2
翌日の放課後――俺が体育館に足を踏み入れると、既に唯衣がいた。
唯衣は昨日と同じ場所、同じゴール前で何度もシュートを繰り返し放っていた。スリーポイントは驚く程正確な軌道で決まり続け、成功率が衰える気配は無い。
まるでスリーポイントを遂行する機械と化したように唯衣は黙々と練習を続けていた。
バスケ漫画にいたら絶対人気が出るタイプだと思った。
「すごいな……」
一方、バスケの授業ではドリブルすらろくに出来ないのが俺だ。
殆ど味方のパスを繋ぐくらいの空気ポジション。だからこそ、唯衣のようにかっこよくシュートを決める姿には畏敬の念すら感じる。
だが、生憎俺は彼女のシュートを見に来たわけではない。
「こっちもさっさと終わらせなきゃな」
一糸乱れぬフォームで機械的にシュートを続ける唯衣。俺は彼女の邪魔をしないように籠台車を運び出す。
そして、昨日と同じように標的が挟まった天井の真下に台車を停めた。
「よし、やるか」
早速ボールを天井へと投げていくのだが、目標に掠る気配は一向に無かった。
飛距離を稼ぐために苦し紛れのサーブを試してもダメだった。外れるならまだしも余計に狙いが外れ、明後日の方向に飛んでいく。
「やべ――」
放たれたボールが勢いよく唯衣を掠めて壁にぶつかった。
ほぼ無人の体育館内を派手なバウンド音が響き渡る。
「大丈夫か⁉」
俺はギリギリで避けて尻餅をついている唯衣に駆け寄る。
幸い、ボールがぶつかる事は無かったようだ。しかし、練習中の唯衣に水を差す形になってしまった。
「怪我は無かった? 本当に悪かった」
俺は何とも言えない気まずさを感じながら唯衣の手を引くと詫びを入れる。
「大丈夫ですけど……」
じとっとした目で俺を流し見る唯衣は籠から新たなボールを手に取る。
無言のまま構えて放ったジャンプシュートはまたしてもゴールネットを揺らす。
「先輩は何であの天井のボールにムキになってるんですか? ほっとけばいいじゃないですか」
振り返った唯衣の顔は怒りと焦燥が入り混じっていた。心底理解できない、そう言いたげに眉根を寄せている。
「あのボールは俺が何とかしないといけないんだ」
「?」
しかし、俺は退かない。
「あの天井にボールをはめ込ませたのは俺の友達なんだ。バレーの授業中のサーブで……」
「なら、その人に何とかさせたらいいじゃないですか!」
「ダメなんだっ!」
思わず声を荒げてしまう。唯衣はびくっと震え、まるで叱られた子供みたいに俺を見ている。
「悪い」
上目でこちらを見る唯衣に小さく手を掲げ、怖がらなくてもいいと息を整えて続けた。
「そいつは転校してしまって、この学校にはもういないんだ。だから……俺が何とかするしかない」
俺は転がっていたバレーボールを掴み取ると、元の場所に戻ろうとする。
バカげたことを言う。唯衣はきっと心の中でそう思っているに違いない。
――だが、俺は諦めない。
「はああっ!」
片腕でボールを構えて天へと叩きつけるように投げる。小学校の頃によくやったドッジボールのシュートの要領だ。
叫び声で力が増幅されたボールは真上にかっ飛んでいく。
――いけるか?
しかし、その期待は徒労に終わった。
ボールは張り巡らされた鉄骨の一つに思いきりぶつかると、弾丸のような速さで床面に跳ね返される。
ダアアン、と恐ろしいバウンド音を震撼させてボールが板張りの床を叩きつける。
「ああ、惜しい」
もしも目標に直撃していれば十分に鉄骨から弾き出す事が出来ただろう。
もう一度だ。俺は転がるボールを縋りつくように回収すると再び天井を見据え、
「ん……?」
しかし、さっきまで俺が立っていた場所に、唯衣がいる事に気づき動きを止める。
唯衣は足元を整え、ちろりと唇を舐める。
そして目標を見据えながら、
「後ろでこんなバカな事やられてたら落ち着きません」
腰に抱えていたバスケットボールを額の前までもっていきシュートの構えを取る。
「私も手伝います。鉄骨に挟まってるアレを打ち落とせばいいんですよね?」
そう言ってスリーポイントの要領でボールを放つ。しかし、ボールは鉄骨付近までしか届かない。
正確性を重視したバスケのシュートフォームではどうやっても天井まで距離が持たないのだ。
「よし。それなら、俺にいい考えがある」
これは思ってもいない展開だった。唯衣のようなシューターが加勢してくれれば、思ったよりも早くこの問題は片付きそうだ。だが、いくらポテンシャルがあってもその場その場に合った技術が必要だ。
俺は唯衣の隣に立つと、両脚をずりずりいと広げて腰を落とした。
まるで土俵で四股でも踏むかのような体勢。
「このフォームなら真上に無駄なく力を込められる筈だ」
唯衣は怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「さあ、君も。このフォームで投げるんだ」
「え……?」
唯衣は日に焼けた健康的な童顔を紅潮させて戸惑っている。
「じゃあ俺がやるのを見ててくれ。こんな風に……投げれば――ッ!」
ふっと息を吐く。両手で掴んだボールを真上目掛け、下手から投げる。
しかし、その間抜けなフォーム侮る事無かれ。
ふわりと上昇し、鉄骨の間を潜り抜けたボール。
「いったか⁉」
しかし、挟まっているモルテンボールにヒットする事は無かった。
入り組んだ鉄骨の中を転がり、無慈悲に落ち行く。その様はまるでピンボールのようだった。
ズンと低く沈むような音をさせてボールが床へと戻ってくる。
「失敗か。んじゃ今度は君が投げろ」
「は?」
その転がるボールを取り、唯衣の胸の前に突き出す。
「次は君の番だ」
「私がやるんですか⁉ 今のフォームで⁉」
俺は無言で促す。
「分かりましたよっ、もう!」
すると、唯衣は渋々頷いた。
俺と同じように足を広げて立つと、心底恥ずかしそうな顔で腰を深く落とす。彼女のスパッツの裾から、よく鍛えられた太ももが少しだけ露出した。
「……⁉」
正常な男子中学生らしく、自然と視線が吸い寄せられかける。が、別にこれが見たくてやらせた訳じゃない。
俺は逸る衝動を必死で自制させながら、視線を天井へと逸らす。
「あの鉄骨の隙間だ。あの場所を目掛けて放り投げろ。俺にはコントロールも膂力も足りなかった。だが、きっと君なら出来る。幸運を」
真上に挟まっているモルテンの位置を再確認させる。
唯衣はボールを持った両腕を足元まで落とした。
「分かりました。やってみます……ふんっ!」
そのまま上へと腕を振り上げ、ボールがふわりと上昇し、
「「ああっ!」」
思わず声が揃った。
先程のシュートよりも高く上がったボールはギリギリの距離で目標を掠めた。あと30センチも近ければヒットしていた、そんな惜しい一投だ。
ボールは真っ逆さまに急降下し、一際大きなバウンド音を残して床を転がっていく。
「「……」」
俺達は顔を見合わせる。一体、何をやっているんだろうと思った。
世間はテスト勉強の真っ最中だというのに。
でも、唯衣の放った下手投げフリースローシュートは今まで放った中で最も目標に近い所までいったのだ。
俺は気を取り直して彼女の肩を叩いた。
「この調子だ。続けよう」
「ええ、まだやるんですか⁉」
俺は無言で土俵入りポーズに戻る。唯衣は袖口で口元を覆って恥ずかしがる。
このフォームだけは勘弁してくれ。そう言いたげだったが、俺は首を横に振る。
俺達二人は、しばらくの間この間抜けなシュートを繰り返した。
しかし、惜しいところまでは行くものの、ボールが触れる事は無い。
結局、その日もボールを弾き出す事は出来なかった。
あのボールは俺を嘲笑い続けるかのように、未だ天井に鎮座し続けていた。
だが、しかし――
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