猫たちとの出会い ⑬
「では、お預かりします!」
いつものように、動物愛護協会の方が、猫が入った捕獲かごを自動車に積み、動物病院へと運んでくれます。
いつもと違うのは、中に入っているのが子猫ではなく、母猫のとびちゃんであること。
とびちゃんは、動物病院でノミ取りの処置と不妊手術を受け、やはり耳カットを施された上で、翌日に退院、すぐにこちらに戻してリリースされる予定、と知らされました。
子猫たちと同じ方針です。
現在、地元の動物愛護協会は、そうして保護した猫たちの譲渡活動を行っており、昨年は初めての譲渡会も開かれました。全頭を譲渡に導くのはまだ難しくても、そうやって、家猫への道を拓かれた猫たちが何匹もいます。
地道な努力に、本当に頭が下がるばかり。
でも当時はまだマンパワー不足でそこまでのことができず、TNR(捕獲し、去勢・不妊手術を施し、リリースする)が、選択しうる最良の手だったのです。そういう事情を私が理解したのは、何年も後のことでした。
とにかく、とびちゃんはまた、野に放たれてしまう。
賢い彼女のこと、再び同じ手は食わないでしょう。
いいのかな。本当に、それでいいのかな。
不妊手術を受けたとびちゃんは、もう二度と子猫を産まなくていい。厳しい子育て生活を経験しなくていい。
でも……この先の一生を、出産と育児で疲弊したちっちゃい身体で、過酷な外で送らせていいんだろうか。
私に、ちょっとでもできることはないだろうか。
せめて……せめて一度、試すだけでも!
私は、手術を終えたとびちゃんが連れ戻される翌日に向けて、物置部屋を猛然と片付け始めました。
片付けるといっても、横並びにしていたものをどんどん縦に積み上げることくらいしかできないのですが、とにかく、猫1匹が暮らせるスペースを確保しようと思ったのです。
窓際には、他の部屋に置いていた、背の低い猫タワーを引きずってきて据えました。
小さめの猫トイレと、お皿と水入れ、そしてこれまた小さめの猫ベッドも置きました。
そう、私はリリース前に少しの猶予を貰って、とびちゃんに家猫暮らしを試させようと決めたのです。
リリースはいつでもできる。
私に懐くかどうかなんて、この際どうでもいい。
夜、うちに立ち寄る子猫たちと再会したとき、既に子別れを済ませたとびちゃんがどういう反応を示すかは心配ですが、物置部屋に閉じこめておけば、子猫たちと完全に分離することも可能です。
物置部屋といっても、荷物をどければ、大きな掃き出し窓があって、明るくて広くて、環境は決して悪くありません。
少なくとも「小公女」で、セーラがおいやられた屋根裏の女中部屋よりは、だいぶ過ごしやすそうです。
よし、どんとこい、とびちゃん!
翌日の昼過ぎに動物愛護協会の方が連れ帰ってくれたとびちゃんは、四角いケージの壁面にへばりつくようにして、大きな目をカッと見開いていました。
明らかに、おこです。激おこです。
右耳には、何もそこまで切らんでも、というくらい大胆なV字カットが入っています。
とびちゃんが、さくら猫、つまり地域猫になったよという証です。
カットのサイズは動物病院の獣医師次第だそうで、とびちゃんを担当した先生は、きっとカットがハッキリ見え、地域猫と認識してもらいやすいように、と考えたのだと思います。
でも、痛々しいなあ……。
動物愛護協会の方は、「すぐリリースしますか?」と訊ねてきましたが、私は「とりあえず一晩、うちで養生させます」と答えました。
女子猫は、男子猫よりも手術の侵襲が大きいので、やはり消耗しているはず。
「では、リリースのタイミングはお任せしますね」ということで、すんなりとホームステイは許可されました。
よしよし、ここからよ、とびちゃん。本気を見せて。
私は、ケージを物置部屋に運び、しっかりと引き戸を閉めてから、ケージの扉を開きました。
無言のまま小さく固まって、出てくる気配をまったく見せないとびちゃん。
今回の理不尽な誘拐を、酷い裏切りと感じたのでしょう。これまで苦労して培ってきたささやかな信頼が、マイナス値に戻っていることが感じられます。
「ゆっくりしてね。出て行くから。ごはんもお水もトイレもあるから、使ってね。ベッドもあるからね」
賢いとびちゃんのこと、人間の言葉もある程度は通じる気がします。私はゆっくりとした口調でそう言い置いて、部屋を出ました。
脱走防止のため、例によって、引き戸と枠を数カ所、テープで留めておきます。
小一時間ほどそのままにして、抜き足差し足で戻り、引き戸に耳を押し当てて中の様子を窺ってみましたが、室内はしんと静まり返っています。
寝ているのか、まだケージの中で地蔵のようになっているのか。
それはわかりませんが、閉じこめに気づいてパニックに陥ってはいないようです。
暴れたり騒いだりしていないのであれば、第一歩としては上出来。
裏切り者の家に幽閉されるなんて業腹でしょうが、とにかく術後の身体をゆっくり休めてほしい。
これからのことは、一緒に考えよう。とびちゃんにとっての、最善を探ろうね。
心の中でとびちゃんに提案して、私はそっと引き戸から耳を離したのでした。
このあと、とびちゃんは思いも寄らぬ行動に出て、私だけでなく、彼女の子供たちをもビックリさせることになります。

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