第二部 葬送、あるいは地獄へ道づれ

DAY 4

第19話 ルール変更

 アビーはどれも同じに見えるドアが並ぶ長い廊下を歩きながら不安に駆られていた。廊下に出ている女の数はそう多くない。だが、彼女たちがアビーに投げる視線は、なんというか


 品定め


 そう、そんな感じ。今さらなんのためにそんなことをしているのかわからず、落ち着かない気持ちにさせられる。特段の取り柄もなさそうな中年女、たぶんその見た目通り、人畜無害な人間。それが自分なのだろうと思う。

 だがあの仮面の男によると彼女たちは全員壮絶な自死に値するような罪人で――

「ねえ、あんた」

「えっ」額を寄せ合っている女たちの傍らを通り過ぎたアビーは驚いて振り返った。

「なんでしょうか」

 四十代ぐらいの女二人だった。相変わらず、探るような視線をアビーに向けている。

「朝も昼も食堂に来ないじゃないか。ハンガーストライキでもしてるのかい」女の一人が言う。

「ああ」アビーは子供と老人、そして地震で負傷した娘の世話をするために食事は部屋で摂るのだと伝えた。その途端女たちの目が異様な光を帯び、アビーはひやりとする感覚を味わった。


 失敗した


 理由はわからなかったが、言ってはならないことを口にしてしまった、そう思った。

「優雅にベッドでお食事かい。そんな発想は浮かばなかったねえ」

「こちらは、あたしらみたいな庶民とは違うんだよ」

「確かに、毒殺魔の手を逃れるならその方が利口かもね」

「夕べの熊鍋、あれは食べられたもんじゃなかったものね。みんな臭いを嗅いだ途端げえげえ吐き出して」

「お陰で毒を盛られる心配をしなくて済んだけどさ」

「だけど、誰が殺人鬼かわからないんじゃねえ」

「確かに、味方だと信じてると、いつ寝首をかかれるか、わかったもんじゃない」

 女たちは忍び笑いを漏らした。

 アビーは内心の動揺を悟られないよう短く別れを告げてその場を立ち去ろうとしたが、狡そうに目を光らせた女の言葉に顔色を失った。


「でも、どのみち生き残れるのは、たった一人だけなんだろう?」


 

 ドアをそっと閉めたプリンセスは、アビーが廊下をやってくるのを見て少し怯んだ。そこは、彼女たちが身を寄せ合っている部屋ではない。プリンセスは、外に遊びに出ることができない鬱憤を、他の女たちの部屋を訪問することによって晴らしていた。

 女たちは猜疑心が強く互いに心を許さないのだが、幼い少女には笑顔を向ける者が多かった。アビーはいい顔をしないが(「その人たちがどういう人間か、なにをされるかわからないのよ」)、アビーは彼女の母親ではない。


「そこで何をしていたの」

 突然の詰問調に、プリンセスは顔を歪めた。

「聞こえないの? そこは誰の部屋?」

「……コーデルさんの、お見舞いに」プリンセスは下を向いたまま答えた。

 寝たきりの老女とその世話をする修道女的女性の話はプリンセスから聞いていたが、アビーはまだ彼女たちと会ったことはなかった。


 そして今は、それどころではない。

 

「聞きたいことがあるのよ、来なさい」

 アビーは幼い少女の抵抗を無視して、その細い腕を掴んで自室まで引きずっていった。


「最後に生き残った一人だけが助かるってどういうことなの」自室のドアを閉めるや否やアビーは少女に問いただした。

 プリンセスはきょとんとした顔をした。すぐには思い出せなかったのだ。だって、それは、もう何日も前の話で――

「あなたがそう言っていたと評判になっているわ。どうしてそんなことを言ったの」


 どうして?


 プリンセスはしばし考えた。子供がいちいちそれによる影響を吟味したうえで慎重に言葉を発するだろうか? 黙っていたのは、そんなことを訊かれたところで回答を持ち合わせていなかったし、何を言ったところでアビーは自分をきつく叱るに違いないと直感で悟ったからだ。


「どうなるか、わかってるの?」


 アビーは目を三角にして怒っている。こんなアビーは好きじゃない。


「もしも自分だけ助かりたいという人達が殺し合いを始めたら、まず真っ先に狙われるのは、あなたみたいな小さくて無力な子供なのよ!」アビーは声を荒げて、口をへの字に曲げて下を向いている少女に容赦のない言葉を浴びせかけた。

 どうしてこんなに愚かなのか。子供だから仕方がない。もちろんそうだ。大人だって馬鹿げたことをする。どうして未熟な少女が馬鹿げた妄想を気安く口にしてしまったことを責められようか。

 それでもアビーの中では激しい怒りがふつふつと煮えたぎっていた。

「なんて馬鹿な子なの」もう止まらなかった。「あんあみたいな子、生まれて来なけりゃよかったのよ。熊の餌にでもなればいい!」


 プリンセスは、懸命に体をねじって掴まれた腕を振りほどこうとするが、一層きつく握りしめられるだけだった。

「いたい、はなして!」

 その悲痛な声には恐怖が滲んでいた。しかし泣いても叫んでも、目の釣りあがった女は聞き入れてくれそうにない。細い骨がみしみし音を立てるのが聞こえてくるようだった。骨をへし折るまで放してくれないのかもしれない。


 その時ドアが勢い良く開いた。


 戸口には、やけに時代がかった猟銃を構えた赤毛の女が立っていた。

 アビーは驚きに目を見開いたが、素早く幼子の体を自分の背後に押しやった。

「やめて! 一人だけ助かるなんて、この子の法螺話よ。この子は、いつもそんなくだらない夢想ばかりしているの。なんでこんな子供の言うことを鵜吞みにするの。理性を取り戻して、お願いだから――」


 アビーの懇願に赤毛の女は眉をしかめて銃を下した。


「あんた、そのチビ助を虐待したいのか守りたいのかどっちなんだい」

「わたしは――」アビーは震える自分の体を両腕でかき抱いた。背後から、細い腕が巻き付いてきた。

「ごめんなさい、アビー」

 泣きじゃくるプリンセスの頭をアビーは後ろ手に撫でたが、視線は赤毛の女の銃から逸らさなかった。

「あなたこそ、自分だけ生き残りたくて、わたしたちを殺しに来たんじゃないの?」

「子供の法螺話だって、自分で言ったくせに」赤毛の女は鼻を鳴らした。「そんな与太話で寝首をかかれちゃたまったもんじゃないから、様子を見に来たんだよ。あんたのところには子供と婆さん、それに怪我人までいるだろ。いかれた連中の格好の餌食じゃないか」

 赤毛の言葉に、アビーははっとした。

「ところで、婆さんはどこさ?」

 ベッドは東洋の娘一人が占領しており、老女の姿はない。

「元の部屋に戻ったのよ。まだ本調子じゃないみたいだから、ここにいてって頼んだんだけど、レーコが夢を見てうなされるから気持ちが休まらないって」

「元の部屋って、ドアの鍵は」

「それが、メイドがドアごと交換したらしいの。ジェーンの部屋だけドアの種類が違うからすぐわかるわ」

「ここにひ弱な婆さんがいますよって宣伝してるようなもんじゃないか」赤毛は溜息をついた。

「あたしがここに引きずって来てやるから、あんたはここに籠城してな」

「こちらにも銃をもらえない? その、予備はないのかしら?」

「悪いけど、あんたを完全に信用したわけじゃない。他の銃は、破棄せてもらったよ」

「そんな……」

「複数で結託していれば、向こうだってうかつに手出しはできないさ」


 赤毛の女が部屋を出ていくと、アビーはプリンセスのか細い体ををひしと抱きしめた。二人とも震えていた。

 それから、はたと気づいて、アビーは慌ててドアに鍵をかけに行った。

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