第31話 芋虫

 天窓から差す光で蝋燭が不要なほど手術室内は明るくなっていた。


 手術台の上の初老の女の残りの手足が一本、また一本と切断されていくのを、観客席の面々は蒼白な顔で眺めていた。残り三肢の切断面は「血管を縫うのが面倒になった」と焼鏝やきごて焼灼しょうしゃくするという手段が採用された。

 白い煙と共に肉の焼ける臭いが蔓延する手術室オペレーション・シアターの観客にできることといえば、せいぜい男の迷いのないメス捌き、ほんの五回ほどノコギリをひいただけで頑丈な骨を断ち切る技術と腕力を褒め称えるぐらいのものだろう。


Butchering Art肉屋の妙技、まさにその通り。麻酔を用いない手術では、スピードが命。少々手際よく仕上げ過ぎたかな。だがそこが職人のこだわり、仕方がない」


 男は四肢を失い、汚れた包帯でぐるぐる巻きにされた女の肉体を入念に目視確認してから「ふん」と一声、手術台の上から蹴落とした。

 幸いにも切断作業のどこかの段階で気を失っていた女は、流れ落ちる体液を吸収させる目的で床に撒かれたおがくずの上に落下した衝撃で意識を取り戻した。たちまち信じられない激痛と吐き気に襲われるが、両の瞼と唇はピンクの毛糸で縫い閉じられている。それでも本能的に手術台の前に立っている男から遠ざかろうと、すっかり短くなった四肢をくねらすようにして、床を這い進む。まるで、ナメクジが残す粘液のように、軌跡を赤く残しながら。


「片付けておけ」


 メイドが二人がかりで、かつては長身だった老女の体を軽々と持ち上げて連れ去った。


「さて」

 男はメイドが差し出す汚れたタオルのようなもので、まず血塗れの手を拭い、それからゴーグルのレンズを拭いたが、どちらも汚れを広げた以上の効果はなさそうだった。豊かな髪は一つに束ねられていたが、飛び散った肉や骨の欠片がカールした髪のあちこにち付着し埋もれていた。

「考える時間は十分にあったはずだし、考えたくないというのならどんな末路になるかのヒントも与えてやった。おれはフェアプレイを重んじる男だ。ジェントルマンだからな」


 シアターの入口がにわかに騒々しくなった。


「やめてよ、放して」

 金切声を上げているのは、プリンセスだ。小さな体をメイド二人に頭の上に抱え上げられ、手足をバタバタさせながら運びこまれた少女は、先の犠牲者の体液や肉片にまみれた手術台の上に半ば放り出されて背中から落下した。


「痛い!」


 幼子は思わず硬い台の上で手足を縮こまらせたが、四方から伸びたメイドの手が彼女の四肢を押さえ付けた。


「プリンセス!」

「アビー! 助けて!」


 客席から立ち上がりかけたアビーの肩を赤毛の女が有無を言わさぬ力で押さえ付けた。無言で小さく首を横に振る赤毛の険しい顔をしばらく見つめてから、アビーは自身の両手の中に顔をうずめた。

「誰にも、どうにもできはしない」ジェーンがそっと呟いた。


「『最後に生き残った一人が助かる』だと。一体何を考えていたのかな、おチビちゃんは。お陰でおれの崇高な実験が邪魔された」

 男は、暴れる少女の上にかがみこみ、怯える顔を覗き込んだ。

「うえぅ、なに、顔にくっつけてんの。この台、固いしべとべとしてる。いやな臭い。助けて、アビー、助けて、お願い。わたしいい子になるから、お願い、助けてえええ!」


 アビーは耳を塞いで子供がダダをこねるみたいに首を横に振っていたが、堪えきれなくなって勢いよく立ち上がった。


「お願い、その子は助けてあげて」

「おっと。美しい犠牲ってやつか。こいつの分までわたしが苦しみます、ってか?」

「どのみち苦しんで死ぬんでしょう。大人は仕方がないとしても、そんな子供にいったいどれほどの罪があるっていうの」

「知らない方がいいと思うんだがね」


「わたしは、知りたいわ」静かな呟きは、ジェーンのものだった。彼女は座ったまま、肩を覆うショールを胸の前でぎゅっと握りしめている。


「お前は、そうだろうな。なんでも知りたがる行かず後家」

「あら、ごめんなさい。今のは独り言よ」

「そんなに知りたいか」

「結構よ。あなたには何も望まないことにしたから」


 舌打ちをした男に、ステージまで駆け下りたアビーが詰め寄る。

「わたしは知りたいわ。この子の罪がなんなのか」

「後悔するぞ」

「アビー」プリンセスの大きな目がさらに見開かれ、アビーを凝視していた。それをまっすぐに見つめ返しながら、アビーは「しないわ」と言った。

「ちょっと失礼」

 ジェーンだった。肩にぴっちりと巻き付けたショールを胸の前で握りしめた老女が、アビーの隣、手術台を挟んで男と向き合う位置に立って、少女を見下ろしていた。老女の視線の先が、暴れたためにまくれ上がったワンピースの裾から覗く枝のように細い足であることに気付いたプリンセスはぎょっとして抵抗するのをやめた。


「なに見てるのよ!」

「ジェーン、なんのつもりですか。あなたは、席に戻ってください。ここはわたしが」

 少女の叫び声もアビーの困惑混じりの苛立った声も、ジェーンは無視した。

「この膝――。一体どういうことなのかしら」


「うるさい、ババア。じろじろ見るんじゃねえ。この死にぞこないが」


 これまで一度もその幼い体から発せられたことのない、低くドスの効いた声だった。アビーは呆気に取られてプリンセスの顔を見た。


「ああ、そうね。もちろん、そうよ」ジェーンは独り言のように呟く。

「この膝には確かに、クリームが必要ね」

「うるせえ、クソババア。黙らないと、その舌を千切り取って犬に食わせてやるから」プリンセスは悪霊にとり憑かれたかの如く憤怒の表情で汚い言葉をわめき散らす。首が百八十度回転して完全に後ろ向きになったとしてもおかしくない状況だ。

「ジェーン、探偵ごっこはやめてください。こんな時に」


 アビーに非難され口を開きかけたジェーンの両頬を、手術台の反対側から伸びた長い腕がきつく掴んだ。


「まったく、お前ってやつは」

 男は視界が確保されているのかわからないほど汚れたゴーグル越しに激しい怒りを露わにしていた。

「おいお前。望みを言え。でないと、このババアが何もかも台無しにしてくれるぞ」

 ジェーンの頬を鷲掴みにしたまま、男は手術台の上の少女に言った。少女の怒りが一瞬緩んだ。

「わたし」

 アビーが「ダメよ、それを口にしてはだめ」と制止を試みたときには既に遅かった。


「わたしは、大人の体になってから死にたい」

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