第26話 割れた鏡の謎

 ジェーンはベッドの上で編み物に没頭している。いや、彼女の熟練した指が勝手に何やら用途不明のピンクのふわふわしたものを確実に編み上げていく間、彼女の脳は別の仕事に勤しんでいた。


 鏡よ、鏡ミラー、ミラー……


 呪文の如く、皺が寄りすぼまった口が声を出さずに繰り返す。

 それは、扉の隙間から漏れ聞こえる騒動を意識から閉め出すことにも役立った。コーデルの殺害が引き金となった殺し合いのことをジェーンはしらなかったが、物騒な物音から色々察してはいた。

 赤毛の女に約束した通り、扉の鍵はかけてあったが、斧や体当たりには木製のドアではいくらも持ちこたえられないだろうし、彼女の弱った心臓は、備え付けの家具を移動させてバリケードを築くことは不可能(固定されているので完全に健康だったとしても移動させることは容易ではないのだが)。襲撃されたが最後と諦めるしかない。

 ただ、アビーやプリンセス、レーコの身が案じられた。あの男の言うように全員が罪人だったとしても、果たしてこんなところでなぶり殺しにされるほどの罪なのかどうか。


 しかし、それは考えても詮無いことなので、より楽しいことに意識を集中する。


 そう、彼女は殺人が好きだ。

 より正確には、殺人事件に非常に興味を示し、興奮を覚えるタイプの人間。自ら悲惨な「自死」の方法を選ぶよう強いられている彼女たちの一人が、自死とは思えない死に方をした。それはなぜか。


 あの屈辱的な仮面の男との対峙、その際には確かに裸体の一軍の中に紛れていた(女たちは総勢三十名だった)はずが、メイドたちにそれぞれの個室に案内されて食堂に一同が集まった時には、二十九名になっていた。


 明らかに、このとき欠けていた娘が、顔を破壊された状態で発見された娘だろう。娘は、食堂には行かず、そのまま自室に留まっていたのだろうか。


 なぜ?


 若い娘が人前で、しかも男性の前で裸体を晒した。それは、女性なら誰でも、ジェーンのように古い人間には、耐え難い羞恥と屈辱をもたらす。それですっかり食欲をなくし、衣服を与えられても人前に出る気になれなかったのか。それは在り得る。食事は、メイドに頼めば部屋まで運んでくれる(当の若い娘が使用人の扱いに慣れていたのならば)。

 右手首の骨折。娘は死ぬ前に怪我を負っていたという。それが原因かもしれない。痛みのあまり、食事どころではなかった。あの男がこれから苦痛の長引く死に方をさせようとする人間に手当や鎮痛剤を施してやったとは思えない。羞恥心と痛みに苦しみながら、一人部屋に残っていた。


 そして、殺された。いつ? なぜ?


 アビーの言葉を信じるのなら(疑う理由もないが)、遺体発見は四日目の夜遅く、徘徊老人のコーデルを捜していたミッシーによって。

 コーデルは遺体の顔を食べていた。

 しかし、憐れな被害者は、コーデルに襲われて殺されたわけではなかった。推定十八歳未満の顔のない娘が死亡したのはその前日、三日目の夜と考えられる。死因は、左の眼窩から脳に達した刺し傷。凶器は恐らく、テーブルナイフ。


 こんなゆるゆるの「推定」に基づく犯行時刻には意味がない。


 プリンセスが不用意にも、最後に生き残った一人だけがここから脱出できるという趣旨の話をしたことも一応忘れないでおこう。しかし、これは二日目のことだった。それを聞いた女たちだって、半信半疑ですぐには行動を起こすことができなかったではないか。あの娘の謎めいた死は、人減らしの無差別殺人とは無関係だ。人減らしは可能な限りこっそり進めるのがよいとしても、被害者の顔を破壊して身元を隠す必要がない。身元なんて、みんなわからないのだから。

 

 にもかかわらず、遺体の顔が破壊されていた。ならば、何か意味があると考えるのが普通ではないのか。


 なぜ老女は、遺体の顔を食べたのか。単なる偶然だろうか。いくら腹が減っていると(実際には晩御飯をちゃんと食べていたのだが)当人が思い込んでいたにしても、痴呆の老人が人を食べたなんて聞いたことがない。


 そして、割れて破片が散らばっていたという現場の化粧台の鏡。割れたのは偶然なのだろうか。犯人との格闘の末に? そうかもしれない。でも、偶然が二つ重なるのは、しっくりこない。即ち、偶然痴呆の老女がそこに転がっていた死体の顔を食べ、偶然その部屋の鏡が割れていた。


 少々都合が良すぎないだろうか。誰にとって? もちろん、殺人犯に。


 では、鏡が割れていることは、犯人にとっての利益だったとしよう。なぜか。鏡は、記憶を失った我々の姿を映す唯一のもの。それがないと、どうなる? 自分がどんな顔をしているのか、見る事ができない。


 犯人は、被害者に対して、被害者自身の顔が見られないようにしたかった。


 そうだ。それが答えだ。そしてさらに、被害者の顔を、自分以外の人間にも見せたくなかった。だから、遺体の顔を傷つける必要があった。

 でもなぜ? 

 我々は他人のことはもちろん、自分の顔だって覚えてはいなかったというのに、被害者の顔を隠して一体なんになるのか。


 被害者が鏡を見たとして、それが犯人にどのような不利益を与えるのか? 


 犯人と被害者が二人きりで部屋にいるとする。そこにもし鏡がなければ、被害者は自分の顔を見る事ができないが、犯人の顔は見える。まるであべこべ。普通の犯人は、自分の顔を隠すものなのに。


きまってるじゃないオフコース」ジェーンの淡いブルーの瞳が輝いた。


「犯人の顔と、被害者の顔、両方を見られるのがまずかったんだわ。それ以外に考えられないオビエス、イズントイット?


 ジェーンの手の中には、完成したピンクのふわふわしたものが握りしめられていた。それは小さく、何に使うのであれ、赤ちゃん用と思われた。


「ところで、これは一体なんなのかしら」


 小首を傾げたジェーンの元に、かりかりという不穏な音が届いた。扉の外からだ。血の気が引いていくのを感じた。まだ小さな「なぜ」を解いただけだというのに時間切れとは。


 これが最後の事件ケースだなんて。


 扉の向こうから、どしん、どしん、と体当たりしているような音が響いてきた。

 おやまあオウ・ディア。ジェーンは赤毛の女からの忠告を思い出した。


 枕で窒息させられていたほうがよかったかもしれないわね。

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