第29話 再会
ジェーンと赤毛の女の無事を喜んだのも束の間、アビーは顔を曇らせて言う。
「プリンセスの姿が見えないんです」
「あたしが見て回った限り、この階に子供の死体はなかったよ」
「死体」という遠慮のない言葉に一瞬身を震わせたものの、アビーは表情を少し和らげた。
「わたしは、母親失格です。レーコの世話をしている間に、あの子はいつの間にかいなくなっていた。部屋の外に出てはいけないといくら厳しく言ってもあの子は聞く耳を持たず、苛立ったわたしは、あの子に厳しい言葉を投げつけてしまう。こんなことになったのは、女たちが醜い殺し合いを始めたのは、あの子の不用意な一言のせいだと。だからあの子は」
「でも、あなたはあの子の母親じゃない」
ジェーンの言葉に、アビーは体を固くした。
「わ、わかっています。でも……」
「あのチビ助のせいで殺し合いが始まったっていうのは事実だろう。もっとも、ガキの
「あなたがそれを素直に受け入れるとは、意外だわ」
「誰が素直に受け入れたって?」
老女と赤毛の女の間に緊張が走る。
だが、アビーは苛々とその間に割って入った。
「そんなことをしている場合ですか。あの子を探さないと」
「あたしにそんな義理はないよ、
赤毛の言葉にアビーの顔色がどす黒く染まった。
「わたしだって、母親じゃない」
「じゃあ、ほうっておきなよ。ここじゃあ、みんな自分のことだけで手いっぱいなんだ」
「あなたは、不道徳な快楽に浸っているだけじゃないの。あの獣に身を委ねた女たちと、ちっとも変わらない」
「獣ってなんだよ」赤毛の顔は怒りで耳たぶまで真っ赤になった。
「あの男のことです。レーコが寝言を叫ぶのです。熊に扮したあの男が、何人もの女たちと不適切な関係を」
「熊あ」
赤毛は鼻でせせら笑った。彼女は、温室でその「熊」に遭遇したことを思い出した。
「まあ、まあ。それでさっきのあの子たちは、あんな姿に」ジェーンは悲しげに呟いた。
「いいじゃないか、どうせ死ぬなら、熊とでもなんでも。あんたが子供や病人の世話をして気を紛らわせているように、他の女たちだって何かしてないと不安に押し潰されそうになるのさ。どういう気晴らしをしようと、あんたにとやかく言われる筋合いはない」
一触即発のムードを、老女のいささか呑気な声が崩した。
「あの男は、あなたの目にはどう映ったのかしら」
「あたしに訊いてんのかい、婆さん」赤毛が老女に怪訝な顔を向ける。
「アビーにはもう聞いてあるの。あの最初の日のことよ。わたしは、あの男がペスト・ドクターのマスクを被っていると思った。アビーが見たのは、
赤毛の女は、目を伏せてしばらく黙り込んでいたが、ゆっくりと口を開いた。
「マスクを被っていたのかどうかは、わからない。あいつは、シルクのトップハットを目深に被っていた。そして、まるで医者みたいに気取ったモーニングコートの上にマントを羽織っていて、あいつが動くたびに、コウモリの羽みたいにひらひらしていた。そして」
「そして?」
「マントの下に、何か隠し持っているみたいだった。細長くて、照明に反射してきらきら光る」
「ナイフとか?」
ジェーンの問いに、赤毛女の顔が紙のように白くなった。
「なんなんですか、こんな時に。あの男の姿が誰にどう見えていようと、それこそ意味のない話でしょう」アビーが怒りを爆発させた。
「そうねえ。意味はないのかもしれないし、あるのかも。それは今はわからないけど、いずれわかるかもしれない。とにかく、わたしは知りたかったの」
アビーと(そして赤毛の女とも)争うつもりのない老女は、素直に引き下がった。
「アテンション・プリーズ」
音声がひび割れを起こすほどのアナウンスが突然轟音で鳴り響いた。キーンと不快なノイズが割って入り、一同は思わず耳を押さえた。
「理想的な死に方を静かに瞑想する時間を与えてやったというのに、お前たちときたら。これだから女ってやつは、油断も隙もない。だがまあ、起きてしまったことは仕方がない。まだ生きている人間は、全員三階のオペレーション・シアターに集合。拒否するなら、首に縄をつけて引きずり出すからそのつもりで」
耳を押さえたところで轟音を遮るほどの効果はなかったので、全員が男からのメッセージを受け取った。
「チビ助を探す必要が省けたじゃないか」
赤毛の女の言葉に、アビーの表情が険しくなった。
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