第47話

マリアは連れて来られた海辺の家の窓から、外の景色を眺めていた。ここに来て三日ほど経っている。

 大人ばかりで居心地が悪く時々、怪我人を出してしまっていた。それでも皆が優しくしてくれていた。

 しかしこの建物の人間の目は、マリアを見ずに何処か違う場所を見ているような気持ち悪さがあった。数人、粘着質な視線を送ってきて、本当に肌の上を這っているみたいな気持ち悪さを持っていた。

 中にはマリアに手を出そうとして、怪我をする羽目になる相変わらずな人間もいた。

「やあマリアちゃん。元気かい?」

 ノックもせずに部屋に入ってきたのは三船だった。

「鳥坂お兄ちゃんは、まだ退院してないの?」

「まだ少しかかりそうなんだよ。彼がここに来るまで、待っていようね」

 ここに来た翌日に桃香は、

「ありがとうねマリアちゃん。バイバイ」

 と言って、何処かへ行ってしまった。

 預けられた三船からは、鳥坂が病気になって入院したと聞かされていた。園にも連絡を入れてあるから心配ないと言われている。

 ただ迎えがある時は、鳥坂が来るからそれまで待っていようねと言われていた。マリアは、深く考えずに納得していた。

 でもマリアはこの三船が苦手だった。ナメクジみたいな湿った目は深く淀み、肌寒ささえ感じる視線だった。三船の癖なのか、下で上唇を舐める仕草はマリアを不快にした。

「今日は服を持ってきたよ」

 と和やかに笑みを浮かべ、部屋の外に向けて「持ってこい」と合図を送ると、二人の男が両手に白い生地の着物のようなものを、三船と入れ替わって持って入ってきた。

 白い生地に縁は赤色のレースが施され、襟元は金と赤とレースが下り混ざる様に飾られている。帯も薄い赤いナイロン生地に金色の糸が織り込まれていた。

「着物に見えるけど、着かたは洋服と変わらないから大丈夫だよ。どうだい?」

 三船は部屋の外から話しかけてくる。三船は意図的になのか心理的なのか、マリアと間合いを取っている。何かの拍子に、傷つけられるのを恐れているのが手に取るように分かった。

 これを着てまた写真を撮られるのだろうか? それ以外にも何かされるのだろうか。そんな考えがマリアの全てを埋め尽くそうとしていた。

「どうかしたかい?」

 マリアは一歩、二歩と後ろに退き、「近寄らないで!」と叫んだ。

 数秒後には服を持ってきた二人の男の足から、血が流れ出して呻き声が部屋の中を埋め尽くした。

 また扉が開くと、男二人が入って来て、一人一人怪我人を引きずり出して行く。床には鮮やかな赤色で、線路が描かれた。

 部屋に二人きりになると、まるで作り物のような張り付いた笑顔で、三船は口を開いた。

「俺たちはね、マリアちゃんに触れよう何て思ってないんだよ? ただ服も普通ばかりじゃ味気がないかと思ったんだよ。そう警戒しなくても大丈夫だからね。また後で、新しい同じ物をもってくるから。あと掃除のおばさんに直ぐに来てもらうから」

 三船が出ていき、ベッドに体を沈めた。部屋は一人で持て余すくらいに広くて、二十帖程あり高さもある。

 その広いスペースに、箪笥と三船が買い揃えてきた服がハンガーに掛かっている。それとベッドに本棚と小さなソファ。壁際に家具があるので、気兼ねすることなくくつろげる部屋とはかけ離れている。

「失礼しますよ」

 小柄で髪がボサボサのおばさんが入ってきた。毎日一回、午前中の掃除と、こうして部屋を汚してしまった時にも来てくれる。

 マリアはいつもその掃除婦の髪を見て、アニメで爆発した時に出来上がる髪とそっくりだなと、ぼんやり思っていた。

 掃除婦は乾いていない血を綺麗に拭きとると、そそくさと部屋を出ていった。

 ベッドの横にある出窓を開けてみる。そこから押しては引いてを繰り返す波の音が聞こえてくる。横になりながら耳を傾けると、不規則だけども、一定のリズム音が心地よくなってきた。

 気持ちに少し余裕が出来てきたのか、園で御木が、「もう直ぐいい事があるかもしれませんよ」と言っていたのを思い出した。

 教えて欲しくて何度も聞いてはみたが、いい事がと言うだけだった。

 胡蝶の姿も思い浮かんだ。今頃、鳥坂の見舞いにでも言っているのだろうか? そして怒ったり笑ったりしながら話しているのだろうか? 

 マリアは三人でいる時の空気が好きだった。気を張らなくても警戒することもなく心が安らいだ。

 しかしこの建物の中は、空気が薄く、いつも酸欠状態のように思えた。どれだけ吸っても体は満足しない。今まで気づかなかったが、両親と暮らしていた時と似ていた。確かに両親は、変わってしまうまで愛情を持って、自分を可愛がってくれていた。

 どこに連れて歩いてもマリアを自慢する両親と、賛同する周りの大人たち。いつしかそれが息苦しくなっていた。両親は子供としてマリアを紹介しているんじゃなくて、生きた人形、可愛いものを持っている自慢しているだけだと感じ始めていた。

 もしかすると、その頃から両親は娘のマリアを失い始めていたのかもしれない。両親には自分は、どんな風に映っていたんだろうか。今さら確認のしようもない。

 仮に確認ができる状態であっても、マリアが納得する答えがくるとも思えなかった。なぜならもう、家族という囲いが崩壊していたのだから。

 なぜ自分を嫌っている鳥坂と一緒にいて、心地がいいのか。過去の大人たちは、マリアを存分に甘やかすばかりで、無下にする人がいなかったら鳥坂に惹かれるのか。

 考えてみたが、答えが見つからなかった。

 部屋の中は潮の香りに混ざって、まだ鉄臭さが残っていた。でも波の音が心地よく、マリアはそのまま眠りに落ちてしまった。


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