをまじまじ見つけている。本当ならこんな少量ではなく、もっとたくさんごちそうしたいところだが……今お腹いっぱいにさせては、帰ってから晩飯を食べられなくなってしまう。
もしかしたら、教会ではみんな揃って食事をしなければならない、という決まりがあるのかもしれない。
だから、今は小腹を満たしてもらうに抑えておいた方がいい。
「おにぎり、食べたことないのか?」
「うん。まっしろなごはんは食べるけど、おにぎりははじめて!」
もう、目が俺に「食べていい? 食べていい?」と訴えかけてきている。そんな目で見なくても。というか、俺の許可などいらないというのに。
「あぁ、どうぞお食べ」
「! いただきまふ!」
許可すると同時、アピラはおにぎりにかぶりつく。その瞬間、目を見開き、口に含んだご飯を何度かもぐもぐと租借した後、再び食べ進めていく。
そんなに急いで食べないでも、ご飯は逃げないというのに。それに……
「おいおい、そんな急いで食べたら……」
「……んっ、んん!」
「……言わんこっちゃない」
忠告する前に、アピラは食事の手を止め、なんだか苦しそうに首を振っている。ご飯を、あんなに勢いよく食べたから、喉に詰まったのだ。
「ほら、お水だ。そんなに焦らないでいいから」
「んっ……ぷはぁ! おいしいです、とっても!」
受け取った水を一気に飲み干したアピラは、極上の笑顔を見せてくれた。おにぎり一つで、ここまで笑ってくれるなんて。
その後、おにぎりを食べ終えたアピラは、軽くお腹を擦りつつ満足げに、ため息を漏らすのだった。
「はぁ、まさかこんなおいしいものがあるなんて」
「大袈裟だな。ご飯を握っただけだぞ」
「だけ、なんてとんでもないです! ほかほかのごはん、程よい柔らかさのお米、熱々だけど食欲を誘う香り、ほんのりと感じるぴりっとしたしょっぱい塩の味……完璧です! お米とお塩で、こんなおいしくなるなんて!」
「お、おう」
なんだろう……食のことになると、すごい饒舌になるのなこの子。それに、妙にグルメレポートがしっかりとしている。
なんかちょっと、心配になるくらいだ。
「アピラ、いつもちゃんと食べてる?」
「はい。教会の人たち、みんないい人で、自分たちのごはんもわけてくれるんですよ! でも、あんまりぜいたくはできないって言ってました」
……もしかしたら食事を抜かれている、という心配はなさそうだ。アピラも、嘘をついている様子はないしな。
なるほど、贅沢が出来ない……か。それは教会に限った話なのか、そうでないのかわからないのか、懐事情がよろしくないというのは確かなようだ。
それでも、大人たちは自分の分を減らしてまで、子供たちに食事を分けている。だけど、それだけでは改善できないのが、教会の事情か。
……ノータルトさん、妙に細いなと思っていたが、まさかそういう事情だったのだろうか。子供たちに食事を分け、自分たちは満足に食事ができていないと。
「そっか……それは、心配だな」
ないとは思うが、俺が今日アピラにおにぎりをあげたことを、後でアピラが咎められないだろうか。一応、口止めしておいた方がいいな。
さて、あまり贅沢が出来ないというのは、これまでに何度も目にしてきた。してきたが、特に俺がなにか行動を移すことはなかった。
薄情だと思われるかもしれないが、その場所に居つくならともかく、いずれ発つ俺が寄付などしても、それは一時しのぎにしかならないと感じたからだ。
協会ともなれば、なおさらだ。多くの子供を抱え、そのためにお金が足りないのだろう。そこに、俺が一時的に協力したとして、なんの解決にもならない。
「……」
「まじゅつ師さん?」
「あ、なんでもないよ」
不安げなアピラの手を、そっと握る。腹も少しは満たせただろうし、そろそろ送っていかないとな。
なんとかできないか……これまでにも何度か考えたことだ。そんなことを思いつつ、俺はアピラを連れ、家を出た。教会へと、向かった。
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