猫たちとの出会い ⑧

とびちゃんの5匹の子猫たちを順番に捕獲し(Trap)、不妊・去勢手術を受けさせ

(Neuter)、耳に小さなカットを入れて、地域猫としてリリースする(Return)。

いわゆるTNR活動です。

そんな地道な活動が一段落し、さて、腰を据えてとびちゃん捕獲にかかろうか……というとき、猫の親子に大きな変化が起こりました。

とても暑い、7月も終わりかけのある朝のことです。

とびちゃんが、子猫たち全員を、いつもの実家ではなく、私の仕事場のほうへ連れてきたのです。

これまでも、猫たちが気まぐれに仕事場にやってくることはありましたが、とびちゃんが子猫たち全員を引き連れて、というのは珍しく。

妙な胸騒ぎがしましたが、猫たちの様子はいつもと変わらず。

みんな、元気そうです。とびちゃんの周りで、5匹の子猫たちは無邪気にじゃれたり、毛繕いをしたりしています。

まあ、たまには違うところで食事がしたいってこともあるか……と、私はあまり深く考えず、慌てて準備をして、玄関先にお皿をズラリと並べました。

みんな旺盛な食欲を発揮し、ウエットもドライも、お腹がぽんぽこになるまで食べました。

それから、子猫たちは、いつものようにママに甘えて、何ならまだ、デザート代わりにおっぱいをもらって……とは、なりませんでした。

食事が終わるなり、何故かとびちゃんが子供たちに向かって唸り声を上げ、盛大に威嚇を始めたのです。

えっ?

私は驚きましたが、きっと、子猫たちはもっと驚いたと思います。

あんなに献身的に子供たちを守り、甘やかし、世話を焼き、導いていた愛情深いママが、いきなり敵意をむき出しにするなんて。

そんな馬鹿な……と思ったでしょう。

ショックで立ち尽くす甘利あまり兄さん。及び腰になり、おずおずと後ずさって距離を取る福本ふくもと実井じつい

えっ何なの、と、不満げにその場から離れてしまうドライな田崎たざき

誰よりもショックを受けていたのは、いちばん身体が小さく、末っ子的立場だった波多野はたのでした。

いつだってママを独占して、甘えてすり寄って、毛繕いしてもらって、いちばん最後までおっぱいに吸い付いて、そのまま寝落ちして……。

そんな波多野なので、何度も諦めずママに突撃しては、そのたび、シャーッと威嚇され、前脚で叩かれ、地面に転がされ、悲鳴を上げるほど強めに噛まれ……。

それは、ただ見ているしかない私が、「もう許してやって」と懇願したくなるような、痛々しい光景でした。

後になって獣医師に聞いて知ったのですが、おそらくとびちゃんは、既に次の子をお腹に宿していたのです。だから、子猫たちが十分に育ったと判断して、独り立ちさせることに決めたのでしょう。

野良猫のお母さんは、そんな風に唐突に、とてもドライな子別れをするようなのです。

戸惑い、傷ついた子猫たちが、離れた場所で寄り添っているのを見届けて、とびちゃんは最後にほんの数秒、私を見てから、ヒラリと姿を消しました。

金色の瞳が放つ光が、ずっと網膜の裏に残るような。

そんな強い眼差しでした。

「あとは頼んだわよ」と、言われたような気がします。

すべてを振り切るような後ろ姿を呆然と見送り、理由はわからなくても、とびちゃんが「子猫たちのママをやめた」ことだけは、私にも理解できました。

子猫たちを全員こちらに連れてきたということは、実家のほうにはもう来るな、というサインでもあるのでしょうか。

あちらで新しく生まれる子猫たちとの生活が始まるから、と。

ええー。この唐突な展開、参ったな。

いったい子猫たち、これからどうなってしまうのだろう。

私は子猫たちを、そしてとびちゃんを、どうしてあげたらいいのだろう。

いや、待て待て。二兎を追う者は一兎をも得ず、と言うではありませんか。

まずは、とびちゃんより、子猫たちのケアが必要そう。

私は咄嗟にそう判断しました。

「ここにおいで。私はいつでも待っているからね。ごはんの時間になったら、今日からはここにおいで」

そうは言っても、そのときの私にできるのは、何度も傷心の子猫たちにそう声をかけることだけでしたが。


でも、念じれば通じるものなのかもしれません。

そして、私の判断は、意外と正しかったのかもしれません。

ママに突然遠ざけられ、心細くなった子猫たちは、連れだって、私の仕事場を訪ねてくれるようになったのです。

勿論、5匹揃ってということは滅多にありませんでしたが、気の合う者どうし、あるいは偶然出会った者どうしなのでしょうか。まさに三々五々といった感じで、朝夕、または夜、遅がけに、ふらりと玄関先に姿を見せるのです。

ならば、こちらも全力で対応するしかありません!

私は、朝5時から8時くらいまで、そして夕方5時から夜9時くらいまで、玄関の扉を半分ほど開け、子猫たちの訪れをひたすら待つことにしました。

勿論、何もせずに待っていられるほどお大尽な身の上ではないので、上がりかまちに腰を下ろし、膝の上にノートパソコンを据えて、原稿を書きながらの待機です。

ごはん皿も、最初は玄関扉ギリギリの場所に置いていたのを、食事のたびに、少しずつ少しずつ土間のほうへ移動させて、子猫たちを家の中に誘導してみようと思い立ちました。

山暮らしゆえ、開けっぱなしの扉からは色々な虫が入ってくるし、近所の人は不思議そうに見ながら通り過ぎるし、何より用心が悪い。

全方位、具合の悪い状況ではありましたが、そんなことは言っていられません。

子猫たちが、「ここならば安心して訪ねられる、安全に食事ができて、何ならくつろぐことができる」、そう知ってくれることが、今は何より大事です。

そして実際、ママに突き放されて心細い子猫たちにとって、一応、赤ちゃん時代からの顔なじみである私は、たとえ人間でも、とびちゃんの次に信頼できる相手だったのかもしれません。

怯えながら、警戒しながら、躊躇ためらいながら、子猫たちは、徐々に家の中にも入ってきてくれるようになりました。

その頃には、もう季節は秋。子猫たちは、だいぶ大きくなっていました。

警戒心がひときわ強い実井と、ママと一緒にいたときから極めて気まぐれだった田崎は、徐々に足が遠のき、あまり姿を見せなくなってしまいました。

でも、それ以外の3匹……甘利、福本、波多野の3匹は、ほぼ毎日、朝夕の食事に姿を見せてくれるようになりました。どうもこの3匹は、とりわけ仲が良いようです。

相変わらずお兄ちゃん然とした甘利、のんびり屋さんで次男格の福本、神経質で勝ち気、甘えん坊の姫、波多野。

組み合わせの妙というやつでしょうか。

さらに彼らは好奇心にまかせて、玄関脇の部屋にも入り込むようになりました!

用意した猫のおもちゃで遊び、おやつを食べ、爪とぎをバリバリし、ときには猫ベッドで少し眠っていくようにもなりました。

最初に目指した5匹全員とはいきませんでしたが、たとえ3匹でも、まずは「通いの猫」になってくれれば上出来です。

ここから、この3匹を相手に、私は次のステップへ進むことを決意しました。

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