第38話
今思えば、二人の死を感じてはいた。だが意識的の底へと沈め、見ない振りをしていた。それは体の生存本能が無意識そうさせたのか、自身が意識的にしたのかはわからない。ただ少なくとも、既に二人の死を感じていたということだ。
それでも墓石を前にしても、やはり認めたくはなかったし、現実を受け入れるには、あまりにも余裕がなかった。
「慎二、慎二!」
その後の、慎二は無心で墓の中から骨壷を取り出そうとして、両親に取り押さえられて、訳の分らない言葉を叫びながら泣く慎二を、引きずりながら連れて帰った。
一週間ほど、水分は涙で流れていき、飲み物もほとんど喉を通らずに過ごした。
楽しかった過去を思い出すと、海が防波堤を超えて激しく波打つように、最愛の人を殺してしまったという途方もない罪悪感と悲しみが、後悔となって一気に押し寄せては声を出して泣いていた。
二人を死なせてしまった自分が生きていても仕方がない。死んで、二人の元に行きたいと心の底から思っているのに、意思に反して身体は生命維持をしている。
献身的な両親のせいで体は持ちこたえ、徐々に食事も取れるようになっていった。
食事は足が不自由だったので、一階の和室を当てがわれ一人で摂らされていたが、次第に両親が揃うキッチンで一緒にするようになった。
両親は何も言わずに、昔のように食事を進める。慎二が話さないので、食卓は静かだった。
この頃には、霞んでいた頭の中も晴れてきていて、慎二が今いる場所が現実だと受け入れられていた。
何回目かの食事の時だった。
「佳苗と由香里の位牌って……」
「三嶋の家にある。仏壇もあちらで用意されている……」
「ああ」
父親の言葉の歯切れが悪い。まだ脳内神経が完全に繋がっていないのか、やはりそうだったのかと納得していた。
「三嶋で二人は供養すると言われているんだ」
「ああ」
母親が、重ねる様に続けた。
「三嶋の家には来ないでくれってね……慎二」
「ああ」
話しを聞きながら慎二の手は、茶碗と口を往復している。動きの悪い歯車をゆっくりと動かすみたいに、両親の言葉を頭の中で繋げていた。
やっと、親の言葉が、何を意味しているのかが見えてきた。口を開いたのは、数分経ってからだった。
「三嶋の家は、俺を」
慎二の手は止まり、小刻みに震える。椅子が倒れる激しい音が響いて、数秒遅れて慎二の頭部が無理矢理引き寄せられた。鼻に懐かしい匂い入り込んできて、温もり、柔らかさが慎二を包んだ。
「しっかりしなさい! 慎二。あんたは生きなくちゃいけないの。二人の分まで生きなさい。それで沢山の物を見て生きるの。二人の為に」
慎二は子供のように、声を上げて泣いた。母親は慎二の頭を黙って、子供の時のように優しく撫でていてくれた。
それから三嶋家へ足を運び、仏壇の前に手を合わせたいと言っても、なじられて罵声を浴びせられても何度も頭を下げに赴いた。
しかし結局、位牌は引き取らせては貰えなかった。
生きることになった慎二は、住んでいたマンションに戻った。
静かな空気は、慎二を押し潰すには十分な重さだった。真っ昼間だというのに、部屋は暗く湿気ている。家具などはそのままなのに、パズルのピースが掛けたみたいに、味気がない。
我が家に帰って来た慎二だったが、一日中アルバムを見たりして、思い出の服を出してきてはそれを抱え込んで眠った。
服と部屋には佳苗と由香里の匂いが染み付いていて、慎二を束の間の過去に戻してくれた。
治りきっていない足の定期的なリハビリには、両親が迎えに来てくれていた。
キッチンに放置していたインスタントの残骸を見た母親は、食事が入ったタッパーを冷蔵に入れてくれる。
リハビリも順調に進み、街を出歩くようになった慎二は、人が溢れる街を歩いていても、一人取り残されている感覚になって、寂しくてたまらなくなった。
外に出ても、寂しさなんて紛れるはずもなく、自分がこの世界の異物だと感じずにはいられなかった。
ふと家でいつものように佳苗と由香里の服を抱きしめながら寝ていた時だった。
目が覚めた慎二は、佳苗の服を着てみようと思い立った。
佳苗は太くも細くも無かったが、男の慎二よりは細い。しかし健康的な食事をしていなかった慎二は、難なく佳苗の服を着ることができた。
するとまるで佳苗と一体になっている気分になれたではないか。由香里の持っていたバレッタを、少し伸びた髪に着けてみた。
慎二は、身体に二人を感じた。家の中を見回すと、欠片が沢山あった。呼吸をすると、二人の匂いがまだ残っている気がした。
慎二の女装の始りだった。女装と言っても、佳苗の服を着て、由香里の小物を身に着ける。妻が使っていた化粧品を使うと、彼女を感じられた。
だが、復帰したそんな慎二を職場が拒んだ。復帰初日は、慎二の姿を見た社員の視線とざわつく空気。「精神的に、おかしくなったんじゃない」の声。どんな言葉が耳に届いても、慎二には気にもならなかった。
慎二自身、周りからどんな言葉を吐かれても、キツイ態度を取られても気にはならなかった。周りからの非冷ややかな声も態度は、生きている自分への罰であり試練だと思っていたからだ。反対に、もっと自分を詰ってくれと、周りに求めていた
しかし管理部門から、事情は察してはいるし、服飾の会社ではあるが限度がある。会社の信用もあるから、以前のスタイルに戻して出社してくれないかと打診をされた。
慎二は、身体から佳苗と由香里を引き離すなんて、考えられなかった。理解してくれないなら、この場所はいらない。
慎二は、翌日には辞職届を出して会社を去り、自由にできる飲食店を始めた。
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