第54話

 あれから二年半が過ぎた。

 村雨から何度か連絡はあったが、話す用事はなかったし、会うのも避けていた。

 鳥坂は安積の平屋に引越しをしていた。そこで大学受験の勉強に勤しみ、予備校にも通った。安積は引越しの話しをした時は驚いていたが、大学を受験すると伝えると飛び跳ねて鳥坂に抱きついてきた。

 一度目は時間が足りずに受験したが、二度目は何とか志望する大学に合格ができた。安積の喜びようは凄まじく、一週間ほど「祝いだ!」と言って知り合いを招き、宴が催された。

 大学では見た目で年上だと分るためか、相変わらず一匹狼だったが、数人の友人もできた。それより勉強が楽しくて仕方がなかった。

 講義が終わり門を出ると、声を掛けられた。

「久しぶりだな」

 そこにはスーツを着て、清潔感溢れる男と女がいた。

「村雨」

「学生になったんだな」

「ああ。それより……」

 鳥坂は横にいる女に視線を移した。

「そうだよ。マリアだ」

 大学に出入りする学生の目が、一人も漏れることなく注がれている。それくらいマリアの美貌は成長していた。

「とりあえず近くにカフェがある。行くか?」

「ああ」

 マリアは以前と同じに首を縦に振っていたが、その顔には誰をも魅了する天使の笑みがあった。

 大学近くのカフェは、内装は全て女店主一人でしたという、手作りされた温かい雰囲気のある店だ。

 三人は一番店の奥の四人席に座った。天井に写真が木の洗濯バサミで吊るされ、壁にある棚にも女性が好みそうな小物がセンス良く置かれている。

「鳥坂、お前がこんな店知ってるとは」

「うるさい。ここのコーヒーと紅茶が美味いんだよ。で、急にどうしたんだよ」

 注文を適当にすると、昨日まで会っていたみたいに鳥坂は質問をした。

「ずっと気になってたからな」

「何が?」

「あの後、連絡が取れなくなって、おまけに居なくなっただろ?」

「そうだな」鳥坂は短く答えた。

 三船とやりあったあと、安積の家に寄ってマンションに戻った時、鳥坂はすでに自分の身の振り方を決めていた。直ぐに荷造りをして、夜逃げみたいに安積の家に引っ越した。

 安積の「普通に生きろ」の言葉もあったが、自分自身の傲慢さを責められるのが嫌で逃げた。

 村雨が撃たれ時、鳥坂が声にした言葉。マリアは鳥坂の言葉を理解して、三船たちを殺した。自分は、マリアの罪悪感なく人間を殺していた行為を嫌悪していたのに、結局は鳥坂自身も自分勝手で卑怯で、傲慢だった。

 村雨も、鳥坂がマリアを嫌っている理由は知っていた。だからあの時、意図を察した村雨は怒りと悲しみが混在した顔をしていた。

 あの時、助かるには、その後の先も考えて仕方がないと、鳥坂も村雨も思ったはずだ。ただ村雨の場合は、可愛いマリアにもう誰も傷つけて欲しくはいんだと分かっていた。

 自分が手を下さなかった鳥坂の分、過去はどうあれまたマリアが血で汚れた。鳥坂は三船と同等、それ以下だと自分に幻滅した。

 目の前に座るマリアは、面影はあるが美しさに磨きがかかり、誰もが手に入れたがる容姿になっていた。しかし以前のマリアと少し雰囲気が違う。それが分らず鳥坂は探るみたいに凝視していた。

「で、何の勉強をしてるんだ?」村雨が、小さく咳払いをして聞いてくる。

「心理学」

 ちょうど頼んだ紅茶が運ばれてきた。最近は安積の影響でフレーバーティを好むようになっていた。

 村雨は口を半開きにしながら驚いている。同じ言葉を言った時、安積は紅茶を飲んでいて、盛大に吹きだしたのを昨日の事のよう思い出した。

「色々と思う事があったんだよ」

「マリアの事か?」

 村雨が、眉間に皺を寄せている。何故か鳥坂は、居心地が悪くなった。

「で?」

 質問には答えず、村雨に返した。

「実は、あれから色々と探して病院にも通ったんだよ。あの時に鳥坂が言っていた事は当たってた。そう考えると、大学の専攻は間違ってないのかもな。マリアの心の傷。力のことは医者には言わなかったが徐々に力も薄れて、初潮がきたらぱったりなくなった」

「そうか」

 初潮という言葉に反応したのか、俯きながら白い肌が見る見るうちにマリアが赤くなっている。

「マリアは今、中学生になった。もうすぐ転校するんだがな」

「それにしても子供の成長は、恐ろしいくらいに早いな。どこか遠くに行くのか?」

「マリアは先祖返りだから、その血の影響が強いんだ。それで遠くってのは仕事でアメリカに行くんだ」

「そうか」

 マリアを見て、以前のような嫌悪感を抱いていない自分にやっと気が付いた。マリアは見られているのに気付いたのか、鳥坂と目が合った。

 あのガラス玉のような瞳ではなく、温もりが宿った人間の目になっている。きっと村雨の愛情を一心に受けたのだろう。

「それでマリアが鳥坂に会いたいというから、連れてきた」

 久々に鳥坂の体が強張った。

 あの時、マリアがああいう行動を取る様に仕向けたのは自分だったからだ。気持悪いと突き離しながらも、いいように使わせたからだ。

「あれは仕方がない。誰も鳥坂を責めないさ。俺も冷静になってから、あの時はマリアに頼るしかなかったし、彼女もそこは受け入れてる」

「そうか」

 では何故今になって訪ねてきたのか。村雨を見ると眉間に皺を寄せ怒っている風にも見える。

「お前に会ってからじゃないと、行かないと聞かないんだよ! 全く、俺が寄って来る虫を追い払ってるってのに、一番厄介なお前に自ら会わないといけないとは」

「お父さん!」

 それまで黙っていたマリアが、急に大きな声をだしたので驚いた。

「お父さんね……よかったな」

 村雨が少し恥ずかしそうに笑った。鳥坂もそれにつられて口元を緩めた。

「まあ、鳥坂にお父さんと言われるのは気持ちが悪いが、馬の骨よりはマシだな」

「だからお父さん! もう!」

 マリアは顔を赤くしたまま、村雨の腕をひっぱっている。鳥坂はそれを見ながら、

「勘弁」と言った。

 紅茶の中に角砂糖を入れた。琥珀色の泉でゆっくりと分らない様に溶けこんでいく砂糖を見ながら、鳥坂は笑っていた。


 了


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