第5話 願う

「…おみつは、娘たちとわしを置いて行きおった。わしを幸せにして…その幸せは、おみつがいたからあったものじゃったのに。そんなわしの気も知らず、毎年あの桜はそれはそれは、きれいな花を咲かせる。」


すっかり冷めてしまったお茶を小次郎爺さんはすすった。


「だから嫌いなんじゃ。わしはただ、娘の成長を見守って、いつもの暮らしを続けて、一緒に歳を重ねていきたかった。それを勝手に『きれいな花を咲かせますから』と言っていなくなって…。」


外の桜の方と反対の方へ顔を向け、小次郎爺さんは吐き捨てるように言った。


「わしはきれいな花なんぞ、いらん。」


弥助も冷めたお茶をすすった。


「なんで…おいらにしてくれたんだ、この話。」

「年寄りの気まぐれじゃ。誰かに自分の話を聞いてもらいたい時があるものよ。」


小次郎爺さんは乾いた笑いと共にそう言った後、胡坐をかいている足を組み替えて弥助の目を見た。


「あとな…お前さっき『この桜が、誰かに会いたいって願っているかのような。でもそれが叶わないって思っているかのような。』って言ったじゃろ。わしはその言葉に少し…救われた。もしかしたら、おみつもわしと同じように感じているかもしれんと思えての…。」


弥助はお茶を飲み干し、礼を言って家に帰った。話し終わった後、心なしか小次郎爺さんの顔は、はじめより穏やかだったと弥助は思い返した。


 弥助はその後も時折小次郎爺さんの家を訪ねたが、間が悪かったのか居留守を使われていたのか、爺さんに会うことはなかった。桜は相変わらず、切ない空気を湛えてそこにあった。





 何年後かの春、小次郎爺さんが寝たきりだと噂に聞き弥助は見舞いに行った。小次郎爺さんの家の桜は満開だった。


「ごめんくださーい!」


返事はなかったが、弥助は構わず家に上がった。布団が敷かれており、そこに小次郎爺さんは寝ていた。弥助がやってきた音で、小次郎爺さんは目を覚ました。


「おお…いつかの、変わり者の小僧か。」


弥助のことを覚えていた。弥助は小僧と言われるような歳ではなかったが、爺さんの弱々しい声に反論する気が起きず、頷いた。爺さんは起き上がろうとしたようだが、力が入らないのか諦めて寝たまま弥助に顔を向けて言った。


「そこの…障子を開けてくれんか。」


弥助は言われた通り、障子を大きく開けた。


「わぁ…きれいだ。」


縁側の向こうにちょうど、満開の桜が見える。暗い室内から見る桜は、春の日差しに輝いてこの世の物とは思えないほどの美しさだ。


「ああ…やはり、嫌いじゃよ…。」


布団の中から桜を眺めた爺さんは目を細め、消えるような声でそう言った。


そして、それきり、もう動かなかった。爺さんはあの世へ旅立った。


弥助はそっと爺さんの横にひざを折り、爺さんの瞼を閉じさせた。静かに手を合わせて、弥助は目を閉じた。


目を開けた時、弥助は部屋に桜の花びらが何枚も吹き込んでいるのを見た。


ばっと振り向き、弥助は目を丸くした。信じられない光景だった。たった今まで満開だった桜の花が、一斉に散っていく。


花びらは風に煽られ舞い上がり飛んで行く。


ひらひらと。

ひらひらと。


小次郎爺さんの後を追って、桜の花が散っていく。


はらはらと。

はらはらと。


弥助はただただ立ち尽くし、その光景を眺めていた。





 その時以来、小次郎爺さんの家の桜は花を咲かせることはなかった。村人たちは「寿命かねぇ。」と残念がったが、弥助は小次郎爺さんとあの世で幸せに暮らしてくれているといい、と願った。




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その時まで 鈴木まる @suzuki_maru

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