第17話 グリーンハウス

 まるでジャングルじゃないか。

 

 ガラスに覆われた温室の中は、蒸し風呂のよう。じっとりと汗が噴き出してくる。酸素の濃度が高いのか、却って息苦しい。むせかえるほどの草のにおいのせいか。

 生い茂る草木をかき分けて進む赤毛の女の耳が異様な物音を捉えた。獣の唸り声のようだが、人間だ。そして、争っている。襲われているのだろうか。

 昨晩、食堂に熊が出たことを彼女は思い出した。ロープに引きずられる女の後をおいかけた彼女は、その後熊がどうなったのか知らない。

 銃を構え安全装置セイフティを外す。弾は装填してある。中折れ式の水平二連散弾銃で、弾は二発同時、または一発ずつ連射することができる。

 こんな知識をどこから得たのか、彼女は知らない。趣味で狩猟をする上品な階級の人間であるとは思えなかったから、恐らく田舎の出身で狩猟経験があるのだろう。スポーツ(ふざけた呼び名だ)ではなく、食うため、毛皮を剥ぐために狩ったと。

 銃身の先を進行方向に定め慎重に進んでいくが、かさこそと草をこすったり枝の折れる音は隠しようがない。しかし、相手によってはわざと音をたてて警戒させ逃げてもらうことが最善の場合もあり――

 

 急に開けた視界の先に、女が立っていた。慌てて銃口を下げ、セイフティをかける。相手がヒト、しかも女であるならば、腕力で勝てる自信があった。

「あんた、こんなところでなに」

 振り向いた女の姿に強烈な違和感を覚え、言葉が途絶えた。ゆっくり、銃を持つ手に神経を集中させいつでも構えられるようにして、慎重に近づいていくと、違和感の正体がわかった。


 女の体には無数の針が刺さっており、グレーの布地に血が滲んでいた。


 その女の周辺には、様々な種類のサボテンがあった。さらに近づくにつれ、刺さっているのは針ではなく細長い棘で、女の豊かな胸や腹だけでなく、ふっくらとしたな頬や額にも何本か突き立っていた。それ以外にも、無数の穴から血が滲んでいる。

「うっかり転んでに抱きつきでもしたのかい」

 赤毛の女は溜息をついて、注意深く(彼女に刺さっている棘にさわらないように)女の腕を取り、悪意を突出させているように見える棘だらけの植物から引き離した。

 女は、奇妙な表情を浮かべていた。

 若い頃はさぞ美しかったのだろうと思える三十代後半、肉付きがよく皺が少ないため若く見える四十代かもしれない。色白で上品な外見をしている。

「とりあえず、刺さってるのを抜くからね。ちょっと痛いかもしれないけど、動くんじゃないよ」

 そう言いながら、赤毛の女は白くふくよかな女の眼球からほんのわずかずれた位置に刺さっている棘を慎重に抜いた。ふくよかな女のブルーの瞳は、大きく見開かれたまま動かない。

 おかしな女だ。ショック状態なのかも。

 赤毛の女は、却って好都合だと次々と顔に刺さっていた棘を抜き取った。そして豊満な胸に手を伸ばしたが

「こりゃあ、まいった」

 グレーのコットン地を貫通して女の胸に突き刺さった棘は、表に突き出しているものもあれば、どうやら布地の内側に埋もれてしまったものもあるようだった。へたをすれば、生地の上から棘を肉の中へ押し込んでしまうことになりかねない。

「これ、脱いでもらった方がいいな。慎重に、体の前の方を布でこすらないようにして。いいだろ、女同士なんだし、他に誰もいない。ああそうだ、あたしたちはハダカの付き合いから始まったんだったね。いまさら照れるこたあないだろう」

 軽口を叩きながら、銃を地面に置き、相手のワンピースの裾を慎重につまみ、たくしあげていく。

「本当は、ハサミで切り裂いたほうがいいんだけど、他の服を支給してもらえなかったら、あんた困るだろ。だからこんなドレスでも大事に扱わないと」

 胸の上まで露わにして、全長四、五センチはありそうな棘が、血管が青く透けるほど白くたわわな胸のあちこちに突き立って血が流れているのを見た赤毛の女は、背中がぞわぞわする感覚に低い呻き声を出した。まるで自分の乳房が鋭い棘で貫かれたような痛みに、この豪胆な女にしては珍しいことに、体が縮みあがった。

「ぞっとするね。早いとこ済ましちまおう。これ持っててくれないか」

 胸までたくし上げたドレスの裾を持つよう指示しても、ふくよかな女は薄く笑みを浮かべただけだった。

「ねえあんた、ちったあ協力してくれても罰は当たらないと思うがね。片手でちまちまやるより、両手でぱぱっと済ませちまった方がいいだろう、お互いに。胸だけじゃなく、腹にも刺さってる。ハリネズミかい、まったく」

 無抵抗無反応だった女が突然赤毛の女の手を払いのけた。ワンピースの裾は、女の豊満な胸の上に乗っかったままだ。

「おい、あんた――」

 相手の顔を見て、赤毛は口をつぐんだ。ふくよかな女は無邪気に微笑むと、その笑みを顔に貼りつけたまま、ワンピースをさらにたくしあげ、頭から脱ぎ捨てた。

 支給された衣類はそれだけだったから、その下には何も身に着けていない。ふっくらとして色白な肌は艶やかで、絵画の中の女神のようだった――あちこちに血を噴き出す穴がぽつぽつと開き、相当数の棘は刺さったままで針山の様相を示していなければ、やや太り気味のヴィーナスといった風情だ。

 呆気にとられる赤毛の女を、彼女は思い切り突き飛ばした。バランスを崩し後ろ向きに倒れ込んだ彼女は、背中に刺すような痛みを感じた。体中を電流がかけぬけた。

 一方、素裸の女は、顔に笑みを貼り付けたまま、ひときわ大きく凶悪な棘を装備したサボテンに向かって突進した。棘に貫かれた女は、苦痛の呻きとも歓喜の喘ぎともとれる声を短く発し、それからその棘だらけの植物を両腕で抱き抱えた。

 我に返った赤毛の女が、歯を食いしばって彼女の背中に棘を突き立てている植物から体を引き剥がした時には、裸の女は棘だらけの植物を抱いたまま地面に転がり、馬乗りになって夢中で体をこすりつけていた。その腕も胸も腹も無惨に引き裂かれ血を流しながら。

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