猫たちとの出会い ③
しばらく実家の庭で穏やかに休息したとびちゃんは、まるで「さあ、おうちへ帰りますよ」と言わんばかりに、子猫たちを引き連れて去っていきました。
どこへ?
これが、さっぱりわからないのです。
何しろ実家は山中の一軒家。隣は空き地で、裏手の山は国有地です。
実家の柵を越え、空き地の生い茂った草木の中に潜ってしまえば、もう行方を追うことはできません。
さて、どうしたものか。
私は眠い目を擦りながら寝室に戻り、ちょっと訝しげな顔つきをしている私の猫、ちびたに「大丈夫だよ」と声をかけてから、ベッドの上で考え込みました。
まずは、とびちゃんが安心して子育てできる環境を整えなくては。
衣食住でいえば、「衣」は、猫なので、とりあえず気にしなくてもいいでしょう。
何より大切なのは、「食」です。
遠目での確認ではありますが、子猫たちのサイズからみて、おそらくとびちゃんにお乳をもらいつつ、本格的に離乳食を食べ始める頃でしょう。
だからこそ、とびちゃんは「あの人間たちにごはんを提供させましょう」と、子連れで実家を訪れたに違いありません。
ならば、とびちゃんが毎日、実家の庭に子猫たちを連れてくるようになってほしい。
そしてできるなら、母子揃って実家の庭で暮らすようになり、ゆくゆくは家に入ってほしい。
ただ残念ながら、「住」については、実家でとびちゃん一家を養うことはできません。
何故なら、実家にはちびたと、父が可愛がっている白い猫、しろにゃんがいるからです。
2匹とも独占欲が強く、典型的な内弁慶で、「自分以外の猫は必要ない」と思っているタイプ。
とても、とびちゃん一家と仲良く暮らせるとは思えません。
幸いなことに、ちびたが実家で暮らすことにこだわったせいで、仕事場のほうはがら空き!
文鳥とイモリが仕事部屋で暮らしていますが、扉にカギをつけ、猫の侵入を徹底的に防げば、棲み分けは可能なはずです。
とびちゃん一家を仕事場に迎え、子猫たちについては、もらい主が見つかった子たちは手放せばいいし、残った子たちは、うちの子にしてしまえばいい。
とびちゃんは……うちの子になってくれるかな?
いや、なってくれるように努力しよう!
私は、そんな風にこれからの方針を立て、ちょっと安心して、布団に潜り込みました。
それが実に虫のいい、あまりに楽観的な計画であることを悟ったのは、翌朝のことです。
当時、私は夜通し仕事場で原稿を書き、早朝、実家に戻ってちびたと昼まで眠るという生活を送っていました。
しかし、これからしばらくは、寝る前に猫たちに朝ごはんを食べさせなくてはなりません。
とびちゃんと子猫たちが来るかどうかわからなくても、来たときに食事が用意されていなければ、とびちゃんはガッカリして、実家に来るのをやめてしまうでしょう。
子連れで近所をうろつけば、猫嫌いな住人によからぬ扱いを受ける可能性もあります。
まず、この家で食事をする習慣をつけさせなくては。
午前5時に執筆を切り上げた私は、実家に戻り、5つの器にキャットフードを盛り分けて庭に運びました。
向かったのは、小さな東屋です。
そこはかつて、両親が客人をバーベキューでもてなすために作った場所で、床はタイル敷き、小さなシンクと、造りつけのベンチとテーブルがあって、猫の世話をするにも、私が猫を待つにも、具合のいい場所でした。
もちろん屋根があるので、そこなら雨の日も、猫たちに雨宿りをさせることができます。
彼らがここに住みたい、あるいはここで休みたいと思ってくれればいいなと思って、急ごしらえのダンボールハウスも、テーブルの下に用意しました。
よーし、いつでもばっちこーい。
いや、本当に来てくれるかな。
期待と不安に胸を騒がせながら、私は肌寒い早朝の山の空気に震え、ベンチに座ってひたすら待ちました。
一応、仕事をしようとノートパソコンを立ち上げてみましたが、猫たちの来訪を見逃すまいと、画面を見る余裕などありません。
キョロキョロ、ソワソワしながら待つこと1時間あまり。
視界の端に、白いものがよぎった気がしました。
「ん?」
そちらへ首を巡らせると……来ました! 猫たちです。やっと来てくれました!
しかも、先頭にいるのは、とびちゃんではありませんでした。
子猫です。
真っ白でふわふわな、とても小さな子猫。
うわあ、かわいい……! まるで妖精のように愛らしい子です。
その子を追いかけるように、他の子猫たちもやってきます。
そして、子猫たちの後から、最後にとびちゃんが姿を現しました。
おお……! みんな元気そう! よかった……あ、あれっ?
彼らが今朝も来てくれたことに安堵したのも束の間、私はギョッとしました。
昨日の朝、私は4匹の子猫を目視確認しました。
でも、今、こちらへゆっくりと向かって来る子猫は……ひー、ふー、みー、よー……。
5匹いるやん! えっ、なんで?
いちばん身体の大きな、キジトラ白の子。
白黒ハチワレのほっそりした子。
さっき最初に見つけた、あからさまに他の子より小さな白い子。
それから……ああ、なるほど!
シャム猫っぽい毛並みの子が、2匹いるんだ!
1匹は、額のハチワレ模様がシャープな真ん中分け。もう1匹は、ちょっと山頂が広めの富士額。
そっくりなので咄嗟に見分けがつかず、昨日の私は1匹だと思い込んでしまったようです。
東屋のタイルの上に並べたご飯皿は、5枚。
「1枚足りない~!」
どこぞの怪談のような心の声を上げつつも、私はベンチの端っこに腰を下ろしたまま、動くことができませんでした。
ゆっくり、蛇行しながら近づいてくる猫たちの顔には、極度の緊張が
あれ。
とびちゃんだけでなく、手のひらに載るほど小さな子猫たちまで、昨日よりさらにバリバリに私を警戒しているのがわかります。
ちょっと待って。
子猫って、もっと天真爛漫な生き物なのでは?
私が軽く手を動かしただけで、子猫たちは歩みを止め、逃げようとします。
これは……参ったな。
とびちゃんはともかく、子猫たちは容易く手懐けられると思っていた私の甘い考えは、この時点で木っ端微塵に砕け散りました。
とびちゃんは、とても教育熱心なママさんなのでしょう。
既に子猫たちに、「人間は危険な生き物だから、決して近づきすぎないように!」と教え込んでいた模様。
ただ幸いなことに、ご飯皿と私の距離は、かろうじてとびちゃんの許容範囲だったようです。
子猫たちは、おのおのママの顔を見て「いい?」というような仕草をしてから、それでも躊躇いつつお皿に近づき、怖々食事を始めました。
ちっちっちっ、と小さな舌でウエットフードを舐める音が5匹分重なります。
かわいい。
もっと近くて見守りたいけれど、ここは我慢して、とにかく「ごはんを安心して食べられる場所」だと理解してもらわなくては。私は呼吸すら最小限に減らし、地蔵のように固まっていました。
一方、子猫たちに授乳してお腹がぺこぺこなはずのとびちゃんは、やはり我が子の背中を守るように少し離れた場所に控え、四方八方に鋭い視線を走らせています。
ママの愛情を体現するようなその健気な姿に、胸がじんわりします。
やがて子猫たちは満腹になり、庭で走り回って遊び始めました。
スフィンクスのポーズで身構えていたとびちゃんに、私は子猫たちの食べ残しをすべてまとめ、たっぷりした量の一皿を供しました。
「食べ残しでごめんね、次はちゃんと人数分用意するからね」
そう言いながらとびちゃんの近くにお皿を置き、そっと元の場所に戻ります。
ガツガツと食べるその間にも、子猫たちの居場所をしょっちゅう確認しています。
ママは、本当に大変そう。
「ねえ、とびちゃん。夕方もおいで。朝ごはんと晩ごはんを毎日用意するから」
当然、返事などなく、冷ややかな金色の目が、ジロリと私を見るだけです。
でも、何となく、言葉が通じている気がしました。
「きっと、来てね。来るまで待ってる」
願いを込めてそう伝え、せめてとびちゃんが少しでも安心して食事ができるようにと、私はノートパソコンに向かい、仕事をするふりを始めたのでした……。
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