アブドラジーニーのおはなし

旗尾 鉄

第1話

 むかしむかしのお話です。


 アラビアの都に、大金持ちの大商人が住んでいました。


 大商人は砂漠を越えて長い長い旅をして他の国へ赴き、珍しい品々を交易するのです。砂漠を越えるときには、たくさんのラクダを連れて隊商を組んでいきます。


 ラクダたちは、貴重な交易品や、水や、食料を運ぶのに、なくてはならない動物です。ですから大商人は、ラクダをとても大事にしていました。


 さて、この大商人には、たくさん飼っているラクダの中でも特に可愛がっている、お気に入りのラクダがいました。名前をアブドラジーニーといいます。


 アブドラジーニーは、特別なラクダでした。他のラクダよりも一回り大きく、背中のコブは小山のようです。全身の毛はツヤのある金色で、砂漠の太陽に照らされるとキラキラと光って見えました。眼は燃えるような赤色です。


 足がとても速く、ラクダレースで何度も優勝しています。そして、大商人にとてもよく懐いていました。


 このアブドラジーニーの評判は、周りの国にも聞こえていました。隣の国の大富豪は、羨ましくてたまりません。何度も売ってくれないかと持ちかけましたが、大商人は絶対に首を縦には振りませんでした。


 とうとう我慢できなくなった隣の国の大富豪は、どろぼうを雇ってアブドラジーニーを盗み出すことにしました。ある夜、どろぼうは大商人の屋敷のアブドラジーニーのラクダ舎へと忍び込みました。


 どろぼうはまず、鳴き声が聞こえないように、アブドラジーニーの口に布袋をかぶせました。それから輪っかにしたロープを首にかけ、そのロープを引っ張って外へと連れ出そうとしました。


「さあ、歩け。さあ」


 ところが、アブドラジーニーは一歩も動こうとしません。せっかく気持ちよく眠っていたところを起こされ、口にはじゃまな袋までかぶせられています。すっかり機嫌が悪くなってしまったのでした。


 どろぼうは焦って、むりやりロープを引っ張ります。それでもアブドラジーニーは、頑としていうことをききません。ついにどろぼうは、落ちていた木の枝を鞭がわりにして、おしりをピシピシと叩きはじめました。


 アブドラジーニーは、ついに怒ってしまいました。そもそも、いま自分のしりを叩いている男は、ご主人様ではありません。いうことをきいてやる義理はないのです。アブドラジーニーは怒りにまかせて、ラクダ舎から一気に飛び出しました。


 とつぜん走り出したアブドラジーニーに、どろぼうは慌てました。逃げられまいと、とっさにロープを自分の手首に巻きつけ、必死に抑えようとしました。しかし、ラクダの力にかなうはずもありません。アブドラジーニーに引っ張られるようにして、どろぼうも一緒に走り出しました。






 走る、走る。アブドラジーニーが走ります。

 夜の闇を切り裂くように走ります。

 どろぼうは息も絶え絶え、やっとの思いで走ります。


 走る、走る。アブドラジーニーが走ります。

 月の砂漠をひたすらに走ります。

 どろぼうはつまづいて転び、砂の大地を引きずられていきます。


 走る、走る。アブドラジーニーが走ります。

 岩だらけの荒野を走ります。

 どろぼうの血の匂いを嗅ぎつけた狼たちが、どろぼうの後を追いかけてきます。


 走る、走る。アブドラジーニーが走ります。

 どろぼうの悲鳴を聞きながら走ります。

 群がる狼たちに噛みちぎられて、どろぼうには両足がありません。


 走る、走る。アブドラジーニーが走ります。

 すっかり軽くなった体で走ります。

 ロープは途中で擦り切れて、どろぼうの姿はもうありません。






 朝になりました。大商人が朝の日課でラクダ舎を見回ります。アブドラジーニーは、ちゃんと自分の柵に収まっていました。


「おやおや」


 なにも知らない大商人は、不思議そうに言いました。


「どうしたんだい、アブドラジーニー。ループタイなんかつけて。ネクタイが欲しいなら、もっといいのを買ってあげるのに」


 アブドラジーニーの首に巻かれて胸へと垂れ下がったロープは、さながらネクタイのように見えたのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アブドラジーニーのおはなし 旗尾 鉄 @hatao_iron

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ