第45話
あれからマリアは園には戻ってこなかった。
マリアが連れて行かれた翌日、桃香の田舎がある海に連れていくと園に連絡があったと電話があった。疲弊しきった胡蝶の声は、痛々しく聞こえた。
しかし鳥坂は、胡蝶から内容を聞いた時、多分嘘だろうと直ぐに思った。
以前に自分は都会生まれの都会育ちで、田舎なんてないんだと桃香は言っていたからだ。
安積から聞いた話から、桃香はマリアの力を知って、三船と取引したのではないかと推測していた。
親の会社の借金の連帯保証人になり、返せなくなった桃香は風呂に沈むしかなかった。かなり返せたとは聞いてはいたが、おそらくまだかなりの残債があるはずだ。
人をも殺せて傷を治せる。鳥坂自身は興味がなかったが、考えようによっては金になる木その物。桃香の借金はゼロになるどころか、プラスの収入さえなるかもしれない。
抜け出せない沼地に、日々沈んで死んでいく自分を感じている時に、蜘蛛の糸が垂らされれば、他を踏み台にして抜けだそうとするのは生存本能だ。それを責める気は毛頭ない。
鳥坂は散らばっている雑誌を一纏めにし、湯を沸かす。その間に台所に無造作に置かれたゴミを袋に突っ込んだ。お湯の沸騰と同時にチャイムが鳴り、鍵を開けた。
「元気か?」
以前より安積の目元は垂れさがって、この人は過去に怒ったことはあるんだろうかと思ってしまえるほどに、柔和な顔の初老に見える。
「今、コーヒー入れるから上がって」
「そうか。それとこれ。土産だ」
ソファに座り、安積は持って来た箱を開けた。
「ここのシュークリーム、美味いんだ」
コーヒーを入れながら安積を見ると、子供のように瞳を輝かせている。
「ブラックでいいよな?」
「ああ。鳥坂も食ってみろ」
差し出されたシュークリームを断る訳にもいかず、口に運んだ。安積はじっとその様子を見てくる。
「うまい」
「だろ! 沢山あるから食え」
箱の中を見ると、まだ九個もある。どういう意図か分らないが、これ以上鳥坂は食べる気はなかった。
「今日はどうしたんだよ?」
「まあちょっと待て」
安積は箱から一つ取り出して、シュークリームを頬張り始める。その間鳥坂は、甘ったるくなった口内をコーヒーで口直しするが、甘味が居座ってなくならない。
ふとマリアがいたら、喜んだかもしれないなと、自分でも驚く感情が予告もなく浮かんできて困惑してしまう。
「なあ鳥坂。学校の事、考えたか?」
「え? ああ……」
安積の言葉に我に返った鳥坂は、学校の件はマリアに引っ掻き回されていて、真剣に考える時間がなかった。でも忘れていた訳ではない。安積は、必ず返事を聞きに来ると長い付き合いから分かっていた。
「真剣に考えてなかったな? ほら」
持ってきた紙袋を渡されて中を覗く、大学のパンフレットが入っている。
「お前の興味がありそうな、学部がある大学を選んでみた」
一枚を取り出し開いてみる。学生が楽しそうに雑談する姿や、充実した設備の紹介。学部の紹介。手当たりしだい取ってきたのか、東大などのパンフレットもあった。
「工学部とかどうだ? お前は手先が器用だったし、よく時計やらラジカセを解体しては、組み直していただろ? どうだ?」
小さい頃、安積が留守の時や帰りが遅い日は、暇を潰すために壊れた電化製品を取っておいては分解して遊んでいた。
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