DAY 6

第30話 シアターにようこそ

 アビーに手を引かれたジェーン、そして猟銃を肩に担いだ赤毛の女が三階への階段を上り切った先にある両開きの扉から恐る恐る中に足を踏み入れると、そこはまさしく劇場シアターだった。

 舞台ステージを円形にとり囲む座席は階段状で後方にいくほど高くなり、天井付近まで設えられている。天井には大きな天窓があり、夜がほどけていく薄明りが白々と差し込んでいる。

 ジェーンたちは、最前列付近、すり鉢の底に位置するステージがよく見える座席に案内された。


 ショーはすでに始まっていた。


 ステージ中央には、長方形の作業台。その作業台を挟んでジェーンたちと向き合うように立っているのは、長身のあの男。まるでプロペラ機のパイロットのような時代がかったゴーグルの下は剥き出しだが、飛び散った液体や肉片がこびりついている。胸元から膝までカバーするレザーエプロンにウェリントンブーツという出で立ち。右手に持ち興奮気味に振り回しているのは、厚みがありずっしり重そうな中華包丁だ。


「――考える時間を与える、とおれは言ったんだ。殺し合え、ではなく。一体何を考えているんだ」


 男は苛々と振り上げた包丁の刃を勢いよく作業台に叩きつけた。瀕死の家畜のような細長い悲鳴があがった。作業台――いや手術台と言うべきか――に仰向けに拘束されていた女の右膝のすぐ上辺りが、一刀のもとに骨まで切断され、切り離された部位は宙を飛び、手術台から少し離れたところに置かれたバケツの中に落ちて湿った鈍い音を立てた。切り口を下にして落ちたので、裸足の爪先や踵が飛び出している。

 男は叫び声をあげながら暴れる女の右太腿を左手で押さえていたが、切断面から血が派手に噴き出していた。

「押さえてろ」

 男は助手役のメイドに支持を出すと、計十一本ある動脈や静脈を手際よく結紮けっさつしていくが、その作業中も口はのべつ幕無しに動いている。


「この女を見ろ。なまくらなテーブルナイフやフォークで全身を三十四ヶ所も刺されているが、いまだ死んでいない。三十四回も刺すのは重労働だ。時間もかかる。見栄えが悪い。どう考えても労力に見合わないだろう。出血量もたいしたことがないから失血死に至るのもまだ当分先だ。そうこうしているうちに、傷口が化膿し始める。感染症だ。知ってるか。細菌というものがされる前、外科手術の後にかなりの高確率で発生する院内感染の原因は、腐敗した空気から自然発生すると考えられていた。だから、病院といえども衛生観念なんてものはなく、器具も手術着も前の患者の臓物や血液がこびりついた状態で使いまわされた。麻酔なしであらゆる外科的処置が行われていた頃はもちろん、ようやく手術に麻酔が使われるようになってからも、しばらくはそんな風だった。だから病院というところは、病気や怪我を治しにいくところではなく、入ったら二度と出られない死の館と呼ばれていた」


 大腿部の太い血管をすべて結び終えた後、男はメイドに合図を送った。メイドは、汚れが染みついた包帯を傷口に巻こうとした。


「まあ、それも無理なからぬところだが。おっと、これを塗るのを忘れていた。これは、大変高価な万能薬だ。梅毒患者のただれた皮膚なんかに塗ればたちどころに――」男は黄色味を帯びた白い軟膏を手ですくい、べっとり傷口に塗布し、その上から包帯を巻くよう顎で示した。


「そのクリーム」に座るアビーが胸の悪くなる悪臭に鼻を手で押さえながら思わずつぶやいた。


「――治りはしないが、まあ殺菌効果ぐらいはある」男は説明しながら、女の全身につけられた刺し傷に、軟膏をぬりつけていく。

「水薬にして飲ませる方法もある。チャイナの皇帝なんぞは、不老不死の薬として愛飲していた。怪しげな錬金術師や魔術師なんかも好んで使っていた。しかし、悲しいかなこれの成分、水銀というやつは、ささやかな効能をはるかに上回る重篤な副作用があってね。マッド・ハッターがマッドなのは、商売柄水銀を使っていたせいだってのは有名な話」

「水銀?」


 手術台の上で半ば気を失っていた女がくわっと目を見開いた。その女はミッシーだった。喉の傷のせいで、喋る度にごぼごぼと血の泡が噴き出す。


「水銀、ですって? その……クリームが?」

「ああ、そう言っただろう。お前は、うるさいんだよ。ここはおれのステージだぞ」


 男はミッシーのわななく唇を血まみれの手でつまむと、太い針と糸で縫い合わせてしまった。閉ざされた口の奥からくぐもった悲鳴があがる。


「ここから先は、見ない方がいい」


 男はミッシーの両の瞼も縫い合わせてしまう。よく見れば、彼が使っているのはこの陰鬱で薄汚れた場所にそぐわない、淡いピンク色の毛糸のようだった。ピンクの糸で目と口を縫い閉じられたミッシーのやせ細った裸体には、右腿の先のパーツが欠けている。


「お前たちのような野蛮人どもに情けをかけてやったのが間違いだったんだ。おれは甘すぎると皆から非難されるんだが、その通りだな。せめて自分で選んだ死に方を、と勧めてやっているのに、なぜ選ばない」


 男はさらに、黒い血がこびりついたメスを右手に持ち、左手をミッシーの右腿にかけた。瞼を開くことができないミッシーだが、何をされるか察したらしく、手術台の上で猛然と暴れ出した。


「ちゃんと押さえてろ」


 男の命令に従い、メイドたちが患者の体を押さえ付ける。


「この女の治療が終わる前に、腹を決めるんだな。おれは気が長い方ではない。何も希望がないなら、こっちの好きにさせてもらう」


 男はそういって、ミッシーの膝にメスを入れ、筋肉を切り裂き骨を露出させた。


「この時代の外科医ってのは、肉屋とそう変わらない。肉体労働だ。ノコギリを」


 手術台の上の女が嘔吐した。しかし唇が縫い閉じられているため、隙間からどろどろとしたものが溢れ出た。


「あーあ。痛みのせいか、水銀中毒のせいか、どっちだろうね。まあいい。顔を横にして口の隙間からかき出せ」男の指示で、メイドがテキパキと動く。


 アビーはミッシーの悲痛な呻き声を聞きたくなくて耳を塞ぎ目を閉じたが、それでも、男がこう毒づくのは聞こえた。


「己の吐瀉物を気管に詰まらせて窒息死だなんて、そんな生易しい死に方が許されると思うなよ」

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