猫たちとの出会い ⑤
その日から、朝夕に猫たちの食事を用意して待つのが、私の日課となりました。
5匹の子猫たちの見分けも、日が経つうちにできるようになり、仮の名前もつけました。
何しろ当初の私はまだ楽観的で、とびちゃんと子猫たちが、食うに困らなくなれば態度を軟化させるだろうし、保護して飼い主を探すことができるだろうと思っていたのです。
だからこその、仮の名前。
とはいえ、番号や記号ではあまりにも味気ない。
そうだ、今読んでいる、「ジョーカー・ゲーム」から採ろう!
私はそう思いつきました。
柳広司先生の作品である「ジョーカー・ゲーム」では、スパイ養成学校「D機関」で特殊な訓練を受けた精鋭たちが活躍します。
彼らは皆スパイなので、作中でも本名は一切明かされず、皆、仮名で登場するのです。
ちょうどその頃、「ジョーカー・ゲーム」がアニメ化され、キャラクターたちに愛着が増していたときでもありました。
彼らの仮名を、子猫たちの仮の名前に。
いいんじゃない? けっこういけてるんじゃない?
ひとりで盛り上がり、私は子猫たちに、それぞれスパイの仮名をお借りして命名しました。
いちばん身体が大きくて、おっとりしていて、みんなのまとめ役のキジトラ男子は、
いちばん欠席率が高く、お腹がいっぱいになると先に姿を消してしまう自由なハチワレ女子は、
ぬぼーっとしていてそのくせ臆病で、愛嬌がある、驚くほど綺麗な顔立ちのシャムっぽい男子は、
福本に似ているけれど、もっと毛並がもふっとしていて、警戒心がとても強いシャムっぽい女子は、
いちばん身体が小さくて、でもいちばん好奇心が強く、ママを独り占めする時間もいちばん長い甘えん坊の白っぽい女子は、
名付けたものの、私とてそれぞれの名前を間違えず記憶するには数日かかり、作品を知らない他の家族は、大混乱しました。そりゃそうだ。
実家の台所には、今も、彼らの毛並の特徴と名前を書き込んだ一覧表が貼ってあります。
彼らをまとめて呼ぶときは、「D機関」ならぬ「N機関」と言うようにもなりました。
ほら、何しろ「NEKO」だけに。
何故、「CAT」で「C機関」にしなかったのか、今となってはよくわかりません。
たぶん、自分が思っている以上に疲れていたんだろうな、と推察します。
とびちゃんと5匹の子猫たちは、全員で来るときもあり、何匹か欠けているときもあり、まったく来ないときもあり。
時刻も、朝ならば午前5時から8時過ぎまで、夕方は午後4時から7時過ぎまで、てんでバラバラです。
まあこれは、猫は時計を持っていないので仕方がない。
人間が外食に行くお店の営業時間を考えれば、妥当な幅かもしれません。
でも、待つ身には正直、つらい時間でした。
下手をすると、1日のうち、最長6時間を猫を待つために費やさねばならないのです。
無論、ぼんやり待つことが許される身の上ではありません。
家の中で、すぐ食事を出せるように準備万端整え、しかも、庭の東屋、裏庭、玄関先と、3箇所もできてしまった「立ち寄り処」を巡回しながら、仕事もしなくては。
非常勤講師を務める学校の、講義の仕込み。
あるいは、小説原稿の執筆。
教科書やノートPCを持って、家の中をうろつきながら働くのです。
あからさまに無理がある……!
今ならば、ペット見守り用の小さなカメラを3箇所に据え、それこそPCやスマートフォンでチェックしながら悠々と待つところなのに、当時はそんな便利なガジェットはなく。あったとしても、気軽に3つも買えるようなお値段ではありませんでした。
スマートフォンも今ほどはマルチタスクでなく……。そう思うと、技術ってとんでもないスピードで進化していますね。ありがたいなあ。
いや、それはともかく。
当時の私は、ひたすら10分おきに3箇所を巡回しながら、実家のテーブルで「気が散る~まったく集中できない~!」と嘆きつつもどうにか仕事をして、猫たちを待っていました。
そのうち、朝は東屋、夕方は裏庭、雨の日は玄関先の屋根の下……とパターンがだいぶ絞れてきたので、アタリをつけた場所で待ちながら、30分ごとに他の場所も見回るパターンに変わりましたが、大変なことに変わりはなく。
初夏だったので、蚊取り線香にはずいぶんお世話になりました。
それでも来てくれたら安堵感でいっぱいになれるのですが、待ち続けた挙げ句、とうとう来なくて諦めるときのガッカリ感と不安ときたら。
あるいは、子猫たちのうち、誰かが来なかったときの、何かあったのだろうかというオロオロする気持ち。
何しろ、山の中ですから、子猫たちにもママのとびちゃんにも、それなりの危険があります。
交通量は少ないとはいえ、それゆえにとんでもないスピードで車を走らせる住人も中にはいますし、野犬も少なくなったとはいえゼロではないし、アライグマは年々増えています。小柄なとびちゃん1匹で、5匹のまだ弱々しい子猫たちを守るのは大変なことでしょう。
それに……何より、人が。
猫嫌いな人、あるいはお庭や畑を丹精している人たちにとっては、野良猫は脅威であり、憎悪の対象でもあります。それはもう、どうしようもない。
彼らがとびちゃんたちを排除したいと思うのも理解できます。
もしかしたら、近所をうろつくうち、捕獲され、保健所に引き渡されてしまうかもしれない。
そうならないよう、「ここで必ずごはんが食べられる、他の場所へ行かなくていい」と理解して、実家の庭に定住してくれるようにと、余計に頑張っていたところがあるのですが……人間の勝手な思いが、猫に通じるはずもありません。
私から彼らに積極的に声をかけ、距離を少しずつでも詰めていこうと毎日奮闘するものの、熱意は空振り続き。猫たちの警戒心が緩む気配はありませんでした。
出されたごはんは疑いなく食べるくせに(毒を盛られる可能性をちょっとは考えたまえよ!)、私には頑として接近を許してくれないのです。
座った姿勢から少し腰を浮かせた瞬間、飛び出してきて全身で威嚇してくるとびちゃんの姿には、毎度、溜め息が出ました。
おまけに、子猫たちが日に日に大きく活発になっていき、行動範囲が広がり、実家の周囲の道路や空き地で遊んでいる姿を目撃するようになってきました。
やばい。これはとてもまずい。
事故も心配だけれど、これでは人目についてしまう。どうしよう。どうしようもないな。でもどうしよう。
ひとりでグルグル気を揉んでいたある日の昼間。
仕事場のインターホンが鳴りました。
宅配便かな、とハンコを手に出た私が見たのは、何だかものものしい大人の一群。
5人くらいいたでしょうか。その中のおひとりには、見覚えがあります。
坂の少し上のほうにお住まいのご近所さん、のはず。
とりあえず挨拶をしながら門扉を開けた私に、そのご近所さん(実は当時の自治会長さんでした)が、開口一番、こう言いました。
「あのー、お宅のご実家のほうにね、子猫が出入りしてるって話があってね」
ほらー! キター! ご近所さん、殴り込みに来てしもたやん!
来てます、毎日ごはんのお世話はしています。だけどまったく懐いていません……などと言っても、信じてくれないだろうなあ。
どうしよう。
ひたすら狼狽し、返答に困る私。
でも実際のところ、彼らは殴り込みに来たわけではありませんでした。ここから話は、驚きのスピードで展開していくことになるのです……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます