百合子さんのお茶

髙 文緒

第1話

 百合子さんが施設に入ってから、百合子さんの家の敷地の角にあるごみ捨て場が荒れやすくなった。

 先週近くで火が出たばかりで、放火の疑いもまだ残っている。晶子しょうこも同じごみ捨て場を使っているので、通るたびになんとなく確認するようになった。

 荒れていたら家に戻り、玄関に置いてある掃除セットと軍手を取って、片付けることにしている。

 手書きの「ごみ捨て場をきれいに使いましょう」の貼り紙の効果は薄そうだった。やはりこの敷地を提供している人間が貼らないと効力が薄いものなのかしら、滲んだ字を眺めながら思う。

 片付ける晶子の後ろ、百合子さんと晶子の家のある横道から斜めに道路に飛び出していく自転車がある。学生らしい男性が乗っていて、この春から見かけるようになった。横道から表の通りに接する位置にある百合子さんの家に隣接し、晶子の家の向かいの敷地にあたる場所に、百合子さんが大家になっているアパートがある。そこの住民かもしれない。

 ああいう手合がごみ捨て場のルールを破っているのではないか、と疑っていて、なんで百合子さんのアパートの住民の尻拭いを自分がしているのか納得のいかない気持ちがある。


「でも変なおじさんが路端に座りこんだりしててね、目が合っちゃったことがあるの。あれ放火魔じゃないかと思うと、ここは人が管理してますよってポーズも必要だしね、警察には届けないけどねただ思っただけだからね、それにしても人が居ない家っていうのはあまり防犯上良くないわよ。まあ百合子さんも認知症だっていうし、ヨリちゃんが近くに居るっていっても仕事してるし、他の子は遠いしね、施設に入るお金があるお家で良かったわよ。百合子さんもああ見えて元はなんもしたくない人だしね、茶飲み話に付き合ってくれる人も居るだろうからいいのかもしれないけどね。なにもう切っちゃうの、またね、うどんばっかりじゃだめだよ、高くったって野菜も摂って、はいはい、はいまたね」


 他県に勤める息子が、昼休みにこまめに連絡してきてくれるので、晶子はなんでも思いついたことを話す。孤独な老人のひとり暮らしではないのだという自負がある。年下のいとこも同じ横道のつきあたり、晶子の隣に住んでいて交流もあるし、息子が旅行に連れて行ってくれるときなどは、庭の花に水をやったりしてもくれている。


 百合子さんも親戚ではある。というか晶子の義理の姉であり、本家の嫁にあたるのだが、普段から交流らしい交流があったかと言えばそうでもない。

 百合子さんが家にいた時分には、買い物帰りに家に続く横道に入ったところで呼び止められて、近所の人の噂話や愚痴を一方的に聞かされることが多く、待ち構える百合子さんを見るとうんざりしたものだ。

 なぜ横道で待ち構えることが出来るのかというと、リビングからずっと家の前の道を眺めているからである。

 晶子がスーパーに向かうのをみとめ、その時にちょうど話したいことがあれば、そろそろ帰るだろうという頃合いを見計らってまたリビングから外を眺める。どれだけ重そうな袋を下げていても百合子さんは気にしない。

「飲み物重そうね」とか「雨のなか大変ね」とか言うものの、続けて出てくるのは労りではなく百合子さんが話したい話題だ。もちろん話を手短に済まそうという気もない。晶子がそぞろに聞いていると、露骨に不機嫌になり、自分はヨリ子が結婚しても近くに住んでくれているし、足も悪いものだから、買い物などは代わりに行ってくれて助かるなどと言い出すので、そのあたりで晶子は「冷凍のものがあるので」「犬が留守番しているので」など理由をつけて切り上げるのが常だった。


「今日も百合子さんにつかまっちゃって、あの人は癖が強いからご近所のお友達が居るっていっても、いつもその人の愚痴ばっかりでくだらないわけ。『じゃあその人に直接言ったらどうですか』って言いたくなっちゃうけど、さすがにそれはねえ。名古屋はもう暑いの? 週末は帰るの? キャンプ? いつものお友達? お友達もいいけど、あなた未婚の友達とばかり遊んでいて、彼女とか出来るの? ああごめんなさい。そんなに声あげて怒ったら変に思われるでしょ。車だから大丈夫って言ってもあなた声大きいんだから。はい、分かりました。またね。そんなに苛々しないの。はいはい。キャンプも気をつけてね」


 買ったものを片付けて、犬をゲージから出して少し遊ばせて落ち着いたあたりで、息子にこちらから電話をかけてみれば出てくるのは百合子さんの愚痴で、そのせいで息子には怒られるし、まったく百合子さんと話した日はおもしろくないことが続く。全部百合子さんのせいだ。普通に喋りたいならもっと普段から交流をして、例えばお茶飲みに誘うとかしてくれたらいいのだ、と考えたところで、誘われても行きたくないわね、と思い直した。だから百合子さんは孤独なのだ。


 ご近所にお友達が居ようが、結婚した娘が近くに住んで居ようが、親戚同士の自然な交流が出来ないのだから孤独に決まっているのだ。

 と、ソファに座る晶子の隣で丸まっていた犬が、腹をソファのふちにすりつけながらぬるりと下りると、ペットシートを敷いたあたりでぐるぐると周り始める。雄の犬だが、子犬のころからのしつけのたまもので、室内でおしっこをするときは足をあげない。腰を落とした位置から、シートからおしっこがはみ出すかもしれないことが分かり、あわてて駆けつけるも間に合わず、半分くらいが床に漏れた。

 あらあらあら、と言いながらも、赤ん坊の世話をしているような気持ちで床に漏れたおしっこの処理をする。シートを捨てに向かうときに、シートを奪おうと飛びつく犬をいなしながら、蓋付きのバケツに捨てる。

 足の悪い百合子さんと違って、こちらは犬も飼えるほど元気であるし、毎日の散歩も、抜け毛の掃除も、一人で出来るのである。家に居る間に、リビングに腰を落ち着けたまま外を通る人を監視しているだけの生活なんて、つまらないに決まっている。

 足が悪い、というところにも、晶子は同情していない。

 脳梗塞の後遺症で右脚がうまく動かないのだが、入院中もそのあとも、リハビリをちゃんとしてくれないと息子や娘がこぼしているのを聞いた。百合子さんは指導をされるのが大嫌いなのだ。結局そのあとで動かない足代わりにヨリ子が使われているのだから、子どもたちからしたら真面目にリハビリをしない百合子さんは頭の痛い問題だっただろう。


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