第20話 ピンクのふわふわした何か

 二本の編み棒を器用に動かし、淡いピンク色の何かが徐々に出来上がっていく。何を編んでいるのかは、本人にすらわからない。だが記憶はなくとも老女の節くれだった手指は、メイドが持ってきた毛糸玉と編み棒を受け取ってからというもの、迷いなく動いていた。


 赤ちゃん用の、ケープかしらねえ。


 ベッドの上で上半身を起こしたジェーンは、自身の指がひと目またひと目と編み上げていく物を愛情のこもった目で見つめる。本当に、こうして無心に手を動かしていると心が落ち着くだけでなく、様々な事柄を整理して考えることができる。


 といっても、整理しなければならない事柄が、さほどあるわけではない。


 この屋敷内では、時間の経過がよくわからない。特に、心筋梗塞と思しき発作を起こし、以前のように出歩くことがままならなくなったジェーンは、ほぼ一日中窓にカーテンをぴっちり引いた部屋に籠っているのだが、アビー曰く、今日は彼女たちがこの屋敷で一糸まとわぬ姿で目覚めてから四日目なのだそうで、昨日(三日目)は、温室で無惨な姿を晒す新たな死体が発見されたという。


 これで、犠牲者は、三人。熊、縄、サボテン……三人目の女も、それが理想の死に方だと仮面の男に申告したのだろうか。


 残る女たちは二十七名――いや、初日に姿を消した女も恐らく亡くなっていると仮定して二十六名。

「少し考える時間を与えてやろう」と男は言った。ただし「タイムリミットが来たら、おれがかわりに考えた方法で死んでもらう」とも。そのタイムリミットがいつなのか。恐らく当の男自身明確には決めておらず、それは唐突に、今すぐにでも訪れるのかもしれない。


 ドアの方から微かな音がした。


 編み物をする手が止まった。またドアノブを銃で吹き飛ばされるようなことになるのは御免だと思い、鍵はかけていなかった。ジェーンが凝視するなかで、ドアノブがそろそろと回り、そして勢いよく開いたかと思うと、中年の女が一人、そしてまた一人、部屋に入って来た。


 おやまあ、「どうぞ」と言ってもいないのに勝手に入ってくるなんて。


 二人とも四十代と思しき風貌、狡そうな表情を浮かべている。しばらく前にアビーが廊下で遭遇した二人であることをジェーンは知る由もない。


「お婆さん、元気かい。具合が悪いって聞いたんで、様子を見に来たんだよ」女の一人が口を開いた。

「あらそう。それはご親切に」

 ジェーンは素早く室内を見回してみた。簡素すぎる部屋には身を守るためにジェーンが使えそうなものは何もない。ベッドサイドテーブルや椅子を持ち上げて振り回すなんてことは、心臓が破れる心配がなかったとしても彼女には無理だ。

「みなさん、どうしているのかしら。わたしは、心臓の具合が悪くなってからもう三日も寝たきりの生活だから。なんでも、また酷い亡くなり方をしたそうね」

「ああ。発見したのはあの赤毛の女だって話だよ。温室があるんだってさ。そこで、赤毛女も負傷して、昨日一日臥せってたらしいね。鬼のカクランてやつかね」

 ジェーンの問いに、もう一人の女が答えるが、その間も二人はじりじりとジェーンのベッドの方へ近づいてくる。

「温室ねえ」

 ジェーンは溜息をついた。温室。外に出で日光を直接浴びながら庭の草花を愛でることが叶わないのであれば、せめてその温室に行ってみたかった。


 こんな味気ない部屋で命を落とすより、そのほうがよほど――だが、無残な骸はまだそこに転がっているのだろうか。


「ところで、婆さん。あの噂を聞いたかい」

 ジェーンはただ首を傾げただけで、答えなかった。どんな噂であるにせよ、それは彼女にとってありがたくないものに違いなかった。

「あの、子供が。エンジェルって子が神託を下したんだってさ」

「プリンセスのことかしら」

「どっちでもいいよ。プリンセスは、天使様エンジェルなのさ――とにかく、その子が言ったんだ」

「あたしたちに名前もつけてくれたしねえ。あたしはジョーイ、こっちはウルスラってんだよ」

「まあ、そうなの。想像力豊かな子ね。でも、まだほんの子供。そんな子供が言ったりやったりしたことを理由に、重要な決断を下すものではないわね」ジェーンは、今はベッドのすぐ傍らに来ている二人の女たちの顔を、かわるがわる見て溜息をついた。

 ジョーイと名乗った女が、思いつめた顔で言う。


「でも、生き残れるのはたった一人だって言うんだよ!」


 ジェーンは口をOオウの形にして首を小さく振った。

 やってくれたもんね、おチビさん。

「でも、それが正しいってどうやってわかるの? もしも間違っていたら、あなたがたは、人を殺めるという大罪を犯した上に、あの男に苦痛に満ちた死を与えられるのよ。同じように騙された女に殺されるかも。そんなものが神託のわけがないでしょう。あなたたちにだって、わかっているはずよ」

「だけど、やってみなければわからないじゃないか」


 ジョーイがジェーンが背中に当てて体を支えていた枕を引き抜いた。ウルスラは、彼女の両肩に手をかけようとした。二人の目には危険な光が宿っていた。


「一体何をしようっていうんだい、既に棺桶に片足を突っ込んだ婆さん相手に」


 開いたドアのところに赤毛の女が立っていた。

 二人の女は血相を変えて、慌ててベッドから離れた。


「べべ別に」

「何も」

「バカなことをするもんじゃない。今でも十分すぎるぐらいひどいっていうのに、同胞に背後から喉首をかき切られる心配をしなきゃならないってのかい。いい加減におしよ」

「同胞なんて言わないでほしいね!」ジョーイが口から唾を飛ばしながらわめく。「あたしは、あんたと違って女になんか興味ないんだから」

「そうさ、命が惜しいからって、誰があんたみたいなゴリラに体を許したりするもんか」

 赤毛の女はわずかに顔をしかめたが、反論しなかった。無言のまま顎の先でドアを指し示すと、女たち二人は這う這うの体で逃げていった。


「あなたに助けられるのはこれで二度目ね」ジェーンは赤毛の女が床から拾い上げた枕を受け取って背中に挟みながら言う。

「お陰で助かったわ」

「そうかい。じゃあ、あとから『あの時枕で窒息していた方がよかった』なんて恨み言を言うんじゃないよ」

 ジェーンはくすりと笑みを漏らした。

「あんたは、アビーって女と子供の部屋に移った方がいい。ここにいたらまた襲撃されるかもしれないからね。あんた一人じゃ、イカれた女たちには勝てないだろう」

「そうね、腕力では勝てないわね、残念ながら」ジェーンは溜息をつく。「あなたはどうするの?」

「あたしは、自分の身は自分で守れる」

「一人じゃないのね?」

 赤毛は怖い顔をしてジェーンを睨んだ。

「こんな時には、誰か一緒にいてくれる方がいいわね。でも」ジェーンは相手の目をまっすぐ見つめて、言う。

「わたしは、ここに残ることにするわ。少し歩いただけで息切れがするし、アビーの足手まといにしかならないでしょう。ドアに鍵はかけておく。あなた以外にも銃を持っている人はいるのかしら」

「他の銃は破壊してやったよ」

 赤毛の女は色素の薄いジェーンの瞳をしばらく見つめていたが、やがて眼を逸らして溜息をついた。

「見回りに来るようにするけど……」

「ご親切に、ありがとう」

 ジェーンは編みかけのピンクの毛糸を再び手に取った。

「その、ピンクのふわふわしたのは、一体何なんだい?」

「さあ……それが、自分でもよくわからないの。手は覚えてて勝手に動くんだけど、おつむの方はてんで頼りにならないから」

 赤毛の女は首を振った。部屋を出ていこうと背中を向けた時、ジェーンが独り言のように呟いた。

「あの女性たち以外の他の人たちも、あの少女の妄言を信じるかしら」

 赤毛の女はドアのところで立ち止まった。

「さあね。藁をも縋りたい連中が何をするかなんて、あたしにゃわからない。だけど、人を殺めるなんて、普通の人間にはできないさ。さっきのババアどもだって、よぼよぼのあんた相手にへっぴり腰だっただろ。いかにもコロシに慣れてません、って感じで。まあ普通はそうだろうよ。ここにいる連中は、みんな普通じゃないのかもしれないけど。幸い、連続殺人鬼がいたとしても、そいつは記憶を失っている。でももし」

「もし?」

「連中を狂気に駆り立てるような、きっかけがあれば、一人を手にかけたら、あとは何人殺そうと同じさ」

「そうね」ジェーンは相手の言葉を吟味して、頷いた。

「何事も起こらないことを祈るわ」


 だがもちろん、その「何事」かは起きるのだ。

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