猫たちとの出会い ④

その日の午後四時過ぎ。

執筆を一時中断して、てけてけと道路を渡って実家に帰ってきた私に、ちょうどトイレから出て来た母が、「とびちゃん、裏庭に来てるんじゃない? 窓のすりガラス越しに、黒いのが見えた」と声を掛けてきました。

「子猫たちも一緒?」

「そこまではわかんないわよ」

とびちゃんたちのことはお前に任せたと言わんばかりに、母はスタスタと立ち去ってしまいます。

ええー。投げっ放しにするの、早すぎない?

いや、それよりも。

とびちゃんと子猫たちの立ち寄り場所、庭の東屋だけじゃなくて、裏庭って可能性もあるの!?

裏庭といっても、半地下の車庫の天井にコンクリートを打ち、植え込みで囲った、3メートル四方ほどの殺風景なスペースです。

まあ、ご飯を出す分には勝手口から近くて助かりますが、来る可能性がある場所が複数になると、待つ身としてはちょっと大変だなあ。

そう思いながら勝手口の扉を開け、伸び上がって裏庭を見たら、なるほど、コンクリートの上にとびちゃんが長々と寝そべり、子猫たちに授乳中でした。

むむ、子猫たち、ママのおっぱいを前菜にして、メインをキャットフードにする心づもりですか。成長期だもんね! その心意気やよし!

何ならデザートは猫ミルクにしましょうか。さっき届いたばっかりよ。

私はさっそく、今度は匹数分の六つの小鉢にウエットフードを盛りつけ、裏庭へ運びました。

怖がらせないよう、足音を忍ばせてゆっくり近づいたにもかかわらず、夢中でママのおっぱいに吸い付いていたはずの子猫たち、蜘蛛の子を散らすように植え込みへ逃げていきます。

とびちゃんそっくりの白黒ハチワレの子など、植え込みの向こうにあるフェンスをよじ登り、隣の空き地へ避難しようとしているではありませんか。

もう、ちょっとー。手のひらに載るようなちびっ子のくせに、警戒心強すぎでは!?

私が細いブリッジを通って裏庭へ到着したときには、もうそこにいるのはとびちゃんだけでした。

しかも、こちらを向いておすわりの姿勢、声さえ出さないものの、牙を剥き出して、警戒どころか臨戦態勢です。

我が子になんかしようとしたら、殺す。

大袈裟でなく、そんな凄まじい気迫が、小柄な、痩せた身体から全方位に放散されています。母は強し。

「こんにちは~。朝言ったことを覚えていてくれて、ありがとね」

私は裏庭のコンクリート囲いの縁に膝をついて、まずはとびちゃんと目線を合わせ、挨拶とお礼を言いました。

ついでに、インターネットで仕入れた知識、「笑顔でゆっくりと目を閉じ、敵意がないことを示す」動作もやってみます。

目指すは、亡きムツゴロウさんが初対面の動物たちに向けていた、あのちょっとカーミットフロッグみたいな笑顔。

どうだろう。害を及ぼすつもりがないことだけでも、理解してもらえないだろうか。

ゆっくりと目を開けてみると、とびちゃんは「そんな顔したって、だまされるもんか!」みたいな怖い顔で、でもお口は閉じて、私を相変わらず睨みつけています。

金色のおめめがとっても綺麗ですね。

言うてる場合か。朝から少しも関係性が改善されていないぞ。

でも、たとえこの警戒ぶりであろうと、とびちゃんは、私がとびちゃんたち親子に危害を加えないことを本当は理解しているはず。でなければ、朝に続いて夕方まで、大事な子供たちを連れてくるはずがありません。

細い細い糸でも、「毎日の食事」という、たぐり寄せることができるご縁があることをありがたく思いながら、私はそろーっと立ち上がり、食器を載せたトレイを手に、裏庭の中央に向かって歩き出しました。

シャーッと一声鳴いて、とびちゃんも撤退!

それは予想の範囲内なので、私も特に反応せず、静かにコンクリートの上に食器を並べ始めます。

「ごはんだよー。おいしいよー。ひとりに一皿、あるからね」

作家ならば「1匹」と言え、とお叱りを受けそうですが、何となく「ひとり、ふたり」と言ってしまうのは、動物を家族として迎えた経験がある人間の癖でしょうか。

ウエットフードを盛りつけた小鉢を一列に並べ、その真ん中あたりに猫ミルクを入れた大きめの平鉢を置いて、私はまた静かに後ずさりしました。

そのまま家に入ってしまっては、いつになっても猫たちとの絆が生まれそうにないので、敢えて、裏庭の縁の低い立ち上がり部分に腰を下ろします。

猫たちとの距離は、2メートル弱といったところ。今朝の感じでは、そのくらいが、とびちゃんが考えるギリギリの安全距離とみました。

さあ、どうだろう。

しばらくは、何の動きもありませんでした。

猫の親子は、植え込みの中に潜み、じっと息を殺して、私が立ち去るのを待っているようです。

そうはいかないんでーす。そこだけは譲れないんでーす。

私は心の中で、猫たちに語りかけます。

ただ、私がジロジロと猫たちを見ていては、彼らもアクションを起こしにくいでしょう。

オーケイ、君たちが出てきやすいように、こうしましょう。

私は持参のスマートフォンの電源を入れ、ソシャゲを立ち上げてプレイし始めました。

猫たちにはさほど興味がない、でも食事を出した以上、カラスやアライグマが寄ってこないよう、この場を守るために留まっているんだよ~。だから、早く食べてね!

そんな意思表示が正確に理解されたかどうかは疑わしいですが、少なくとも、私が他のことに熱中し始めたのは、猫たちにとっては安心できる材料の一つとなったようです。

躊躇ためらいながら、何度も植え込みに引き返しながら、とうとう食器の前までヨチヨチした足取りでやってきたのは、やはりいちばん小さな白い子猫でした。

ドキッとするようなキトゥンブルーの目で、私とママを交互に見てから、白い子猫は、ついに小鉢のフードに口をつけました。

チッチッチッ、という、まずはスープを舐める音が小さく響きます。

私、それを気づかれない程度にチラ見で確かめ、心の中でガッツポーズ!

美味しそうに食べる様子にたまらなくなったのか、他の子猫たちも、植え込みのあちこちからそろそろと出てきました。

匹数分の食器を用意したところで、先に誰かが食べている器が人気になるようで、小さな器に、2匹、3匹がこれまた小さな頭を突っ込んでいるところは、とてつもなく可愛いものです。

もっとガッツリ見たい。写真もバシバシ撮りたい。でも、今日のところは我慢、我慢。

最後に、フェンスの外まで逃げていた白黒ハチワレの子も戻ってきて、子猫たち、みんなでガツガツとウエットフードを平らげていきます。頼もしい、健やかな食欲です。

ママのとびちゃんも、いかにもしぶしぶ植え込みから出てきて、子猫たちの背後にゴロリと横たわりました。

おお、食べているときは完全に無防備になってしまう子供たちの背中を守っている。

あ、でも。

子供たちと私の間に割り込むのではないのだわ。

実は私のことは、とびちゃんの中でさほど大きな脅威ではないのだ……と感じて嬉しくなりながらも、私が少し手を動かすと、子猫たちはビクッとして逃げようとし、とびちゃんはたちまち仁王立ち……という現状。

なかなか厳しい~! でも、望みはある。きっといつか、仲良くなれる。

そんな根拠のない自信を胸に、私はスマートフォンのゲーム画面を眺め、子猫たちの舌鼓に耳を傾け続けたのでした……。

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