猫たちとの出会い ⑮

もしかしたら、とびちゃんは本当に、もとは誰かの家で飼われていた猫だったのかもしれません。

最初こそ、私に捕獲され、無理矢理家の中に運び込まれたわけですが、そこからの家猫生活へのアジャストぶりは、あまりにスムーズでした。

物置部屋を自分のテリトリーだとあっという間に定め、私が置いたトイレを華麗に使いこなして一度も失敗はなく、食事も、私が出て行ってから優雅に楽しんでいるようで、朝夕、空っぽのお皿が私を迎えてくれました。

便がコロコロしているので、いささか水分摂取量は少なめかな、というのが唯一心配なくらいで、彼女の「家猫マナー」は完璧だったのです。

ただ、彼女にとっての「家」は、物置の中だけ。

そこ以外は、私という人間が闊歩かっぽするエリアなので、危険極まりなし。決して出て行ってはいけない。

安全な自分のテリトリーである物置を死守しよう。

彼女の考えは、そんなところだったのでしょう。

思えば不思議です。

自分の子供たちを託してくれるほど、お世話係としての私を信用しているのに、飼い主としての私は絶対に認めないのですから。

やはり、過去に私以外の人間と、何かよほど酷いトラブルがあったのではないかと想像せずにはいられません。

でもまあ、彼女が家の中に、たとえ一部屋でも安心できる居場所を定めてくれて、私のほうも本当に安堵しました。

とはいえ、そこは雑然とした物置。猫を飼育するのにベストな環境とは言えません。

本来なら、荷物をどこか他へやって室内を片付けるべきところですが、私は敢えてそうしませんでした。

段ボール箱の山に登ることを、とびちゃんが密かな遊びにしていることに気づいたのがひとつ。

そして、その段ボールたちは、危険人物である私が入室したとき、とびちゃんをかくまってくれるとりでとして機能していたというのが、もうひとつの理由です。

少なくとも、とびちゃんが我が家での暮らしに慣れるまでそのままにしておこうと、私は決めました。

その代わり、大きな掃き出し窓のそばには据え置き型の猫タワーを設置し、とびちゃんが庭を眺めたり、日なたぼっこをしたりできるようにしました。

段ボールの上にも猫ベッドをいくつか設置して、気が向いたとき、いろんなところで寝られるように。

最初こそ、「あいつ、次々と変なものを持ち込むわね……」と胡乱うろんげだったとびちゃんも、やはり猫。

高いところは大好きなようで、猫タワーの最上階で気持ちよさそうに昼寝をするようになりました。

もっとも、私が入っていくと、瞬時に飛び降りて段ボールの山に身を隠してしまうので、私が見られるのは、ほぼ残像のような姿だけでしたが。

そして!

掃き出し窓のカーテンを半分開け放っておいたので、我が家の庭が広く見渡せるのですが、あるとき、窓の外に登場したのは、N機関のパパ、つまりとびちゃんのボーイフレンドです!

動物愛護協会の方の話では、わが町と隣町を、捕獲の手をかいくぐって自由自在に移動している、「難敵」のオスだそうで、とにかく驚くほど大きなキジトラでした。

育児はほとんどとびちゃん任せで、ほんの一度か二度、夕飯を待ちながら子守をしているのを見かけた程度です。

私の好感度は最低ラインでしたが、とびちゃんにとっては愛しい彼氏、そしてキジトラにとっても、とびちゃんは諦めきれない恋猫であったのでしょう。

私を見ると即座に逃げ去るオス猫でしたが、時々やってきては、窓越しにとびちゃんとデートを楽しんでいたようです。

一方で、子供たちに対するかたくなな拒否は、ずっと続いていました。

夜になると「ただいま~」という感じでやってくる甘利あまり福本ふくもと波多野はたのは、引き戸の隙間から漏れ出る匂いで、ママがそこにいるとわかるのでしょう、いつも物置に入りたがりました。

「ダメかもよ?」と念を押して入れてやるのですが、やはりとびちゃんは背筋をシイラの背びれのように逆立てて、シャーッと歯を剥き出して威嚇します。

それでも子猫たちが近づこうとすると、強烈な猫パンチをお見舞い!

さすがの子猫たちも、諦めて退散する日々でした。

甘利と福本はそのうち諦めてしまいましたが、波多野だけは、何度拒まれてもへこたれず、ぶたれて「ギャン!」と悲鳴を上げても、ママを嫌いになることはありませんでした。


そんな、とびちゃんと子猫たちの関係に変化が訪れたのは、何と1年余り後のこと。

その頃、甘利は相変わらず夜だけ来る通い猫でしたが、福本と波多野はほとんどの時間を家で過ごし、我慢できなくなると庭に出る程度の、ほぼ家猫生活を送っていました。

そして、相変わらず物置で、籠城という名の悠々自適ライフを送るとびちゃんと、毎度退けられても諦めない波多野。

ある日の午後、いつものように波多野が物置に入り、窓際の段ボール箱の上でくつろぐとびちゃんに近づいていくと……なんと、とびちゃんが波多野の頭をペロペロと舐め始めたではありませんか……!

それは、波多野がうんと小さかった頃に、とびちゃんが毎日のようにしていた優しい仕草そのもので。

波多野はたちまち喉をゴロゴロ鳴らし、ママにすり寄って目を閉じ、とても嬉しそう。

戸口で見守っていた私は、感動して大泣き。

騒ぎに驚いてやってきた福本もママに甘えることを許されて、久し振りに親子が一つ処に揃いました。

とびちゃんの突然の心境の変化には、相談していた動物病院の先生も首を捻っていましたが、「もしかすると、もう新たに子育てをしなくていいんだと確信できて、最初の子供たちを遠ざける必要がないと理解したんじゃないですかねえ」という見解。なるほど。

とにかく、可愛い我が子たちにいざなわれ、とびちゃんはその日をきっかけにして、物置の外に少しずつ出るようになり、行動範囲を広げていきました。

ママと一緒だという安心感が、子猫たちが我が家に定住し、完全に家猫になる後押しをしてくれたようにも思います。

N機関家猫化計画は、こうして段階的に進んでいきました。

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