第37話

 入院から二ヶ月。リハビリも順調にすすみ、退院する運びになった。まだ松葉杖を付いていた慎二を、両親が車で迎えに来てくれた。看護師や主治医に挨拶をし、車に乗り込んだ所で、

「由香里も佳苗も退院しているんだよな? 俺より怪我が酷くなくてよかった」

 入院中、すれ違いばかりだった母親と、運よく会えた時にそう聞いていたのだ。

「早く、会いたいか?」

「もちろん会いたさ」

 ハンドルを握る父親の右腕を、母親が掴みながら揺らしている。慎二は気付いてはいない。

「わかった」

 父親は車を走らせ、一時間ほどしてある場所に着いた。

 静かな場所で、吹く風で木葉が爽やかな音色を奏でている。その風に乗って、何処からか線香の香りが鼻孔に付いた。車を運転している途中も、降りてからも、両親は何も話さない。

 慎二が質問をしても、「着くまで待ちなさい」としか言わなかった。

 両親が慎二を両脇で支えてくれた。砂利が混じった道を、慣れない松葉杖をしながら進むのは、時間がかかった。

 目の前に大きな門が現れ、その奥には、歴史と由緒がありそうな寺が鎮座していた。

「ここは?」

「いいから」

「止めておいたほうが……」

 母親が父親に掛ける声が、震えていた。

「いや、現実を見せたほうがいい。いい大人なんだぞ」

「でも」

 慎二を挟んでの会話は、居心地が悪い。

「何なのさ?」

「いいから」

 何度目かの同じ言葉に、これ以上追及しても何も返ってこないと悟った。

 門を入り本堂の横にある脇道を入って行く。自然に出来た木々のアーケードを歩いた先にあったのは、広々とした場所に、墓石が規則正しく並んでいる風景だった。

「墓地?」

 両親は慎二を誘いながら、迷うことなく細い道を歩いていく。松葉杖で歩くには窮屈な場所を、転ばないために下を注意して動いた。

 前を歩く父親が急に止まったので、危うくバランスを崩しそうになった。それを後ろにいた母親が支えたので、何とか持ちこたえられた。

「ここだ」

「何が?」

「見てみろ」

 父親が一歩ほどずれて、慎二がちょうど墓石の真正面に立つ状態なる。墓石には三嶋之墓とあった。

「これは?」

「分らないか?」

 知り合いにいただろうかと数分考え、妻、佳苗の旧姓だったことを思い出した。先日、お義母さんが電話に出た時の態度を思い出して、原因を理解できた、気がした。、

「三嶋のお義父さん、亡くなったのか?」

 事故、入院、父親の死で佳苗は大変だったのではないか? それに葬式に自分自身、出席していない。申し訳ない気持ちで胸が潰されそうになる。父親は墓石を見据えたまま口を開いた。

「この墓は、佳苗さんと由香里の墓だ」

「何を言い出すかと思えば。三島のお義父さんが亡くなったんだろ? 先に手を合わせてから迎えに行ったほうが、確かに効率はいいよな。いつ亡くなったんだ?」

「いつ亡くなっているか、墓を確認してみろ」

 慎二は、動き辛い体で、墓石の裏を見た。目に文字が飛び込んでくるが、脳が文字を拒否しているみたいに読めない。

「慎二」

 父親の呼ぶ声が、遠くから聞こえてくるかのように、細くて小さい。佳苗と由香里と、朱色で書かれた文字。慎二の細胞全てがそれらを拒否していた。

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