猫たちとの出会い ⑦

朝夕、来るときも来ないときもあるとびちゃん一家を、ごはんを用意してただひたすら待つ。

来た猫たちの健康状態を目視で確認し、来なかった猫たちのことを案じる。

少しでも私に慣れてもらうべく、食後もじっと動かず彼らと共に過ごし、話しかけ、やがてどこかへ去っていく彼らを見送る。

そんな、あまりにも猫中心すぎる生活は、梅雨明けが近づいても続いていました。

もはや季節は夏、山中の我が家といえども、朝からむしっと暑く。

自分の汗にアレルギーがある私にはつらい環境でしたが、そんなことは言っていられません。

何としても、彼らを首尾良く地域猫にして、少しでも身の安全を確保してやらねば。その一心でした。

地域猫活動の団体のほうからは、「まだですか?」「捕獲を急いでください」という催促メッセージが数日おきに来て、プレッシャーに拍車がかかります。

捕獲のタイミングは私に任せるって言ったじゃんよー!

今ならそう言い返すところですが、当時の私には、指示を毅然と突っぱねるだけの根拠がありませんでした。

先方のほうが明らかに経験豊富なのですから、彼らのほうが正しいのだろうと考えるのが自然なことです。

でも、どうしても「まだ早い」と感じるのです。

今、捕獲に乗り出せば、とびちゃんは子供たちを連れて、たちまちどこかへ場所を移してしまう。どんなに魅力的な餌場でも、子供たちが危ないと感じたら、とびちゃんは絶対に近づかなくなる。

とびちゃんと心が通じ合っていなくても、彼女の強さ、賢さ、用心深さは誰よりも私が知っています。

今じゃない。

そう感じる自分の心を信じようと思いました。

「もう少し待ちます」と、判で押したような返事しかしない私に、きっと先方も焦れたことと思います。

作家なんだから、もっと上手に説明できたらよかったのに……と申し訳なくも思います。

だけど、こういうのは言語化し難い動物的勘って奴なのです、おそらく。

でも、そうやって粘っているうちに、小さな変化はありました。

とびちゃんは、外敵(アライグマやカラスなど)がいる環境での育児で、どうしようもないほどヘトヘトだったのでしょう。

食事のあと、私から少し離れた場所で、けっこう長い時間、うとうとしていくことが多くなりました。

子猫たちは、そんな母親から離れて、私が準備した猫用のボールや玩具で元気よく遊ぶようになり、へっぴり腰ではありますが、私が手に持った玩具にもタッチアンドゴーで反応してくれるようになってきました。

特に、いちばん小さな波多野はたのがもっとも警戒心が薄く、ときにはジリジリと近づいてきて、私の足の親指を軽く齧ってみたりも!

子猫なんて、何でも玩具にしたいお年頃ですもんね。

子猫の歯は小さいのに先端がうんと尖っていて、甘噛みでも想像以上に痛いものです。切れない爪の先も鋭く、軽く触れられただけで細くて長い傷が出来てしまいます。

でも、ここは我慢のしどころ。

まったく怒らない私を見て、他の猫たちも少しずつ近づいて真似をする。ヒラヒラするリボン状の玩具の誘惑に抗いきれず、みんなで渡れば怖くないとばかりに寄って集ってじゃれてくる。

そんないい流れが生まれつつもありました。

依然として子猫たちに触れることはできませんが、気が向いたときにあちらから一方的に触れてもらえる機会が生まれ、カツオの切り身を加熱した、とてもゴージャスなおやつを細長く裂いたものだけは、私の近くに置いても食べに来てくれるようになりました。

でも!

毎日どんなに努力しても、そのあたりが譲歩の限界の模様。あともう一歩がどうしてもお互いに踏み出せない我々です。

子猫たちもずいぶん大きくなり、運動能力が格段に上がってきました。走るスピードも、相当なものです。

こうなってくると、ママについてぞろぞろ全員で移動という感じではなくなり、個々の意志が強くなってきたのを感じます。

食事のときに、全員揃わない日が増えてきました。

ああ、今が捕獲のタイミングだ。というか、今が、全員を一網打尽にする最後のチャンスだ。

今を逃すと、子猫たちがそれぞれ好き放題に活動するようになってしまう。

よし、捕獲器をセットしよう。

実を言うと、捕獲器自体は、クリップで入り口を留め、中に猫が入っても閉まらないようにして、彼らの餌場の隅っこにずっと置いてありました。

中に入って遊んでも大丈夫だよ、これは玩具だよ、という性格の悪い騙しです。

実際、子猫たちは無邪気に中に入って遊んだり、奥のほうに潜ませておいたおやつを見つけて大喜びで食べたりしていました。

子猫たちは、いける気がします。

でもねえ。

正直なところ、私は、とびちゃんはそう簡単に捕獲器に入らないと確信していました。

最初に「まずはママ猫から捕獲を」と指示されていましたが、「とびちゃんを真っ先に捕獲とか、絶対無理やろ」と、かなり初期段階から思っていたのです。

先方が怖くて言えなかっただけで。

案の定、捕獲を開始して最初に捕まったのは、身体が大きく気が優しく、警戒心が強いくせにちょっと抜けている長男(私が勝手に決めました)の甘利あまり兄さんでした。

「子猫が入っていました」と報告したときの、地域猫活動団体の方のガッカリぶりはなかなかのものでした。

まことに遺憾の意。

「子猫が捕まったのを見たら、母猫は絶対捕獲器に入りませんよ!」とけっこうなテンションで怒られました。

たぶん、それは世間でありがちな、不幸な捕獲失敗パターンなのでしょう。

とはいえ、たとえ子猫が捕まるところを見ていなくても、とびちゃんは真っ先に捕獲器に入るような女子ではないのです。遊びで設置していたときも、絶対に中に入ろうとはしなかったですもの。

なので、叱られながら、私は突如、開き直りました。

知らん。そっちの理屈や都合なんか知らん。

私は、私にできることしかできんのよ。当たり前やけど。


何時間もただ捕獲器を眺めて過ごすわけにはいかないので、たまさか入った猫をそちらに引き渡すことしかできません。

だけど、とびちゃん捕獲を諦めることもしません。

万が一、今は駄目でも、いつか必ずチャンスは来る。どうせ私が捕まえる係なのだから、どれだけ時間がかかっても、チャンスを見てトライし続ける。

絶対に、一家を全員、捕獲するので心配しないでください。


いきなりすわった目でそんなことを言われたら、そりゃ先方だって戸惑いますよね。

幸いにも、そのときは動物愛護協会の方が割って入ってくれました。

「こうなったら、子猫だろうと親猫だろうと、捕まえたはしから手術していきましょう。それしかないじゃない。捕まえた子猫をこのままリリースしたら、二度と捕まえられなくなるわよ」と。

そして、私にはこう言ってくれました。

「順番は気にしないで、どんどん捕まえていって。十分に待ったおかげで、子猫たちももう手術できる大きさだから」

ありがたい……!

無論、捕獲するのが私であることに変わりはないのですが、「順番は気にするな」と言われただけで、ずいぶん気が楽です。

とはいえ、5匹の子猫のうちたとえ1匹でも、私に捕獲され、どこかへ連れ去られたことを、とびちゃんがどう思うだろうか。

甘利兄さんを諦め、残りの4匹を連れて姿を消したりしないだろうか。

最初の捕獲成功の当日、夕方に他の子猫たちと姿を見せてくれたとびちゃんに、私がどれだけ安堵したことか。

とはいえ、とびちゃんの警戒心は、出会った頃くらいまで戻ってしまっています。

餌を一口食べるごとにこちらを睨むとびちゃんに、私は離れた場所に座って静かに伝えました。


明日の朝、甘利兄さんは戻ってくる。

痛い思いをさせるし、耳にちっちゃい切り込みも入ってしまうけど、その切り込みが、この街では、不妊・去勢手術を済ませた地域猫の証になるんだ。

地域猫だって決して安全なわけじゃないし、生態系への影響だって考えなきゃいけない。

それでも、ただの野良猫よりは、ご近所さんの目も少しは温かくなると思う。

子猫たちは、みんなママに返す。約束する。

そして、ママにも、いつか同じ手術を受けてほしい。

まずは、ママと子猫たちが少しでも生きやすい環境をつくりたい。

ゆくゆくは全員、家に入ってほしいけど、一足飛びに行かないことは一家と付き合ってよくわかった。

ゆっくりいこう。手術だけは譲れないけど、その後は、みんなのペースでいいから。

どこまでも、付き合うから。


とびちゃんに、どこまで伝わったのかはわかりません。

ですが、翌朝、無事に戻ってきた甘利兄さんを出迎えたとびちゃんは本当に嬉しそうで。

最低限の約束を守った私を、少しくらいは信用してくれたのでしょうか。


それから2週間ほどかけて、残り4匹の子猫を(何故か何度も捕獲器に入ってしまう福本ふくもとと波多野に手を焼きつつも)捕獲し、動物愛護協会へ引き渡し、手術を受けさせ、リリースする……その一連の仕事を完了するまで、とびちゃんは変わりなく、実家に通い続けてくれました。

ここからは、とびちゃんの捕獲、そして子猫たちとのさらに親密な関係構築をやり遂げねばなりません。

夏の日差しを浴びつつ、私の新しい挑戦が始まろうとしていました。

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